唐桃

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暗雲

 リーガル大将軍から招かれた数日後、おそらくリーガルから何らかの働きかけがあったのだろう。クラトスはようやく宰相のゼロスとの面会がかなった。ゼロスは自分の執務室に赴いたクラトスを促すと、千壇宮へと連れ出した。
「わりぃ。近頃、王宮も何かといろいろな目があるもんでな」
 ゼロスは回廊から奥まった小さな会議室へと入り、扉を閉めた。
「ま、ここはフォシテスの配下の領域だ。聞きたいことがあるなら、とっとと尋ねてくれ」
 何の前置きもなくゼロスが促す。クラトスも軍師の消息を率直に尋ねた。ゼロスも、リーガルと同じく、半ば何かを迷っているように目を泳がし、少し考えた後に答えた。
「このところ、すまなかったな。リーガル大将軍からおおよそのことは聞いただろうが、あまり人前で話せないことだったのだ」
「ゼロス様、こちらこそ、気づかずにこの前はすみませんでした。それで、ユアン様は今どうなされているのでしょうか。実は、……、個人として何回かお手紙を差し上げているのですが、返事をいただいておりません」
「クラトス、俺様も最近のユアン様の状況はわからない。こちらが知りたいくらいだ。リーガルから聞いただろう。急に後宮で病に倒れたと陛下には言われた。去年の秋も終わりごろだったから、半年前だろうか。それまでは、あまり楽しくはなさそうではあるが、御前会議や必要な会議にはきちんと顔を出されていたし、まあ、俺様達への指示もうるさいくらい、されていらっしゃった。それが急にいらっしゃらなくなった。陛下は新年も過ぎたころに、しばらくユアン様は療養されるから表には当面出られないとおっしゃったきりだ。
 変と言えば、正直変だ。最近は病も少しは回復されたとかで、書類はたまに回されてくるのだが、いつも代筆だ。筆もとれないほど、弱られたのだろうか。何しろ、陛下がご様子を何もおしゃってくださらないので、見舞いにも伺えない。長春宮に仕えていた者達も、ユアン様を病にして見過ごしたとかで直後に総入れ替えされた。だから、アリシアちゃんと同じで、俺様のところにも何も噂が届かない。
 ただな。お命は助かっているらしい。これはフォシテスから聞いた話だ。ユアン様のお声が部屋の外にも届くのを聞いたものはいる。しかし、陛下と陛下が差し向けられた侍従以外、お部屋にも入れないらしい。だから、ここのところお姿を拝見したものを陛下以外に俺様は誰も知らない。
 クラトス、お前にまでご連絡がないなんて、それはおかしい。我々にお沙汰がなくとも、ユアン様からお前には何かお言伝くらいありそうなものだ」
 ゼロスは、何と反応していいか困惑しているクラトスの肩を優しくたたい。
「俺様達に気づかれないとでも思っていたのか。王宮中の女官達に熱い視線を注がれて、まっすぐ前を向いて歩いていた男なんてお前だけだ。その視線の先に誰がいるかは、あのボータだって気づいているぞ。ユアン様もお前にはお優しい言葉をかけていたからな」
 顔を赤くしたクラトスの様子をゼロスは眺めた。しばらく続いた沈黙に、クラトスが怪訝そうにすると、ようやくゼロスは身を寄せ、声を潜めてささやいた。
「これは、俺様からの忠告。ユアン様からお言伝をいただけないからといって、勝手に動くな。いや、当面は近づかない方がいい。
 お前も分かっているだろうが、皇帝陛下の目もお前と同じ方を向いていらっしゃる。あまり、ユアン様に入れ込むな。ユアン様が出ていらっしゃらないのは、よほどのことがあったに違いない。身近で仕えているとわかるが、陛下は恐い」
 ゼロスは、さらに口を開きかけ、だが、そこで言葉を止めた。いつもはおどけたように踊っているゼロスの口元が引き結ばれ、射抜くような青灰色の瞳は一点を見つめて動かない。クラトスはしばし無言でその言葉の続きを待ち、それから、深く頭を下げた。
「ゼロス様、お忙しいところをありがとうございました」
 

 ゼロスはクラトスが肩を落として部屋を出て行く後姿を見送った。
 これ以上、クラトスには教えられない。ほのめかすことが、彼にとって精一杯だ。だが、礼を言ったクラトスの表情は何かを悟っていた。
 先日、彼の何回かの頼みで妻がかつての伝手からようやく情報を手に入れてくれた。二人の寝室で四方山話のついでを装いながら、声を潜め語ってくれた妻の表情を思い出した。あんな真剣は表情はここ数年、見たことがなかった。
「あんた、ユアン様の周りはひどく危ない奴らで固められているらしい。うちでも腕のたつ奴が、ユアン様の部屋の側に近づく前に止められた。ただ止められたんじゃない。危うく、命を落とすところだったらしい。どうやら、陛下はユアン様に誰も近づける気はないみたいだよ。
 それから、これも極秘の話だけどね。あそこで誰かがひどい怪我をしたのは間違いないよ。夜、地の底から響くようなうめき声がしたと、後宮の下女がえらく怯えていたそうだ。ことが起きたのは、あの秋のすごい嵐の晩だ。ほら、王都中に獣の咆哮が響いたような風が吹き荒れた夜があっただろう。あの晩、長春宮に陛下の侍医が急に呼び出されたらしい。そのときまで長春宮にいた侍従が見ている。それどころか、陛下も一緒だったという話だ。うちでもこっそりその侍医に繋ぎをつけようとしたらしいけど、先月、その医者が外出先で強盗に殺された。ようするに、話聞く前に消されちまった。
 なんだか、とても妙な雲行きだよ。フォシテス様の配下とは違う影が王宮を蠢いている。ユアン様の身に何かが起きているのは確かだけど、陛下はそれを知られたくないようだ。
 ねえ、あんたも嘴つっこまないように気をつけな。下手なことをすれば、ただじゃすまないよ」
 クラトスにできうる忠告はしてやった。
 皇帝は今や宰相である彼が軍師の名前を出しても、顔色を変える。この前はリーガルができれば軍師と直接相談できないだろうかと言っただけで、いきなり怒鳴りつけていた。クラトスが軍師の名前を口にしたら、何が起きるだろう。
 クラトスが逆鱗に触れないよう、皇帝の臨席を賜る会議の調整はしてきたが、クラトスが自ら動くことまでは止められない。これ以上の手出しは、宰相である自分でもできない。
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