唐桃

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昇進

 王都の周囲は東西南北それぞれに向って地方への幹線道路ともいうべき道が通じている。しかし、王都のすぐ側はいざ知らず、一日もすれば街道とはいえどもその治安は悪く、盗賊や追いはぎが待ち構えていた。
 一旦は整備された街道も治安が悪くなれば、荒れ放題となる。一度荒れ始めると、その街道から先の地方への帝国の影響も薄れる。悪循環をそろそろ断ち切るときが来たことを、皇帝も軍師もかなり前から分かっていた。
 道路およびその周辺の治安回復は、王都自体を安定させるための最優先事項だ。ユアンはこの二年、王宮警備の要として活躍してきた若い青年武官を実質の責任者に据えるつもりでいた。フォシテス将軍の下で、王都および王宮の複雑な警備を勤め上げた能力は今回の治安回復とその後の維持に必要だ。
 子飼いの部下を手放すことを渋るフォシテスを説得し、先代皇帝から名を連ねている老将軍達をリーガルに説得させ、どうにか彼の目論見は成功した。
 クラトスはあこがれている軍師が裏で糸を引いているとも知らず、准将として取り立てられることになった。例によって、この昇進を知らされたとき、真面目な彼は自分の能力では務まらないと、すっかり親しくなったフォシテス将軍に訴えた。
「フォシテス様、まだ王都と王宮の仕組みがようやく分かっただけの私では、その外まではとても無理です。どうか、リーガル様に他の方をご推薦いただけるよう、お願いしていただけませんか」
「クラトス、私こそ、お前を我が隊から離したくない。しかし、こればかりはリーガル大将軍のお声がかりだ。ということは、引いては、皇帝陛下とユアン様が認めているということでもある。それに、この二年間で王都の整備にお前がどれだけ貢献したかを考えれば、十分に対応できるだろう。私のところにいる者で、あれだけ洩れなく下調べしていたのは、お前だけだ。案ずるな」
 フォシテス将軍は直々にユアンから説得されたことは言わなかった。老獪な軍師が散々根回しをしたことには気づいていたが、軍師に釘をさされていた。
 それに、この純朴な部下があの軍師をひどく崇拝していることもわかっていたが、逆に軍師がただの有能な将校としか見ていないことを知って、あまり期待を持たせたくなかった。
 クラトスとは違い、王宮警備の表とは別に裏で多数の間者を操っているフォシテスは軍師と皇帝陛下の関係をこっそり危惧していた。あの陛下から、己自身への執着に気づいているからこそ、軍師はこの青年将校の抜擢に表立った意見を出していないと見当はついている。一声言えばすむことをこれだけ遠まわしに軍師が動いたからには、そうする必要性があったはずだ。
 もしも、クラトスのむき出しの情熱に陛下が気づいたら何をされるだろうかと、彼はこの数年ですっかり気に入った部下の将来に一抹の不安を感じた。


 昇進すると、クラトスは待ちかねていたリーガル大将軍から呼び出され、王都周辺の南街道の平定と彼の住んでいた郷より先の南部地域までの安全確保について、検討するようにと指示が出された。ああ、あのときの話はこういうことだったのだとクラトスは思い返した。
 与えられた五百人近い兵は主にクラトスの出身地である王都南東部の郷の者で構成されており、掌握することは容易だった。下士官も顔を見知った者が配属されており、フォシテス将軍とリーガル大将軍が若輩の彼のために気を使ってくれていることが知れた。
 そのことでリーガル大将軍に礼を言うと、真顔でたしなめられた。
「クラトス、お前のためではない。それだけ、陛下が結果を速く望まれているということだ。勘違いしてはならない」
「承知いたしました」
 生真面目に言葉の裏を考えようとしていないことを見てとった大将軍は半分苦笑しながら、恐縮して彼の部屋から下がろうとするクラトスを引き止めた。
「だがな。陛下の御為であることが、お前にとっても良い状況であったことは偶然ではない。お前が帝国の優秀な人材であることは陛下もお認めになっているということだ。当面、お前は何も余計なことは考えずに全力を尽くせ」
 宮廷のからくりを知り尽くしている大将軍は、駆け引きにはまったくと言っていいほど無縁なまま、彼の言葉に素直に応じる若い将校に満足気に頷いた。
 ユアン様が押しただけのことはある。己の部隊の現状をこれほどの短期間で把握していれば、まず、問題ないだろう。
 クラトスは、王都のすぐ南の街道に部隊を展開し、このところ、また商人たちを脅かしている盗賊どもの一掃を始めた。一方、王都直下の地域の治安に梃入れを図るためには、現在の彼の軍が荒れた村々に短期間駐留するだけでは役に立たない。
 長期間の人員配置について相談をするために、ゼロス筆頭書記官に面会を申し込んだ。すでに多くの人が割かれているその地域にさらに数割増しの人員を望むからには、何よりも予算が必要だった。財政を一手に握っている筆頭書記官を説得しなくては、その先に進めない。


