唐桃

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惜春

 秋には例の高熱の風土病と軍の敗走で浮き足立っていた民も、新年の市が立つあたりには、流行病が治まったこともあり、落ち着きを見せた。西域討伐軍の元で今までよりも治安が良くなったこともあるが、皇帝陛下が西域へのも交易に配慮してくださったのか、新年前に再度税の引き下げと商人達への奨励金を出すとの触れが回った。
 現金なもので、どこへ隠れていたのか、引き上げていった以上の人が集まる。たちどころに新年に向けて至るところで市が開かれ、今まで以上に賑わいだした。
 新年明けには、近隣からも人が集まり、噂を聞きつけて、数日かけて遊牧民達も訪れるようになった。クラトスはすかさず、報奨金をつけて軍への新兵の募集と騎馬の買取を進めた。結果、クラトスが望んでいたよりも早く、彼の軍も減った人数を補うだけの志願兵が加わり、前と同じだけ、騎馬隊の充実を考えれば、それ以上に勢力を取り戻すことができた。


 初春の町の大通りは人でごった返していた。執務をとる旧長官府から新しい長官府へ歩いていく間にも、商人の元気のよい掛け声や、冬場に織った毛織物を高く売ろうとする遊牧民の声が飛び交う。クラトスは自軍の敗退で一度は静まりかえっていた町が俄かに盛り返している様子を安堵の思いで見渡した。
 たまには町の様子も知ろうとクラトスはふらりと大通りから一本曲がった路地へと入る。そこはどうやら食べ物の店が軒を連ねているようだった。湯気のたった屋台を覗き込むと、こちらでは珍しい王都で人気のふかした饅頭や甘い蒸菓子が並んでいる。隣には、このあたりで人気のある羊の焼きぐしが香ばしいにおいを流していた。
 クラトスが足を止めると、屋台の親父がいかにも親しげに声をかけてきた。
「将軍、おかげさまで商売繁盛ですよ。どうです。一本、うちのくしを召し上がってください」
「いや、私は仕事中で……」
「クラトス将軍、何をいつも固いことをおしゃっているのですか。うちの菓子も一緒に食べてください。将軍には皆感謝しております。こちらに足を運んでくださることなんて、滅多にないんですから、どうぞ。うちの菓子はそりゃ評判ですよ」
 隣の屋台の親父も皿をさしだす。困ったように周りを見渡すクラトスに背後から副官が声をかけた。
「クラトス様、たまには休みましょう。長官は遅れたところで文句はおっしゃらないでしょう」
「お前まで何を言い出す」
「クラトス様、民の感謝の気持ち、たまには受け取られた方がよいかと」
 小声で囁く副官の言葉に、護衛の兵達も笑っている。それ以上にいつの間にか、ぐるりと取り囲む人々の笑顔が彼を引き止める。クラトスは側の兵共々、差し出された粗末な椅子に腰をおろした。


