唐桃

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布石

 千檀宮は大きめの複数の部屋に分かれ、太和殿から伸びる回廊で続いている。所謂、将軍や宰相、高位の文官達の打ち合わせ場所として利用されている。皇帝へ奏上する前の最終検討などはここで行われることが多い。
 クラトスは王宮警備の最高責任者として、皇帝はもとより多くの要人達が集い行き交うこの近辺には特に注意を払っていた。夏も盛りの季節だけに、格子窓も空いていることが多く、間者の動きにも注意を怠ってはならない。
 ここだけは自らが部下達と共に回廊に沿って、周囲を調べながら歩いていると、背後から声をかけられた。
「クラトス、どうだ。相変わらず、職務に精を出しているようだな」
 部下ともども慌てて振り向き、膝をついて軍師を迎える。代々宰相を務めているワイルダー家の長男と東の半島での制定を終え戻ってきたリーガル大将軍を後ろに夏の暑さなぞ何も関係ないかのように涼しげな顔をしたユアンが立っていた。
「お言葉、ありがとうございます」
 彼と部下がさらに拝頭しようとすれば、礼はよいと押しとどめられた。
「ゼロス、こちらが今話にあげていたクラトス・アウリオン、王宮親衛隊の所属だ。お前が散々こぼしておった王都とその周辺の治安の梃入れに一番役に立ちそうな者がこの男だ。
 クラトス、こちらはゼロス・ワイルダー。宰相の息子だ。今は筆頭書記官を務めている」
「王宮親衛隊第一部隊長のクラトス・アウリオンです」
「クラトス、ゼロスだ。私もつい最近までは近衛第一師団に属していたのだが、お前の活躍は聞いているよ。頭も腕もたつそうじゃないか」
 紹介された宰相の息子は、おそらく特別に誂えたであろう王都で流行っている極彩色の絹で作られた文官服を纏い、洗練された振る舞いでにっこりと笑った。王宮の女官たちのあこがれの的は、一介の武官の前でもその魅力を惜しみなく披露してくれた。
 宰相が一年前に病で倒れてから、この派手に見える息子が実質王宮の文官達の頂点に立っていることはクラトスも知っている。
 その軽い振る舞いからそれと思わせないが、ゼロス・ワイルダーは長けた戦術家にして、ねばり強い交渉術を併せ持つ近衛師団の星として期待されていたはずだ。だが、皇帝の強い要請で、宰相補佐として王宮へ戻ってきたとフォシテス将軍から聞いた。
 伝統を重んじたその父とは異なり、先を見据えた新しい法や文官達の組織への改革により、内政は久しぶりに落ち着きを見せてきている。
「そして、こちらがリーガル大将軍だ。近々、お前も話しを聞くことになろう。あの半島からリーガル大将軍が戻ってきたからには、王都周囲の、特に南部への街道の梃入れが可能となる」
 帝国の武人なら誰でも知っている、半島制定を筆頭に数々の武勲に輝くリーガル・ブライアン大将軍は軍師の言葉に深く頭を下げた。軍師よりやや淡い青い髪を無造作に結った大将軍は平服に身を包み、腰に軽い剣を一振り帯びているだけであった。だが、その姿は鎧に身を包まれていなくとも、一種の威圧感があった。
「ユアン様、何をおっしゃいます。あなた様のご提案があってこその整備でございます。しかし、もちろん、お手伝いは喜んでさせていただきます。クラトス、その節はよろしくな」
 気取らず、しかし、どっしりとしたリーガルの言葉にクラトスは改めて頭を下げる。
「リーガル大将軍、私のような者でよろしければ、いつでもご指導ください」
 王宮親衛隊の所属である自分がリーガル大将軍のお近くで仕事を申し付けられることがあるのだろうか。どうせ、社交辞令だ。
 名家中の名家の出身でありながら、宮廷での業績もまた皇帝から称えられる二人を前にして、クラトスはすっかり萎縮した。とるにたらない田舎貴族の上に、得た栄誉とはただ賊を一人取り押さえただけの自分など、ひどくちっぽけに感じられた。こんな方達と毎日を過ごされているのでは、自分なぞ、ユアン様の記憶にとどめていただいただけで、感謝しなくてはならない。
 うつむき加減にそんなことを考えているクラトスは、軍師がしげしげと己を眺めていたことには全く気づかなかった。
「職務の最中に引き止めて悪かったな。クラトス、皆の者も、さあ、先を続けてくれ。ゼロス、リーガル、あちらの部屋で他の将軍たちが待っている」
 皇帝の軍師は、クラトスの半分当惑した顔に微笑みかけると先へと進んでいった。何事が起きたか分からずに、青い髪を靡かせて去っていく軍師の姿をぼんやりと見遣る武官の肩をゼロスが親しげに触れた。
「これからはよろしく頼むぜ」
 我に返ったクラトスは部下共々、慌てて、軍師の後姿に拝頭した。
「クラトス様、こちらの警備をして五年になりますが、皇帝陛下の軍師様から直接お言葉をいただいたのは、初めてです」
「隊長、ユアン様をお側で初めて拝見いたしました」
「お声が聞けたなぞ、夢のようです」
「クラトス様、ユアン様にお名前を覚えていただいていらっしゃるなんて、御前試合で賊を退治されただけのことはあります」
「第一部隊に所属してこんなに光栄なことはありません」
 それこそ、滅多にない出会いの余韻を楽しもうと、後姿を黙って追いかける彼の気持ちなど知らず、部下達が後ろではしゃいだ。


