唐桃

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出立

 太和殿前面に広がる広場に、クラトスは自らの手勢二百名と討伐軍の将校二百名を背後に従えて、皇帝陛下の臨席を待つ。すでに二万弱の兵達は王都郊外に移動し、クラトスが来るのを待っているはずだ。
 秋の日差しは高く、風は清々しかった。皇帝だけが通ることを許される見事に竜が彫りだされた一枚岩の大理石の階段の下で直立不動で待つ。見下ろす白色の大理石は日を反射し、目に眩しかった。
 皇帝の登場を告げる銅鑼の音がする。
 皇帝陛下の背後には、きっと、あの方もいるだろう。だから、じっと見てはいけない。皇帝陛下の前で泣いてはいけない。クラトスはまっすぐと進んでくる皇帝の姿を膝をつき、正面を向いたまま待ち受ける。
 秋に相応しい赤に大きく金糸で鳳凰が入れられた衣装は皇帝の威厳をよく表していた。秋の柔らかい日差しが帝国でも珍しい美しい金髪を輝かせ、まるで神の祝福が与えられているようだった。クラトスはその姿に礼をとらなくてはならない、背後を見てはいけないと思いながらも、目線はその先を彷徨った。
 皇帝の軍師がいつものように数歩下がった位置についてくるのが目に入った。最初に出会ったときと同じ濃紺の長衣に金糸で唐草模様と皇帝の文様が縫い取りされた上に銀糸で細かく竜が巻きつく文様が浮かび上がっている。秋風に長い髪の毛先がふわりと広がり、まるで羽のように見えた。彼があの服が好きだと言ったことを覚えていてくださったのだと思い、こんな公式の場にありながら、胸が熱くなった。
 いかにも大軍を率いるだけの風格を備えてきた武官は彼の足元で深く礼を取る。紫紺の帝国軍の軍旗と同じ衣服を纏い、出征の祝いにと自らが与えた白銀の甲冑で隙なく身支度をしている。籠手に見事に打ち出された細かい唐草模様に秋の日が映え、武官が小脇に抱える冑も曇り一つなかった。相当な重量の甲冑をつけながら、軽くきびきびとした身のこなしは武官の鏡だ。
 立派なものだ。さすが皇帝陛下から見出されたことだけはある。そんな空気が彼の背後に立ち並ぶ帝臣たちからあふれ出る。
 軍師だけが彼の背後で静かに普段と変わらず立っている。彼がしきる三文芝居を終わるのを待っているのだ。これで邪魔者はいなくなるのだから、軍師がいつもとおり冷静な振りをしていることを邪魔するつもりはない。
 軍師は彼との言い争いの後、二度とその話を蒸し返すことはなかった。思い返してくれと、クラトスを都に留めおいてくれと、彼に頼みに来るのではないかと待っていた。そんな彼の思いをことさら無視するかのように、軍師は彼が提案した西方配備に関し、クラトスの出陣も含め、淡々と手筈を整えていた。心ならずも期待すると言った手前、軍師が奔走することを止めるわけにはいかなかった。
 軍師が彼が作り上げた筋書きに従うと言うなら、それを邪魔することはない。目障りな者が旅立てば、後は時間が解決するはずだ。ゆっくりと待てばいい。彼は自らに言い聞かせきた。軍師とあの武官が同じ空気を吸っていることさえ許せないほどの、胸の中の燻りをだまし、だまし過ごしてきた。今日で、今まで感じたこともないこの焦燥感も消えるのだ。後少しだ。
 だが、彼は、礼を取る前に武官がちらりと彼の背後を見たことに気づいていた。武官に見つめられた瞬間に背後の者が軽く気を抑えたことも分かった。とたんに、着ている正装よりも濃い紅蓮の炎が胸の内に燃え上がった。帝国の臣がずらりと並んでいなければ、背後の者に帰れと怒鳴るところだった。
 自らが仕掛けた芝居をぶち壊してはならない。自らに再度言い聞かせる。
「西域征討将軍、クラトス・アウリオン、ご挨拶に参りました」
 いつものように冷静で低い声が聞こえる。透明で真っ直ぐな気が漂う。こいつがこんな気を出すから、ユアンはいつまで立っても惑わされているのだ。だが、それも今日までだ。
 西域で怪しい病が流行りだし、多くの民が倒れているとの情報を昨晩手にした。もちろん、背後の軍師にも、前で畏まって跪き忠義者のふりをする武官にも伝えてはいない。このまま、真っ直ぐに進んで、二度と帰らなければいい。
 一瞬だけ、声をかけるのが遅くなった。ユアンが不安そうに身じろぎしたのが分かった。
「クラトス、ご苦労だ。短い期間であるにも関わらず、見事な準備であった。難しい情勢ではあるが成果を待っているぞ」
 クラトスが足元でさらに深く礼をとり、そして、直立不動の姿勢に戻った。
「お前達の武勇を天に祈る」
 皇帝が一段と高く声をあげ、持っている剣を掲げれば、秋の日差しにきらりと輝いた。将兵たちもその声に一斉に剣を掲げ、高らかに法螺が鳴らされた。
 クラトスは冑をかぶり、剣を掲げたまま、一礼をとり、儀礼に従って剣をしまった。くるりと向きかえ、そのまま真っ直ぐに天空門へと歩き出す。一連の滑らかな動作は確かに美しく、乱れは少しも感じられない。
 だが、皇帝は意気軒昂に見える将軍がちらりと透明な気を乱し、軍師が軽くそれに答えたことが分かった。透明な空気の下、皇帝にしか分からない微妙は気の流れは鳥のはばたきのようにわずかな波紋を残して消えた。背筋を伸ばした堂々たる帝国の将の後を将兵たちが見事な足並みでついていく。
 皇帝はいつもとは異なり、最後の兵が天空門を出て行くまで、太和殿前に立っていた。
 軍師以外の皆は、自分がこの西域平定に並々ならぬ期待を持っていると勘違いするだろう。ユアンには不安に思わせておけばいい。うんと不安にさせれば、何を考えているのか探るために、きっと、彼の元にやってくるはずだ。
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