唐桃

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幽閉

 王都に再び春が巡ってきた。長春宮はひっそりと静まりかえり、いまだ冬の名残の冷たい風が明り取りの枠を揺らしていた。クラトスと離れてもう二年半近くになる。指先で以前送られてきたクラトスの文をなぞり、長春宮の中庭を臨む小部屋でユアンは季節の鳥のさえずりを聞いていた。
 梢高くで囀っているホオジロの声に今日も天気の良いことが知れた。キチキチと金属音のような鳴き声はカワラヒワだろうか。いつも長春宮の軒下に巣を作るツバメ達の騒々しい歌声も聞こえる。後一月もすれば、雛が親を求める鳴き声で賑やかになることだろう。
 軍師はまだ冷たい春の風に、遠く西の気配を感じた。西域の西風は何十里にも渡って遮る物とてない荒地を一気に吹き抜けると聞いていた。三回目となるこの春をクラトスはどうやって過ごしているだろうか。西風に少し目を細めて、先を見る端整な武官の顔立ちが浮かんだ。相変わらず、自分のことなど構わず、埃まみれで兵を連れて走っているのだろうか。
 かたりと音がして、人の気配に庭で何かを啄ばんでいた小鳥はぱっと飛び散っていった。ユアンは物音のした方へは振り向きもせず、窓際の椅子に座ったまま、手にしていた文はふところへと仕舞いこんだ。
 聞きなれた足音は目の前で止まった。ここを訪れる者はひどく限られていた。だから、振り向かずとも、皇帝がすぐ側にきたことは分かった。二人は互いに向き合わず、しかし、その気がぶつかりあって、皇帝の剣は共鳴したかのようにキンと軽い音をたてた。
「何をしている」
「陛下、わざわざお出で下さるとはありがとうございます」
 立ち上がった軍師は床に膝をつき、深く拝頭した。皇帝はその軍師のひどく礼儀正しい態度に苛立ちを見せまいと己が手を握りこんだ。ユアンの長く青い髪が床に零れ落ちて、春のやわらかい日差しに輝いた。春を知らせる明るい黄緑の服に髪が広がる様は今日の青空のようだった。
「今日の陽に広がる空よりも、お前の髪の色は艶やかだな」
 皇帝はどうにか自らを抑え、ユアンの肩に軽く触れた。
「そのようなお褒めの言葉、私ごときにはもったいなくございます」
 礼をとったままの姿勢で軍師は答えた。ミトスは一息吸うと、帝国の軍師から一歩下がった。
「ユアン、他人行儀な挨拶はよせ。座ったままでよい」
「では、お言葉に甘えて」
 再び椅子に腰掛けた軍師は、また窓の外を眺めるかのように体を皇帝から背けた。ユアンの私室はいつものように穏やかで、愛用の机の上には早咲きのスミレが三本ほど白い花器に入れてあった。横に置かれた茶器は手をつけなかったのか、注がれた茶がそのまま残っていた。それは湯気もたっておらず、軍師が長い間外を見ていたことを教えた。
「何をしていた」
 皇帝はさきほどの問いを繰り返した。細く開けられた窓から吹き込むひんやりした風に軍師の香が漂い、皇帝の周りをめぐった。軍師は風に髪を揺らがされるまま、外に向かって応えた。
「最近はこの部屋から外に出れませんのでね。せめて、鳥達の歌でも楽しませていただこうとしておりました。彼らは季節を教えてくれますからね。冬には遠くに去っていた鳥達も戻ってまいりました。今年も長春宮に巣をかけてくれるでしょう。後一月もすれば、春も盛りです」
「そうか。鳥がお前を喜ばせてくれたとは良かった。鳥はどこへでも飛んでいけるからな。きっと、いろいろなことを知っているだろう。遠くに行った小鳥も戻ってきたか。それは、クラトスが帰るのを待っているということか。それとも、お前が飛んで行きたいのか」
 皇帝の揶揄するような問いに軍師は何も答えなかった。不自然に長い沈黙の後、ミトスは深々とため息をついた。軍師はやはり外を見たまま、何も反応しなかった。
