唐桃

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陽だまり

 冬にしてはのどかな日の差しこむなか、ユアンはこじんまりとしたその家の中を気の向くままに歩いていた。前に使っていた持ち主は明るい家が好みだったのか、土壁は全体に白を基調に塗られており、どの部屋も小さいながらも居心地が良さそうだった。



 無事にアリシアが男子を出産したとリーガルから報告を受けたのが秋も早いころだった。まだ、そうも動けないだろうと思っていたアリシアから数週間前に文が届いた。ブライアン家の数多い親戚に、年老いた一人者がいて、広い屋敷の面倒は大変となったのでリーガルを介して、人に貸したいと言ってきたと書いてあった。
 軍師はその手紙と一緒にクラトスからの短い書状も手にしていた。これは何かの知らせかもしれない。そんな予感がして、すぐさまアリシアにこっそりと訪れたいと返事を返した。
 会議後の雑談ついでに、娘の子供の顔を見たいと言えば、皇帝はたいして気がなさそうな態度で、彼がお忍びで城下に行くことを認めた。
「お前が小さな子に興味があるとは知らなかったよ」
「ミトス、私とマーテルはいつだって子が授かることを望んでいた。もう、忘れたのか」
「ユアン、それは昔の話だ。姉さまと一緒のときならともかく、お前は一人になっても、赤子に興味があるのかい」
 ミトスは不思議そうに軍師に尋ねる。
「アリシアの子供だ。それに、あんなに小さいのに生きている。実に興味深いじゃないか。ミトスは赤ん坊を抱いてみたいと思わないか」
「そうだね。お前が抱いている姿は見たいかもしれない。似合いそうだ。いっそ、リーガルに後宮に連れてこさせてはどうだ」
「ミトス、馬鹿なことを言うな。まだ、ほんの生まれたてだ。ブライアン家の後取りと言えども、王宮にあがらせるのは無理だ」
「まあ、娘の顔でも見てゆっくりしてくればいい。私の顔はたいして見もしないくせに、アリシアのことは忘れないのだね」
 皇帝はそう言いながら、軍師の肩からこぼれている髪を掬うと、口元へと持っていった。
「ミトス、やめろ。他の者が驚いてる」
 軍師は私室でもないのに親密に振舞う皇帝の仕草に声を落として止めた。会議室の脇で二人の会話が終わるのを待って控えている文官にかすかな漣が走ったことが分かった。
「ユアン、他の者に見られると都合が悪いかい」
 ミトスの目の奥の暗い影はなんだろう。クラトスが離れて、一度は落ち着いていたと思っていたミトスの表情にユアンは胸騒ぎを覚える。宴席でのほのめかしにも、遠まわしな夜の私室への誘いも、やんわりと断り続けている。それが分からないはずがない。
「陛下、お戯れはご無用に。女官と間違えられるにはいささかむさ苦しい身です」
 軍師は立ち上がり様に目を逸らしたまま、再度、皇帝に釘をさした。
「いやいや、私も間違えてしまいそうですよ」
 いつの間にか脇にきたゼロスがさっとその場を引き取った。ゼロスの明るい声に周りの文官達も軽く笑いをこぼす。
「お前が間違えるはずはなかろう。真の闇でいちばん美しい女子の手をとれると豪語していたそうではないか」 
 これ幸いと笑いのめして、ゼロスの肩をたたき、皇帝を振り返れば、さきほど彼が認めた暗い影は霧散し、ミトスも皆に合わせて笑っていた。