 こうして二年目の春には、帝国軍は以前にもまして人数がそろった。西域への攻撃は、前回よりは早い季節に砂漠まで攻め込もうと、進撃は和平を取り付けた南の騎馬族を中心に迅速に行うこととなった。
 クラトスが期待していた以上にすばやく帝国軍は進撃した。わずか一月で草原を掌握し、さらに砂漠地帯の通行路も押さえ、蛮族の国を包囲するまでに前線は展開した。
 順調な進撃の後は、互いににらみ合いの続く不気味な平穏が続いていた。双方とも挑発の攻撃もせず、前回の戦に比べれば、実に静かな者だった。
 緊張続きの戦が一段落するときが一番危ないとは軍師に散々言われていた。クラトスも常にその言葉を胸に行動していた。しかし、ほとんど兵を残したままの快進撃に、彼の心にも、兵達の心に驕りがうまれたのかもしれない。
 見通しのよい平原のそこだけが見張り台のように高くなっている丘上に陣を張った。周りはどこまでも見通しの効く荒地であり、今までのところ砂嵐も起きていなかった。何もかもが順調だった。
 クラトスは常に吹き付ける乾いた西風が天幕を揺るがす音を聞きながら、軍の配置をもう一度確認していた。来週には総攻撃をかけ、敵の喉下にあるオアシスとその先の町を占領するつもりだった。
 騎馬隊同士のぶつかりあいを、背後から数では圧倒的に勝っている帝国軍歩兵が支援するためには、敵をある程度ふところに迎えねばならない。昨年は、向こうの数少ない騎馬兵が撃っては素早く退く戦法に多くの歩兵が倒れた。だから、部隊配置は入念に考えなくてはならない。
 数日内にも総攻撃をする予定だ。
 クラトスは夜の静けさのなか、本陣の天幕で再度自軍の配置を眺めていた。すでに帝国軍が集結したことを向こうも察知している。前回とは異なり、膠着状態とならないように、一気に押し入る。薄い部分をついてからの部隊展開について散々討議をし尽くし、ついに戦の手順は決められた。主だった師団長や大隊長は各自の部隊に指示を出すために戻っていった。
 春も盛りになろうとするその季節、新月で闇に覆われた陣地は風もなく静まり返っていた。そこだけ独立しているクラトスの本陣は数十名の精鋭に守られ、人の出入りも今日は途絶えていた。クラトスは何度も検討したとは言えども見落としが無いかと、地図を広げ、一人で見入っていた。己の立てた作戦を再度検討するにはちょうど良かった。


 突然の気配にクラトスは顔を上げた。貴重な油を無駄しないよう、彼の手元にしかつけていない灯が揺らめいた。何かがいつもと違う。さして風もない日のはずなのに、陣の外に動きが感じられた。さきほどまでかすかに聞こえていた、草ずれの音ではない。
「どうした」
 彼が声をかけた瞬間に、ひゅんと矢でも振ってきた音がした。ばさりと天幕の入り口が引き上げられ、真っ青な顔した当番兵が彼の方へ向かって倒れかかってきた。無言で背後から黒い影が飛んでくる。その途端に外で別の兵のうめき声が響いた。
「夜襲です。お気をつけください」
 天幕の外にせっぱつまった兵の声が聞こえた。夜陰に乗じて、先に動き出したのは敵の方だった。騎馬の動き回る音、彼の陣の馬がいななく声、剣がぶつかりあう音、一気に怒号が飛び交い、人が走る気配が聞こえる。
 クラトスは襲い掛かる影をかろうじて避けると、敵は今まで彼が向かっていた床机へとぶつかった。そのとたん、天幕の唯一の灯が消えた。狭い暗闇での戦いは夜目の利く騎馬民族相手には不利だ。クラトスは剣を腰に帯びたままであったことを神に感謝し、手探りで背後に置いた盾を掴んだ。起き上がったとたん、彼に遅いかかる敵を避け、背後に下がり、天幕の奥を切り裂き、自ら外へと飛び出す。
 倒された篝火が地面に転がり、どちらが敵で味方かも分からない中、互いに激しく切り結ぶ人影が天幕へ映る。飛び出したクラトスに向かい、闇の中から騎馬が数頭近づいてくる音がする。クラトスはそのまま盾で防ぎながら、音のする方へと走り寄った。彼の動きが予想外だったのか、勢いをつけた騎馬は彼を通り過ぎる。通りすがりに突き出された槍を渾身の力をこめて奪い取ると、一人は地面へと放り出されたようだった。
 さすがは砂漠の遊牧の民である。勢いあまって彼を通り過ぎた騎馬は器用に向きを変え、再び、彼へと狙いを定める。おそらく、急襲して、彼の首を討ち取ることが目的に違いない。攻め入ってきたには、手数が少ない。そんなことを考えながら、クラトスは自らに襲い掛かる数騎の動きを伺う。
 この暗闇の中、彼が槍を持っているとは気づかないのか、極近くに寄ってくる気配に脇を固めて槍を構える。彼が一歩飛びのいた上を敵の剣が空を切る。その背に向かって、一気に槍を突き出し、手ごたえを感じる間もなく、引きぬく。目の前に突き出された剣を盾ではじき、引き抜いた槍をそのまま上へと突き出した。
「クラトス様」
 背後から自軍の兵の叫び声が聞こえた。
 慌てて飛びのく彼の鼻先に槍が突き出され、彼は倒れている敵に足を取られて地へと倒れこむ。すぐ脇にまた槍がつきこまれた。クラトスはどうにかそれを身をよじって避けると、馬の足へと槍を放り投げ、剣を抜いて立ち上がる。
 背後から自分の兵達が駆け寄ってくる気配を感じた。目の前の敵はその様子に逃げるでもなく、槍を構えたかと思うと、真っ直ぐクラトスへ突っ込んでくる。後ろから矢がうなりをたてて敵兵へ向かうのと、クラトスの脇に槍が突き出されるのはほとんど同時だった。
 脇腹に灼熱の鉄棒をつきこまれたような感触に、クラトスは敵を一瞬見失った。声にも出せないほどの衝撃を地に剣をつきたてて、自分を支える。すぐ脇で、馬と敵がそのままどうと倒れる音がした。
 目の前が真っ赤に燃え上がり、息が止まったかのように体が硬直した。
「クラトス様」
「将軍」
 誰かの手が崩れ折れようとするクラトスの体を支えた。
「敵を全て討て。生きて一人たりとも返すな」
 苦しい息を抑えて、クラトスが命じた。脇腹に刺さったままの槍が彼が息をするたびに震えていた。