 ミトスは、再び深く息を吐くと、動こうとしないユアンの横に座った。軍師はその動きに慌てて腰をあげ、皇帝と距離をおこうとした。
「ユアン、そう、冷たくするな。たまにはいいだろう」
 皇帝の腕が振り向こうとしない軍師の肩を引き、己へと向かい合わせた。
「たまには、私と向き合って話をしてくれても罰はあたらないだろう。今日はお前にとってはいい話をもってきた。鳥が歌わないことを教えてやろう。西域の平定を終えて、クラトス・アウリオン将軍が後少しで王都へ凱旋するぞ」
 軍師はその話に何の反応も示さず、型どおりに頭を下げた。
「おめでとうございます。陛下」
「おめでたいのは、お前だろう。ユアン。新年にはあちらを発ったそうだ。お前が助けてやったクラトスがもうすぐ戻ってくる。確かにお前の言ったとおりだった。帝国の盾となってくれたようだ。凱旋するとは思ってもいなかったが、草原全体を手中に収めれば帝国としては文句のつけようもないからね」
「これで西との交易も盛んになりますでしょう。途中で利をとっていた輩も山賊もいなくなります。交易路はわが帝国がおさえたわけですから、陛下の足元でますます王都も繁栄することでしょう」
「帝国のことを考えてくれてありがたいけれど、もっと私のことを考えてくれた方がうれしいよ。ユアン」
「ご冗談を。私は帝国の軍師です」
「冗談ではない。だが、これに関しては互いに言い尽くした。お前がそういう態度をとっている間はここにいてもらうだけだ。だが、その姿を見て、クラトスは何と思うだろうな」
「何も思わないでしょう。私は誰にも会わないのですから」
「ねえ、クラトスを一目見たくないか」
「陛下、私は誰にも会わないと申し上げているではないですか。あのとき約束したことは破りません」
「そうだといいね。もっとも、お前が約束を破ることは不可能だ。だが、クラトスはお前を探すよ」
「警備を厳しくされたのはどなたでしょうか。近頃、大切な養い子の声も聞いておりません。彼女が入れないのなら、他の者など後宮には入れますまい」
「アリシアか。リーガルを通じて何度か会いたいと嘆願が来ているな。しかし、お前は本当にあの子に会いたいだけか。姉さまが大切にしていたのは分かるが、お前が彼女にご執心とは、リーガルも心の底では心配しているかもしれないな」
「マーテルと私が大切にしていたのだ。わが子としてな。ミトス、そんなことまで邪推するな」
「ようやく、名前を呼んでくれたね。しかし、呼ぶなら、もう少し優しく呼んでくれ。だが、お前がアリシアをどう思っていようと、あの子との面会はだめだよ。リーガルやゼロスもお前が出てこないので不審に思っているからね。その姿をアリシアになど見せるわけにはいかない。もちろん、お前をクラトスに会わせるなどはありえないからな。ユアン」
 軍師はうっかり皇帝の揶揄に反応したことに首を振り、再び、冷静に答えを返した。
「陛下、私はすべての力を差し上げました。誓いを再度たてました。あなたが望む通りに証も差し出しました。どうぞ、クラトスのことは放っておいて下さい。私が会うことはございません。これ以上、何を望まれるのです。以前から申し上げておりますように、私の心は差し上げられない。それ以外なら、私の命でも、お望みの物を捧げましょう」
「お前の……。お前の全てだ。だが、お前はそれを寄越さない」
「差し上げた証に免じて、お望み通りにならないことはお許し下さい」
 艶然と微笑んだユアンは皇帝の手をとると、自分の顔へと押し当てた。皇帝は取られた己の手を火傷でもしたかのように振りほどき、しかし、一息吸った後、思い直したかのようにユアンの口を奪った。
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