唐桃

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依頼

 王都南部を根城にしていた盗賊達の一掃は、クラトスが予想していたよりもてこずった。ほんの二ヶ月もすれば掃討できると見込んでいたが、夜盗の群れは思いのほか組織されていた。クラトスが攻め入れば巧妙に引下り、帝国軍の警備が薄くなった頃に隙を見ては村を襲った。
 涼しい秋風が吹き始めたころ、ようやく、クラトスは反旗を翻している南の豪族からの支援路を探り出した。それを断ち切って、任務がほぼ終わったことを報告できた。その地域の先で南の豪族達と相対している南部方面第三、五師団の将軍達とリーガル大将軍が集まった打合せには、軍師も顔を見せた。
 クラトスがいかに組織だっていたかについて報告を始めると、軍師は鋭い質問を矢継ぎ早に浴びせた。戦いの怒号飛び交う場所から戻ってきたばかりのクラトスは、大将軍と軍師の前で久しぶりに冷や汗をかいた。
「リーガル大将軍、夜盗とは見せかけているが、一部は南のあやつらの正規軍の回し者か、間者に違いない。クラトスの報告で特定できた者どもの周りをさらに探っておけ」
 軍師はそれでも何かが気になるのか、穴が開くほどクラトスが差し出した書類を見ていたかと思うと、悩ましげに眉の根を寄せ、ぼんやりと会議室の壁へと目線を動かした。リーガルや他の将軍が答える言葉に生返事を返しながら、何か別のことに気をとられていることが感じられた。
 クラトスは会議のときにかいま見たユアンの不安そうな眼差しが気になった。だが、会議が終われば真っ直ぐに後宮へと消えていく軍師を最も位の低い彼が引き止めることもできない。会議中に心配そうに見つめるクラトスの目と出会うと、軍師の青く美しい目は軽く伏せられ、二度とこちらを見ることはなかった。
 背後を重臣につき従われ、部屋を出て行くとき、一瞬だがあの方が足を止めかけたのは何故だろう。会議の要点を記した紙を秘書官と確認すると背後の従者に執務室へ持っていかせた。本来は、すぐに次の準備のために副官に指示を与えねばならなかったが、クラトスは執務室に戻らず、以前から憧れの軍師を思わせてくれる杏の木の庭へと向った。
 もちろん、その後、一度として会えたためしはなかったが、かの人をわずかでも感じさせてくれるひっそり静かな庭が好きだった。記念だと渡された花びらはとうに色も香も失っていたが、紙にはさんで大切にとってある。あの方は忘れてしまっただろうが、彼にとっては軍師から個人的に与えられた唯一のものだった。
 まっすぐと木の側まで進むと、例の自然石の同じ場所に座る。目を瞑れば、少し離れた位置に座って、月の光を浴びて輝いていたあの方がいるような心持になれる。疲れたり、気になることがあるときは、こうして十分ほど過ごすのが習慣となっていた。
 目を瞑っていると、夕刻の秋のひんやりとした空気にかすかにあこがれの方の香まで漂ってきた。仄かに甘く品の良いこの香を手に入れたくて、都の大きな香の店をいくつか回った。だが、特別な調合なのだろう。同じ物は見つからなかった。かえって、その方がいいかもしれない。こうして、この場所であのときの出来事を思い返す方が、まるでその人がいるように思えるのだから。
「ここが好きなんだね」
 声まで聞こえる。重症だ。クラトスは首を振った。ふわりと人の動く気配が感じられた。
 クラトスは驚いたように目を開けた。目の前にまさに想っていた方が彼の顔を覗き込むように立っていた。
「ユアン様、どうして……」
 クラトスは慌てて立ち上がると、礼をとろうとした。
「クラトス、さきほどまで会っていたではないか。そこに座れ」
 ユアンが笑いを含んだ声で指示した。クラトスはユアンの顔を見ることができず、そのまま、さきほどまで腰掛けていた場所よりさらに端へと移動した。
「何だ。この前と同じく、離れた場所で真っ直ぐ前を見て座っているつもりか。今の季節は花も咲いていないぞ」
 少しだけ不満そうな声にクラトスはちらと横を見た。軍師はクラトスの方に体を寄せると、笑った。
「ようやく、こちらを見たな。さきほどから、ちっとも気づいてくれないから、声をかけていいものかどうか、悩んだ。何を考えていたのだ。刺客にやられるぞ」
 あなた様を思い浮かべていたのです、とは言えず、クラトスはただ、頭を下げた。
「申し訳ありません。隙がございました」
「隙のあるクラトスの方がよいな。お前の驚いた顔が見られる」
 さきほどの会議の沈んだ雰囲気を感じさせず、ユアンは明るく笑った。クラトスも釣られて微笑んだ。
「うん、私と一緒にいるからと言って緊張するな。実はお前を探していたのだよ。少々、気になることがあって、執務室を訪ねたら、こっちだと言われた」
