唐桃

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再会

 どれほど経っただろうか。部屋から何の応答もないまま、周りがほとんど見えないほど暗くなってしまった。クラトスは思い切って、扉の奥へと届くように声をかけた。
「ユアン様、ユアン様、いらっしゃいますでしょうか。クラトスです。ようやくこちらにお伺いできました。お具合はいかがでしょうか」
 数回名前を呼んだが、返事はなかった。せめて、お部屋の様子でも拝見しようと、扉に手をかけて、クラトスは気づいた。部屋の扉は以前とは違い、鍵がおろされているのか、開かなかった。扉に触れた手から、夏とは思えない冷たさを感じ取った。
「ユアン様」
 心の中に不安がふくれあがった。
 何か起きたのだろうか。ゼロスの忠告が思い出された。
「ユアン様には入れ込むな」
 だが、その言葉を聞けるわけがない。彼の人生はすでに軍師のそれと互いに絡み合い、大切な方をなくしては成り立たないのだ。初めて出会ったときから、二度と引き返すことのない道を真っ直ぐと進んできた。
「どなたもいらっしゃらないのでしょうか。ユアン様、開けもよろしいでしょうか。どこかお具合でも悪いのでしょうか」
 声を大きくして、何度か扉をたたく。これ以上は待てない。無理にでも入ろう。そうクラトスが思ったころ、ようやく部屋の奥から人の声がした。
「クラトス、久しぶりだな」
 望んでいた声が扉越しに聞こえた。その声はひどく小さく、しかも、冷たかった。クラトスは慌てて扉の前へと膝をついた。
「ユアン様、お蔭様で西域より無事に戻ってまいりました。なかなか、ご挨拶もかなわず、失礼いたしました。よろしければ、どうぞここを開けてください」
 軍師の答えはなかった。閉じられたままの扉は声は通すのに、背後にいる軍師の気配を微塵も感じさせなかった。クラトスが再度扉をたたくと、ようやっと軍師の問い返す声が聞こえた。
「クラトス、静かにしろ。なぜ、ここにきた」
「どうしてもお目にかかりたくて。お具合が悪いとお聞きしました」
「私はお前に用はない。呼んでもいない。具合も悪くないから気にするな」
「しかし、皆様が……」
「何を聞いていた。私は具合は悪くないと言った。呼んでもいないのに、近づくな」
「ユアン様、失礼いたしました。しかし、ユアン様の具合が悪いといろいろな方から伺いまして、心配のあまり……」
「単なる噂だ。誰かが謀ってのだろう。直ちに後宮を出ろ。来た道を戻れ」
「そんな……。ここまで参ったのですから、どうかお顔だけでも拝見させてください。どうして、どうして、今まで一度もお声を掛けてくださらなかったのですか」
「会う必要がないからだ」
「ユアン様……」
 クラトスは予想もしていなかった軍師の反応に絶句した。今の今まで、彼が訪れれば、必ずや軍師は以前と同じように喜んでくださるとばかり思っていた。だが、冷たく、暗く、扉は閉じられたままだ。
 扉に手を当て、クラトスは懇願した。
「理由を教えてください」
 開かない扉に額をつけ、軍師の答えを待った。一瞬の間に軍師がわずかに躊躇ったように感じられた。
「理由が必要か。私がお前に会いたくないからだ」
 さきほどより細い声が答えた。何かを隠している。二年立ってもそれくらいは分かる。
「そんな声でおっしゃられても信じられません」
 クラトスは再度扉に手をかけ、力をこめて開けようとした。
 夏を迎える雷があたりを震わせた。朱塗りの柱の回廊へ突然の雨が扉の前にたたずむクラトスを濡らした。
「ユアン様、ほんの一目で結構です。私に会ってください。ご無事な姿を拝見させてください」
「私に構うな。帰れ」
 懇願するクラトスを置いて扉を離れて奥にでも行こうとするのか、懐かしい足音がゆっくりと遠ざかるのが分かった。小さくなるユアンの足音は以前と違い、どこか覚束ないようだった。このまま戻ることはできない。愛しい方に直接会って、この目でお気持ちを確かめなくてはならない。
 クラトスは再度力をこめて扉をたたいたが、軍師の足音が止まる気配はなかった。クラトスは立ち上がると、扉を押し開けようと力一杯揺すった。華奢に思っていた扉は鋼鉄の板のように重く、開こうとはしなかった。
 クラトスの強い意志をその物音で感じ取ったのか、軍師も今度は立ち止まったようだった。
「戻れ」
 しかし、望んだ答えは返ってこなかった。軍師が独り言のように続けた。
「ここにお前が近づけることがおかしい。来る前にどこでも止められなかったのか、クラトス。長春宮にお前が入れるわけがない」
 軍師の声を久しぶりに耳にすれば、クラトスは会いたいという気持ちが増すだけだった。扉にかけていた手が震えた。お声を聞いてしまったら、もう会わずにはいられない。ここで黙って戻ったら、二度と会えない、そんな予感がした。
 軍師は奥の部屋にでも去ったのだろうか、足音が聞こえなくなった。
「ユアン様、ユアン様」
 潜めていた声は大きくなったが、もう答えはなかった。目の前で帰れといわれるなら、あきらめもつくだろう。だが、こんな形で放り出されるのはどうしても納得できなかった。クラトスは腰の剣を握りなおした。
「ユアン様、どうしても開けていただけないのなら、私が開けさせていただきます」
 クラトスが一閃の気合で太刀を振るえば、長春宮の扉は半分に割れ、あっけなくくずれた。室内に灯りはついておらず、静かな闇に包まれていた。だが、ユアンの気配はあの懐かしい香からもすぐに分かった。
「ユアン様、」
 部屋に一歩足を踏み入れようとすると、愛しい人は悲鳴のように声をあげた。
「クラトス、近寄るな。もう、以前の私ではない」
「ユアン様」
「お前はここにいてはならない。頼むから、戻ってくれ」
「いやです。直接、私の目を見て言っていただかなければ、嫌です」
 クラトスが足を踏み入れようとしたそのとき、にわか雨は一段と激しくなり、再び雷鳴と共に稲妻が光った。軍師の部屋の家具が黒々とその影を浮かび上がらせた。
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