唐桃

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御前試合

 年に一回の御前試合は四調殿の前にあるぐるりと石の回廊で囲まれた広場で行われる。一軍の将達は、選りすぐりの兵士達を自らの軍の名誉をかけて送り込む。
 クラトスは思いもかけず王宮親衛隊の代表として出ることとなった。士官して一年そこそこの新参者では、と遠慮する彼にフォシテス将軍が笑った。
「そこまで遠慮しては、かえって嫌味だ。クラトス、お前の剣の腕はすでに王宮中が知っている。お前が出なければ、わざと負けようとしたと私が勘ぐられてしまう」
 同僚達は暖かく彼の出場を祝ってくれた。
 下馬評どおり、クラトスは難なく予選を勝ち抜き、皇帝の臨席を待っての決勝へと駒をすすめた。親衛隊からは、槍使いのボータ、女だてらに矛を使うブロネーマと決勝はそれぞれの得物ごとに名のあるものが残っている。
 午後の試合を前に、四調殿では皇帝を囲んで重臣達の宴が催される。
「フォシテス、親衛隊からは決勝にいずれの部門から出た者も残っているな。よくやった」
 皇帝が予選より勝ち進んだ腕にある者たちの名前を見ながら、機嫌よさそうに将軍達に声をかける。
「親衛隊から出ている剣の代表はクラトスというのか。この名前は覚えがないが、新しく配属になったものか」
「は、南東の郷より昨年仕官してきたものでございます。先々代までは王宮の三等書記官を務めておりましたアウリオン家の出身でございます」
「ああ、クラトスが勝ち上がっているのか」
 珍しく皇帝と共に現れた軍師の声に、出席者が一様にざわめいた。滅多に口を挟まない軍師に名前を呼ばれるとは何者だと皆が囁きあう。
「おや、ユアン、知っているのか」
「陛下、名前だけでございます。王都および近辺の治安維持の案件に関して、なかなかと鋭い報告を出しております」
「ユアンが注目するとは、そうとう出来そうだな」
 ちらりと、皇帝は軍師の方を見たが、軍師はすでに別の軍の表を熱心に眺めていた。