 
 クラトスの傷は深かった。敵の奇襲はクラトスの首を取らずともそれに近い成果をあげたと言ってよかった。暗闇のなか、的確に本陣だけを狙い、準備万端と思われた帝国軍へ衝撃と動揺を与えた。
 陣地の天幕の中で、クラトスは高熱に苦しんでいる。奇襲でやられた傷は脇腹から奥へと入り込み、一日たっても血は止まらなかった。それどころか、相手の槍に何かしかけてあったのか、ただの切り傷だったはずが、深く中まで腫上がりじくじくと黒い血がこぼれ出す。
 その晩、もっとも前線に位置する第一大隊に奇襲がかけられた。数で遥かに劣る蛮族もこちらと同じく先制攻撃の機会を当然うかがっていたはずだ。分かっていながら、クラトスの負傷に気を取られていた前線は予想外の被害を被った。
 将が倒れれば、軍も動揺する。数回の奇襲攻撃には、どうにか前線も持ちこたえていた。だが、クラトスの容態を懸念した将校達は本陣を含めた数部隊を後退せた。待っていたかのように蛮族の攻撃は激しくなり、手薄な前線は対応することがきなかった。一週間かけて得た地歩をわずか二日で失うという最も悪い形で帝国軍はじりじりと全軍が後退を始めた。
 放っている間者と斥候の報告から、相手側の準備が予想以上に整っていることが分かると、クラトスを欠いた将校の間には重苦しい空気が流れた。
 士気が落ちることを見越したかのように、再度、騎馬軍団による夜襲がかけられ、帝国軍はまたもやなす術もなく退却を余儀なくされた。
 