 リーガルの豪壮な屋敷に着くと、すでにアリシアが準備はすませてくれていた。小さな輿と二名ほどの従者だけで裏口からユアンは忍び出た。
「お父様、私が直接ご案内したいところですが、何分にも人目もございますので、お一人でお願いいたします」
「いや、ここまで気をつかってくれてありがとう。お前のおめがねに適った場所だ。きっと気にいるはずだ」
「リーガル様には少々お父様のご事情をお話しさせていただきましたけど、よろしかったでしょうか」
「それは構わない。いや、リーガルはとっくに私たちのことは気づいていると思っていたが」
「ええ、リーガル様もご存知です。そうではなくて、内密にことを運ばなくてはならない理由を……」
「そちらもさすがに分かっているのではないか」
「薄々とは。お父様、やはりご心痛ですの」
「あれを説得するのは、クラトスに私の前で自由に振舞えと言うより難しい」
「お父様……」
「お前が察しているように、まだまだ時間がかかる。だが、クラトスが戻ってくるまでにはどうにかするつもりだ。さて、日が高いうちに見に行くとしよう」



 案内された館は王宮を見下ろす南斜面の小高い位置に建っていた。自然の丘陵をそのまま広く庭としてとり、奥にひっそりと館がある。門で輿を降りたユアンは、冬とはいえでも風もなく暖かい日差しのなか、のんびりと館まで歩いた。隣にクラトスがいれば、さぞかし嬉しそうに周りの木々を見るだろう。よく手入れされた木々の間にこれまた形のよい置石や不思議な獣を模った石像が配置され、先に住んでいた人の趣味の良さが感じられた。
 近寄るにつれ、古びているように感じていた館はきちんと手入れされ、後宮のような豪奢な造りではないが、長く大切にされてきたことが分かった。住む人が慈しんできたことがわかる。クラトスもここにくれば、もっとのびのびと彼の側にいてくれるだろう。懐にいれてきたクラトスの書状をそっと手で押さえた。
 南に面した明るく、他よりも少し広い部屋からなだらかに続く庭を見る。ここに椅子をおき、扉を開けたまま、小さな回廊を通して四季の移り変わりを楽しめば、話もずいぶんと弾むだろう。隣に続いている部屋は寝室とし、小さな中庭を挟んで向かいの二部屋を仕事を執ったり個人のことをする部屋に分ければいいだろう。
 しばらくは、アリシアの目の確かさに感謝しながら、家をぐるりと一渡り見回った。高揚した気持ちが落ち着いてくると、これからの予定をぼんやりと考え始めた。この前まで人が住まっていたとはいえ、多少の手入れは必要だろう。置く調度も長春宮と同じとはいかない。それに、なによりもミトスだ。
 皇帝を思えば、嫌でも先日のミトスの眼差しが浮かび上がってきた。確かに、あのやりとりの後、ミトスも言い争いを繰返そうとはしていない。だが、納得しているとはとうてい言いがたい。それどころか、ふと触れるミトスの指先に、たまに口元に笑みを浮かべながらも何も感情を浮かべない碧玉の目に、黙って背後にいる気配に、言い出そうとした言葉を何回も飲み込んできた。
 先日の王宮でのやりとりに不安を覚えていたユアンは、家のいかにも暖かい雰囲気にほっとした。さきほど気に入った部屋の陽だまりの壁に寄りかかり、クラトスからの書状を取り出し、もう一度開いた。何回読んだろうか。もう、一字一句諳んじることができた。
 冬の厳しさにも兵の士気は高く、一度の退却くらいでは帝国軍としての誇りを失っていないと、最初の書き出しから高い調子で書いてあった。いつものクラトスなら、冬の描写を淡々と書くことはあっても、決してあんなことは書いてこない。自分に不安を気取らせまいと、不器用に努力している恋人に苦笑いが浮かぶ。強がってみせるのはお互い様かもしれないが、問題に直面しているのは、クラトスだ。ゼロスにもう少しだけ税を下げて、隊商の行き来を奨励するように言わなくてはならないだろう。
 西の方を向けば、いつの間にかときが過ぎ、冬の日は早くも地平線へ落ちようとしていた。沈む日にむかって、その真紅よりも赤い貴石に触れ、クラトスの無事を祈る。彼の指先に、祈りの言葉に呼応するように、温かい気がめぐった。
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