 ゼロスの執務室は千壇宮の反対側に位置する。筆頭書記官の執務室へと通じる回廊を歩いていると、ふんわりと記憶にある香が漂ってきた。ゼロスが応諾した日は今日のはずであったが、間違えたのだろうか。
 執務室の前に控えている文官にたずねれば、そのまま奥へと進むように言われた。侍従が開けてくれた扉の先を見て、クラトスは立ちすくんだ。予想したとおり、軍師は確かに筆頭書記官の部屋にいた。だが、よもやあこがれの人が常に華やかな噂の渦中にある筆頭書記官を抱きしめているとは想像していなかった。
 無言のまま、数秒呆然と立っていたクラトスは慌てて部屋の扉を閉め、部屋を出ようとした。
「ゼロス、何を馬鹿なことをさせる。クラトスが勘違いしているぞ」
 背後から、ユアンの半分笑いをこらえた声が聞こえたが、すっかり動転したクラトスの耳には届かなかった。
「ユアン様、失礼いたしました。おい、クラトス、聞こえるか。ありゃ、逃げ足が速いな。おい、誰か、クラトスを追いかけてつれてこい」
 本当なら大笑いしたいゼロスは、軍師の責めるような目線に、噴出しそうになるところをぐっとこらえると、部下に命じた。
 思ったとおりだった。あの若い将校は、二人の姿を見た瞬間に、顔を赤くし、続いて青ざめた表情を浮かべた。なんて、純情なんだろう。目を逸らそうとして、しかし、目を離せずにいた姿は少々かわいそうでもあった。確かに軍師に参っていることは確かめられたが、ああまで、自分の想いを何も隠し立てしないとは思わなかった。
 呼び戻されて、能面のように無表情なクラトスがのろのろと彼の部屋へと戻ってきた。
「クラトス、ゼロスの悪ふざけを勘違いするな。変な噂など流すのはもっての他だぞ」
 さきほどのクラトスの表情を見ていなかった軍師は、これまた悪気なくクラトスへ微笑みかけ、軽口をたたいた。
 俯き加減の若い武官は目をさ迷わせながら、弱々しく答えた。
「え、あ、あの、ユアン様のご迷惑になるようなことはいたしません」
「ご迷惑も何も、さきほどのあれは、軍師様が最近流行っている踊りのことを知りたいとおっしゃるから、あえて、俺様が実地指導してさしあげていたの。ユアン様も悪ふざけとは冷たいお言葉じゃないですか。どうだ、クラトス。お前も俺様に直に教えてほしいか」
 目の前が真っ白になっていたクラトスは、ようやく、落ち着いて周りを見る。
 その部屋には、筆頭書記官の口述をとるための秘書や、おそらく、軍師についてきたのだろう。以前会ったことのある侍女も座っていた。
 自分の勘違いに気づいて、クラトスがうっすらと頬を染め、詰めていた息を静かに吐き出した。
「……。すみません。すっかり、気を回しすぎました」
「わかればいいのよ。ま、誰でも驚くかな。この俺様が軍師様と仲良くなっては、宮廷中の女官が、それどころか、王都の女性が皆嘆き悲しむよな」
 ゼロスが混ぜ返せば、軍師は肩を竦めて、執務机の横にある椅子に座った。
「王都の女性皆とは、ほらもたいがいにしろ、ゼロス。それに、一人ぐらいは私のことを気に入ってくれてもいいだろう。どうだ、アリシア。私がゼロスに奪われたら、お前は嘆き悲しんでくれるか」
 ようやく、この場の雰囲気がわかってきたらしく、肩の力を抜いた武官の姿にゼロスはちらりと天を向いた。
 おお、危ない。危ない。あまり、純情な奴をからかわないほうがいいな。
「私は、ユアン様がお幸せになれば、どなたでもお好きになっていただきたいです。でも、ゼロス様だけはお止めになってくださいまし」
 クラトスもその顔を覚えている侍女は、軍師や筆頭書記官を前にして悪びれもせずに答えた。
「おや、アリシアちゃん。ユアン様にも俺様はもったいないかい」
「いいえ、ユアン様がもったいないんです。大体、ゼロス様に決まった方がおできになっても、王宮中の女官が嘆き悲しむのは間違いです。私は入っておりません」
「うひゃ、厳しいね。クラトス、アリシアちゃんはいつも俺様には怖いのよ」
 泣き真似をしながらクラトスに縋るゼロスの姿に、周りが大笑いする。動揺していたクラトスはその雰囲気にまたほっと息を吐いた。
「ゼロス、それぐらいにしておけ。クラトスは真面目だからな。お前のその姿を見てもどうしてよいか分からないだろう。さあ、そろそろ、仕事の話に入ろう。クラトス、お前が出した村の治安維持の件のためにここに来たのだからな。ゼロスに付き合っていると仕事が終わらない」
 いつもと全く変わらない軍師の口調に、クラトスは言いようのない安堵を覚え、準備してきた書類を広げた。
 