「リーガル、ユアン様が我々に紹介したということは、あの男が次の将軍候補なのか」
「ああ、おそらくそうだろう。陛下は人選はユアン様に任せるとこの前おっしゃっていたからな」
「あんなに若くて務まるかね」
「そういうお前も十分若いではないか」
「あんたに言われたくないね。俺様はこれでも結構苦労してますよ」
「わかっている。すまなかった。お前の努力は知っているつもりだ」
「おっさんほどじゃないけどね」
「その口をどうにかしないと、ユアン様はともかく、他のお偉いさんが
うるさいぞ」
「はいはい。うちの親父が倒れなきゃ、俺様が将軍候補かと思っていたんですけどね」
「それはしょうがない。お前も私も家の役目からは逃れられない。私こそ、大軍を率いての遠征はもう願い下げだ。陛下の御為とはいえ、蛮族相手に二年の長きを戦うのは、命がいくつあっても足らんからな」
「さてと、あの若い隊長さんがどんな策を出すのか、楽しみにまってますかね」
「最初だ。金庫番のお前くらい、大目に見てやれ。じいさん連中はうるさそうだ」
「そのために、ユアン様があんたを呼んだんでしょ」
「ゼロス、今は口に出すな。説得の手順を考えるだけでも頭が痛い」
「あの麗しい軍師様が直々に言えば、誰も否とは言わないだろうに、なぜ、俺様達をかつぎだすんだ」
「さあな、あの方の考えることはよくわからん」
「不思議な方だよな。本当のところ、何者なんだ。そもそも、陛下とはどういう関係なのかね。陛下のご親戚っていう触れ込みだが、おっさん、小さい頃に噂きいたことあるか」
「いや、お前こそ、年が近いのでは」
「小さい頃に宮殿にあがったときには、確かにいなかったな。あれだけの姿形だ。見かけたら忘れないぜ。俺様、きれいな人を見る目はあるつもりだが、あの軍師様はよく分かんねぇ。年とってんのか、若いのか。親父も先皇からきいたことないって言ってたしな」
「だが、雰囲気はまさに皇族だ。術も使われるし」
「確かにねぇ。お美しいという意味じゃあ、皇帝陛下とあの軍師様は群を抜いているよな。ああ、もったいないねぇ。男だなんて」
「ゼロス、口を慎め」
「だが、あの将軍候補の彼も軍師様にはすっかり参っているようだったな。我々のことなぞ眼中にないみたいに、軍師様ばかり見ていたよな」
「何を言っているのだ。我々のことは知らないのだから、しかたあるいまい」
「おっさん、気づかなかったのか。あの目は恋している目だよ。愛の伝道師のこの俺様が言うんだから、間違いないぜ。ユアン様もおっさんと同じで気づきそうにもないからな。今回の話はちょっとあの彼氏には酷かな」
「下世話なことを言うな。卑しくも帝国の武官だ。色恋沙汰と職務は関係ない」
「それ、本気で言っているの。はぁ、俺様、師団を出されてよかったかも。リーガル大将軍様、帝国の武官も人間だぜ」
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