 クラトスは草原の西端まで下がった本陣で前線から送られてくる報告を痛みをこらえて聞いていた。まだまだ、数でも力でも圧倒しているはずの帝国軍は繰り返される波状攻撃にすっかり足並みを乱していた。整然とした連携するはずのそれぞれの大隊がちぐはぐに動いては、隙を敵につかれていた。
 動けない将軍を庇おうと、下がるべきときも下がれないままでは、じわじわと押し寄せられるだけだ。クラトスは再び全面撤退を命じなくてはならないことを悟った。二度も下がる将軍に誰がついてきてくれるだろうか。度重なる失態は取り返しがつかないだろう。
 だが、この場で無駄に多くの兵の命を失っては、巻き返しも覚束ない。都からの沙汰は命あって聞けるものだ。まだ戦えると主張する将校達をどうにか説得し、帝国軍は再び草原の道を背後へと撤退を始めた。
 クラトスは皆が止めるのも聞かず、剣を持ち、最後尾の第四大隊と一緒に移動を始めた。一週間たっても治る気配を見せない傷は、焼け付くような痛みを伴い、高熱と共に彼を苛んだ。しかし、この場を最初に去るなど、決して彼にはできなかった。クラトスの気性をすでによく分かっている将校も兵も頑固に言うことを聞かない将軍を包み込むように布陣をしきながら、全速力で後退する。
 将軍はその兵を守らねばならない。自らの命と引き換えることはあってはならないが、配下の兵の敗走を高みで見ることもあってはならない。退却こそが一番難しい。後退するときこそ、乱れてはならない。必ず、討ち返せるよう布陣をとれ。
 以前に軍師に教えられた言葉を思い出し、総崩れになりかけた兵達の隊列を立て直し、一番薄い中央の部分で敵の攻撃を自ら受け止めた。クラトスの明確な意志は、いったん逃げ腰になっていた他の将兵達にも伝わり、細く長い敵の攻撃を脇から切り崩そうと兵達が動き出すのが感じられた。
 敵も後退を始めた帝国軍の動きに気づき、すかさず、クラトスいる中央へと激しく攻め込んでくる。突出してくる敵軍を横から味方が分断するが、それでも敵の攻撃は執拗で厳しいものであった。
 途切れることなく降ってくる矢を防ぎ、突き出される槍をなぎ払う。剣は血しぶきで滑り、盾にはいくつもの矢が刺さったままだった。燃えるような熱とわき腹の傷の痛みに何度も気が遠くなりそうなった。その度に胸にある宝玉に盾を持っている手をあて、まるで幼い頃の祈りのように、無心にかの人の名前をつぶやいた。


 満天の星空の中、彼を守り通そうと戦い抜いた小隊と共に、クラトスは一月前に出陣を果たした町まで戻ってきた。陣地はごった返し、しかし、敗走してきた割に兵達の士気は落ちていなかった。かすむ目で戻ってきた先を振り返る。遥か先まで何も見えなかった。この数日で踏破した距離はもう誰も正確にはわかっていなかった。全員、馬も人も立っていられることが不思議なくらいだった。
「よいか。敵は我らの敗走に慢心している。手傷のない者で隊を組みなおし、守りを固めろ。一日でこの距離だ。あちらの軍団も全てが移動できるはずもない。おそらく、前衛の騎馬隊だけのはず。まだ、数は少ないはずだ。町だけは死守しろ」
 背後の守りにと、この町に残した副官が彼の足元に近寄る。搾り出すように指示を与える。副官が確かに彼の与えた命を復唱したことを確認すると、とてつもない疲労感がクラトスを襲った。
 主と同じだけ疲れきり、傷ついた馬がよろけたかと思うと崩れ落ちるように倒れた。ここまで自分をよくぞ連れ帰ってくれた。そう声を掛けたかったが、もうクラトスは自分の体を動かすことができなかった。倒れる馬が傾けば、クラトスはずるりと馬の背から滑り落ちた。手が空を掴み、足は意志に反して体を支えない。
 彼の専属の下士官が慌てて抱きとめる中で気が遠くなる。煌く星がいつも彼を覗き込むユアンの優しい青い目に見えた。
 息もできない胸の苦しさに、抑えてもあふれ出す血に、周囲の人々の驚いている表情に彼は生きては王都には戻れないことを薄れゆく意識に中で感じた。最後に宝玉が再び胸の上で熱くなったことだけがわかった。
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