「ゼロス、クラトスをからかうな」
 自らが肩入れしている将校や周りの者を退出させ、二人きりになると、軍師はこれまた気に入っている有能な文官に文句を言った。
「失礼いたしました。お気づきでしたか。いや、あんなに純情とは露知らず、やりすぎました。ですが、ユアン様、あそこまで思ってくれているのなら、俺様ならほっておきませんけどね。クラトス准将も良く見れば、なかなかいい男ですよ」
「たちの悪い冗談を言うな。あれは有能な武官だ。お前が声をかける女官とは違う。田舎から出てきた上に、ずっと働きづめだ。王宮のきれいどころを見ていないから、何か勘違いしているだけだ。大体、陛下からもお達しがあっただろう。これから、帝国を支えていく人材に育てねばならないのだ」
 軍師は全く顔色も変えずにゼロスの言葉に反論した。
 おや、クラトスからの書類があがっていますと申し上げたら、即座に同席をおしゃったのはどなた様ですかね。軍師様もご興味がおありだとばかり思っていたけど、今回ばかりは俺様の勘もはずれたかな。
 ゼロスは淡々とした軍師の反応に、それ以上の言葉は飲み込んだ。軍師は口を開きかけてそのまま黙り込んだゼロスへ、とどめのように説教を続けた。
「大体、お前こそ、そろそろ身を固めたらどうだ。そんなに浮ついていては、お父上が気をもまれて、良くなるものも良くならないだろう」
 ゼロスは、軍師の文句に頭を下げながら、内心、クラトスに同情した。あの反応を何かの勘違いで片付けられては、それこそ、たちの悪い冗談だろう。からかいはしたが、彼なりに気に入った青年武官の青ざめた表情を思い出すと、ひどく気がとがめた。こんなことなら、あの思いつめた姿をこの澄ました軍師に見せてやればよかったとゼロスは後悔した。
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