唐桃

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驟雨(二)

 軍師はクラトスの言葉に何も答えなかった。稲光が開け放たれた扉から入り、向き合う三人を照らす。ユアンの青白い顔がくっきりと闇に浮かび上がった。
「そのお顔は、……。一体何が起きたのです」
「まだ、気づかないのか。クラトス、どうして、この部屋に灯がついていないのかわからないのか」
「ミトス、馬鹿なことを言いだすな。クラトス、ここから去れ」
 軍師はどうにか体勢を立て直すと、探るように手を伸ばし、皇帝の方へとさらに歩み寄ろうとした。クラトスは衝撃から立ち直れず、闇に浮かびあがる皇帝と軍師の動きをただ見守っていた。皇帝は軍師の声には耳をかさず、氷のような声で続けた。
「クラトス、お前が何故この王都に戻ってこれたのか、まだわかっていないようだな。よもや、己の手柄で戻ってこれたなどと思ってはいないだろうな」
「ミトス、それ以上言うな」
「お前があのときユアンを呼び出しさえしなければ、救いを求めなければ良かったのだ。西域で朽ち果てれば、ユアンもお前なんかにずっと惑わされることもなかったのに。どうしてもと言うから、お前を救うことは許してやった。確かにお前は帝国の将としては有能だったからな」
「ミトス、私はあなたに誓った。だから、クラトスは放っておいてくれないか」
「ユアン様、やはり私をお救い下さったのは……」
「そのとおりさ。ユアンが救った。そして、その代償として、力は全て私に差し出してもらった。私と約束したからね。だが、私の読みも浅かった。西域で戦い続けていればそのうち倒れるとばかり思っていたが、お前はどういうわけか、勝ち続けてしまった。もちろん、私はお前を呼び戻すつもりなんかなかったよ。それなのに、ユアンはお前をあきらめない」
「ミトス、それ以上言ってはならない。皇帝たる者、真に帝国のためを思っている将を傷つけるな」
「お前の口からその言葉は聞き飽きた」
 皇帝はつかつかと己の物には決してならない軍師に近づき、部屋の奥へとつきとばした。
「陛下、何をされるのです」
「クラトス、一歩たりともユアンに近寄るな」
 皇帝はくるりと振り向くと、剣を若き将軍へとつきつけた。
「そうだな、クラトス。これを聞けば、お前も嬉しいだろう。ユアンはね。一度は私の側を離れないと約束したはずなのに、お前から手紙がくればすぐに心変わりする。お前達がこっそりアリシアを介してやりとりをしていたことだって知っているよ。夏もすぎた頃に、ユアンが後宮には留まりたくない。お前と共に過ごしたときが忘れられないから、ここを出たいとまた言いだした」
「ミトス、王都を離れるつもりは、あなたの力が及ぶところからは離れるつもりはなかった」
「同じだ。お前の心がこんな者に向いているかぎり、どこにいたって同じだ。そんなことを許せるわけがない。そんなことを、この私が認めるわけにはいかない。
 そんな折に、クラトス、お前が西域を平定した早馬がきた。もちろん私はお前を呼び戻すつもりはなかった。お前は目障りだ。邪魔な物はさっさと排除しておけば良かった。始末のための準備を始めようとしたら、さすがにユアンには気づかれてしまった」
「ミトス、自分をそれ以上貶めるな」
 軍師は悲しげに囁き、皇帝の方へとゆらりと近寄っていった。
「もういいだろう。私は今あなたの側にいる」
「ああ、まるでそこらの置物のようにな。クラトス、私がどうしてお前を生かしたままで呼び戻してやったのか知りたいだろう。ユアンが誓ったのだよ。もう、二度とお前と会わないと。お前を見ないと。そして、私に何の証が欲しいかと尋ねた。確かに証は渡してもらったよ。お前が好きだったあの青い目を二つともね。だから、お前を呼び返してやったのだ」
「そんな、そんな恐ろしいことを……」
「だが、呼び返すのではなかった。クラトス、お前はこそこそと何を探っている。知っているぞ。ゼロスにもリーガルにも相談していたな。おかげで、あいつらまで私にうるさくせまる。どうして、大人しくしていられなかった。
 それに、ユアン、お前もクラトスが戻ってきた聞いてときから、気もそぞろだ。ごまかそうとしても駄目だ。機会があれば連絡を取ろうとしていただろう」
「ミトス、私はそのようなことをしようと思ったことはない。大体、できるわけがないだろう」
「陛下、私はユアン様のご消息を尋ねたしただけです」
 クラトスが言い募れば、さらに皇帝は激した。
「うるさい。お前さえいなければ、お前が王宮に来なければ」
 皇帝の叫ぶ声を掻き消すように轟く雷鳴のなか、また稲光が三人を照らした。クラトスが凝視する先でユアンが顔を手で隠そうとした。
「見たか。お前が愛した男の顔を。あれでも美しいと言えるか、クラトス」
 クラトスは悲嘆に打ちのめされ、それでもユアンの方へと手を伸ばした。何も見えないはずの軍師はその気配を敏感に察知し、クラトスから逃げようと、後ろへ数歩下がった。
「何というお仕打ちを。陛下、なぜ」
「お前が私からユアンを奪ったからだ。ユアンがお前しか見なかったからだ。さあ、戻れ。今、ここから立ち去れば全てはなかったことにしてやろう」
 だが、クラトスは首を振ると、ユアンの前へと近づいた。
「ユアン様、私ごときに何ということをされたのです。私の命なぞ、あなたの涙の一つにも値しないというのに」
「クラトス、近づかないでくれ。お前が無事ならそれでよかったのだ。私はもう愛する者が失われることに耐えられなかった」
「ああ、……」
 ユアンを抱きかかえようとしたその瞬間、クラトスは呻いたかと思うと、前のめりに倒れた。
「お前にユアンを渡すものか。私の物に触れるな」
「クラトス、クラトス、どうしたのだ」
 はねかかる熱い血飛沫に驚き、ユアンがクラトスを手探りでさがす横で、ミトスが悲鳴をあげた。
「手が……。手が……」
 クラトスの温かい血がしたたる剣は皇帝の手の中で突如として光を放ち、生き物が蠢くように揺らぎはじめた。同時に床に倒れているクラトスに縋っていたユアンも悲鳴をあげたかと思うと、操り人形が糸を切られたかのように崩れ落ちた。
 一段と激しく雨が降りこめ、とどろく雷鳴が長春宮の部屋を揺るがした。
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