「使いの者を出してくだされば、お伺いいたしましたのに」
「いや、私がお前と二人で会いたかったのだ」
 ユアンの言葉はクラトスの心を躍り上がらせた。
「お前は気づいていたようだが、さきほどの会議で報告が出されていた夜盗の話だ。いいか、これから先は陛下と私とごく一部の者しか知らぬことだ。他言は無用だ。お前の知恵が借りたい」
 一瞬、ひどく個人的な会話を期待をしたクラトスは自分の不明を恥じた。そうだ、この方が二人きりで会いたいとおっしゃることで何を思うのだ。
「私でお役に立てれば」
「前に聞いたな。マーテルの死について、何か聞いたことがないかと」
「はい」
「マーテルは暗殺されたのだ」
「……。病死と……」
「後宮のできごとだ。簡単に手が下せると分かれば、陛下のお命も危ない。私の判断でふせた」
「ユアン様、なんと申せば……」
「よいのだ。ようやく、折り合いがつけられるようになってきた。最初は、なぜ私ではなかったのかと、そればかりを考えていた」
 淡々と話すユアンの顔をクラトスは見つめた。ユアンの夏の夕暮れを思わせる目は、消えない悲しみとそれでも絶望を乗り越えた者が見せるあきらめと思慕を浮かべ、穏やかだった。
 あの墓所の奥にある方を深く愛していらっしゃったのだと理解できた。ひどく羨ましく、そして、愛しく思う人が大切な者を失ったという事実が悲しかった。
「あの晩、私は陛下に呼ばれて、永幸宮で遅くまで打ち合わせをしていた。打合せ前にいったん戻れば良かったのに、マーテルの顔を見にいかなかった。もう、明日にかかろうとするほど遅くなって、話が終わったころ、慶寿宮で騒ぎが起こった。火が出たという」
 ユアンはそこで言葉を切った。しばし、目を瞑り、何かを思い出していた。
「慌てた。人が皆、火の出た方へと集まっていた。それは炎は激しく出ていたが、大したこともなく収まった。そのとき、マーテルがこれほどの騒ぎというのに、出てきていないことに気づいた。胸騒ぎがした。出払っていた侍女達が私達の部屋に戻ったかと思うと、悲鳴があがった。
 その後は今でも正確には思い出せない。床にマーテルがうつ伏せで倒れているのが目に入った。慌てて抱えるとまだ温かかった。手が赤く、……、私の手にぬるりと感じた。
 胸を一突きされていた。苦しまなかったことが幸いだ。何が起きたか、分からなかったと思う。火事騒ぎでごった返していたところに、これだ。皆、混乱して、手を下した者を探そうとしたときには、誰も肝心なことがわからなかった。
 あのとき、火が出たとの声にあそこに行かず、私がマーテルの元へ駆けつけていたなら」
 軍師は、それこそ、何度も考えたであろうことをつぶやき、手を握り締めた。クラトスは我知らず、その手を取り、自分の手の内に握りこんだ。深い悲しみを乗り越えてもなお、まだ、苦しんでいる大切な方を慰めたかった。
 ユアンはクラトスの手が与えてくれる心地よさに驚き、真剣に自分を見つめるクラトスの目に動けなかった。まさか、この自分が一介の青年武官に慰められるとは予想もしていなかった。
 軍師の深い息にクラトスは自分がその手に触れていたことに気づいた。慌てて手を離し、顔を赤らめる青年の姿に、ユアンも我を取り戻した。
「すまないな。整理はつけたつもりだが、やくたいもないことを言ってしまった」
「いえ、私こそとんだご無礼を。どうぞお許しください」
 青年武官は哀れなほど恐縮していた。もっと生々しい欲望にかられた手に触れられたことなど何度もある。それに比べれば、捧げられるだけの思い遣りは心地よく、離れて欲しくないぐらいだった。
「気にするな。長々と話していた私が悪かった。前置きはもうこれくらいにする。あのときの手際を思うと、ひどく手練れの者たちのしわざに違いない。一昨年の御前試合の刺客といい、陛下に悪意をもった者が必ずどこかに残っているはずだ。
 この前のお前の報告を聞いて、南にいる夜盗どもがそれなりに組織されていたというのが、気になる。あの刺客も南の訛りだった。だが、陛下は気にしておられない。それが心配なのだ。いつなんどき、同じことが起こるとも限らない。それなのに、陛下は南へご出陣するとおっしゃる。だから、都を開ける前に再度、事の真相を調べたかった。
 しかし、誰にでもおいそれと頼むわけにも行かず、ずっと信頼に足る者を求めていた。お前のその緻密な働きぶりこそが必要だ。すまないが、お前だけで内々に調べてくれないか。他言は無用だ」
 ちらりと見えた苦しみの影は消え、そこにはいつも通りに冷静に語る軍師がいた。クラトスは、膝をついて申し出を受けた。垣間見えた憧れの方の心の憂いをわずかでも解消できればと心に誓った。
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