 クラトスは出番を待つために、控えの天幕に入った。すでに勝ち終えたボータが新入りにアドバイスをしようと隅で待っていた。
「ボータ様、皇帝陛下の御前での勝利、おめでとうございます」
「クラトス、ありがとう。次の試合が終われば、お前の出番だ。剣の手入れは終わったか」
「おかげさまで、つけていただきました兵の手際が良く、準備万端に整っております」
「うむ。相手は何者だ」
「それが、南部方面第五師団の方らしいのですが、あちらの方も私同様、新しく配属されたとのことで、あまり情報がございません」
「そうか。第五といえば、マグニスという使い手がいたが、それを抑えての出場となれば、相当の手錬れと思われる。どの型を使うのかわからないが、最初は間合いを取った方がよいだろうな」
 二人で話し合っている横を冷たい風とともに、ゆらりと細身の黒装束の男が通っていった。
「ボータ様、あの方です」
「確かに見たことがないな。しかも、第五にしては、服装も地味だ。天覧試合ということがわかっているのだろうか」
 クラトスも相手の雰囲気には首をかしげた。もちろん、純然たる腕の勝負ではあるが、いずれの腕自慢も皇帝の御前に出るとあってそれなりの身支度を整えている。自分も周りの勧めに従って、親衛隊の正装も新調し、剣も丁寧に磨いてきた。
「無理はせぬことだ。御前試合ではあるが、お前なら来年も十分に機会はある。相手が分からぬ今、怪我だけは十分に気をつけるのだぞ」
 ボータも、天幕の対角で誰の相手もせずにうつむき加減に座っているクラトスの相手の異様な雰囲気を感じとったようだ。
 銅鑼がなり、いよいよ出番を迎え、クラトスは従者やボータに見送られて天幕から会場へと出た。前面にどっしりと構えた四調殿の真ん中に皇帝旗を背景に、皇帝にだけ許された白に金銀の刺繍をほどこされた豪華な長衣をまとった金髪の青年が座っているのがはっきりと見えた。
 これほど、間近に皇帝を見るのは初めてだった。その姿は、帝国を、ぐるりと囲む兵たちを、脇に控える並み居る大臣達を率いているとは思えず、一見すればたおやかな乙女とも見えた。だが、近づけば近づくほど、何か威圧されるようなものを感じた。これが皇帝という存在なのだと実感された。
 戦う前に共に皇帝陛下の前で挨拶をする。音もなく並んだ相手にちらりと嫌な予感がクラトスの脳裏をくすぐる。だが、皇帝の真横に並び立つすらりとした軍師の姿が目に入れば、嫌な予感も消し飛んだ。
 このような場所でユアン様を拝見できるとは思わなかった。あの書庫以来、久しぶりに目にする軍師の姿は以前より力が溢れているように見えた。クラトスはこの試合に幸先のよいものを感じ、あこがれの軍師が腰をかがめて皇帝に向いて何かを囁きかけている姿を眺めた。隣にいる剣士がやはり食い入るように先を見ていることに、またちらりと不快感を覚えた。
 二人の剣士が挨拶へと近づく姿を皇帝は退屈そうに眺めていた。
「ユアン、お前がこんな時間まで私の側で試合を見るなど珍しいな。何がおもしろい。見たい者でもいるのか」
「陛下、なんとも嫌な予感がするのです」
 軍師は少し躊躇った後、答えた。
「予感か。こんな天気の良い日に、我が将の子飼いの兵達の試合で、何が起きる」
「お言葉ですが、陛下もご存じない名前がいくつかありました」
「そうだな。お前はクラトスとやらを知っていたようだが」
「知っているものはよいのです。知らない名前が……。陛下、剣士たちが挨拶しております」
「ああ」
 二人が会話を交わす玉座の真下で、膝と頭を床につけ、剣士が拝頭している。
「二人とも誠心誠意を心がけて戦うように」
 ミトスが声をかければ、二人はさらに深くお辞儀をし、皇帝がうなずけば、銅鑼が再度鳴らされ、剣士は立ち上がると舞台へとあがった。
 クラトスはボータからも注意されたように相手の動きを見ながら、十分に間合いを開けようとした。いかにも俊敏そうな相手は御前試合で選ぶには軽くて細い実戦用の剣を持っている。
 おかしい。数合、剣を交わし、クラトスは相手の強い殺気が己に向かってこないことに気づいた。向かいあったときに感じた異常なまでの殺気がぶつけられてこない。それどころか、自分よりも実戦では強いかもしれない相手の野性動物のような動きは明らかに真剣に戦っているとは思えないものだった。
 こんな馬鹿馬鹿しい打合いを皇帝陛下の前で、いや、あの方の前で晒すなど、相手のせいとは言えども我慢ならない。クラトスはさっさと打合いを終わらせるべく、相手に隙を与えず攻め込もうとした。
 おそらく、その瞬間を待っていたのだろうか。クラトスの一撃であたかも弾きだされたかのように舞台袖に転がり出たと思うと、黒装束の男は軽々と階段を駆け上がり、皇帝へと剣を振り上げた。
 クラトスも何かの予感ともいうべき素早さでその男を追いかけた。だが、男の俊敏さには敵わず、皇帝への一撃を止めることは間に合わないと思ったその瞬間、皇帝の横にいた軍師がその男を稲妻と共に弾き飛ばした。それは、瞬く間のできごとではあったが、クラトスは確かに軍師が何も持たずに相手を倒したことを認識した。
 目の前に飛ばされてきた男の首をクラトスは膝で押さえ、剣を振り上げると、鋭く皇帝の声が飛んだ。
「待て。その者は殺すな。取り押さえろ」
 見上げれば、息をのむほど険しい目をした皇帝が光る剣を持ち、横で皇帝を守るかのように、前に身を乗り出した軍師がやはり細い剣を手にしていた。
「クラトス、口を閉じさせるな」
 軍師の厳しい声に彼は慌てて剣の柄を押し込む。自害させては何も情報が得られない。その間にもフォシテス将軍を中心に数名の警備兵が走りより、騒然とするなかで、暗殺者は引っ立てられていった。
 ざわざわと動揺した空気が流れる会場にぽつねんとクラトスは立っている。まるで、暴動でもおきそうな荒れた雰囲気だ。ユアン様がいなければ、どうなったのだろう。ここぞというところで間に合わず、暗殺者をのさばらせた自分はこれでおしまいかと思うと、このまま、剣を放り出して逃げ帰りたかった。だが、金縛りにあったように足が動かない。
 ぐるりと取り囲む重臣たちに指示を与えていた皇帝に軍師が何事か囁いた。皇帝はちらりとクラトスを見ると、やにわに立ち上がり真っ直ぐ段をクラトスの方へと降りはじめた。その皇帝の落ち着いた動きに会場が静まる。
 皇帝が前に来ることを知ったクラトスは膝をつき頭を下げる。
「皆の者、私は無事だった」
 皇帝のよく通る声が広がる。
「たくらみは、この者によって退けられた。よって、本日の試合の勝者は王宮親衛隊所属クラトス・アウリオンとする」
 ざわついていた会場はその声に一気に盛り上がった。皇帝が直々に同じ高さにたって栄誉を与えて下さる。大将軍の凱旋にも匹敵する名誉にクラトスはさらに深く頭を下げた。御前試合で陛下の命を救った。伝説の英雄がなしたことと匹敵すべき出来事を目の当たりにし、賞賛の声が鳴り響いた。
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