唐桃

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春疾風(二)

 互いの目線が再び交わり、皇帝はユアンの激している様に、用意していた言い訳は役に立たないことがわかった。それどころか、軍師の想像以上に真剣な表情に胸の奥で燻っている嫉妬と怒りがまたこみ上げて来た。
 見せるべきでないと考えていた態度が抑えられず、言うべきでないと思っていた言葉が口をついて出る。
「なんだと言われても、変えるつもりはないよ。そんなに大切かい。お前が血相を変えてまで私の部屋に来るなど、何ヶ月ぶりだろうね」
 ユアンはその言葉にわずかに息をのみ、何かを言おうと口を開いた。しかし、さすがというべきか、帝国の軍師はもう一度口を閉じて息を整えると、しごく冷静な口調で話し始めた。青白い鬼火のように冷たく燃え上がっていたユアンの気がすっと治まった。とたんに、同調していたミトスの腰の剣も静まる。
「ミトス、あのような有能な人材をいきなり死地においやるのは褒められたことではない。有能な武官はきちんと育てなくては帝国を駄目にする。それに、この数年の準備が無駄になるではないか。このままでは、私達が作り上げてきた予定がみな大幅に狂ってしまう。それでは、今までの兵達の働きも時間も経費ももったいない」
 まるで動じていないかのように振舞い、いつものように語ろうとする軍師に、ミトスは苛立つ。思いもかけない苦々しい気持ちが湧き上がり、さらに子供じみた言葉を軍師にかける。
「名前ぐらい呼んであげたら、どうなの。確かにクラトスは有能すぎる。お前の心を捕えるなぞ、一介の将校がすべきことではない」
「ミトス、私情で国を動かすな」
「私情で私を訪ねてきているのは誰なんだ。いつまでも、私を騙しとおせるとは思っていないだろう。ユアン、知らないと思っているの」
「ミトス、我々のことをお前が気に入らないのなら、そう言ってくれ。私個人のことなら、どうにでもケリをつけよう。だが、彼は未来ある有能な将軍だ。必ずや、この帝国の盾となる器だ。だが、今はまだ西域に送るには若すぎる。彼にはあそこを治めるだけの経験がない。無駄に西域などに送っては大いなる損失だ」 
 軍師が他人のように語り始めるクラトスの評価に、ミトスはきっぱりとその言葉を遮った。これ以上、ユアンの口からクラトスの話を聞く気は毛頭なかった。
「クラトスのことはやけに詳しいんだね。お前達が情を通じていることは知っているよ。すっかり、クラトスには騙された。あんな大人しい顔をして、私のために、いや、帝国のために剣を振るうと誓ったはずなのに。まるで泥棒猫だ」
 さすがの軍師もその言葉には反応した。
「クラトスを貶めるようなことを言うな。確かに私とクラトスは愛し合っている。だが、決してお前を騙そうとしていた訳ではない。しかるべき時期がきたら、お前には話すつもりだった。彼は忠実に帝国に尽くしている」
「そうだね。帝国に尽くしている。その通りだ。だが、私を裏切った。お前を手にした」
「ミトス、私は誰のものでもない」
「お前はいつも私だけ見ないのだな。最初は姉さまで、今度はクラトスかい」
「ミトス、何を言っている。前にも言っただろう。私はお前に誓った。お前に全ての力を渡した。誓いは違わない。だから、……。だから、お前の気の及ぶ場所から離れることもない」
 そうだ。私の側から放すことはない。今まで自由にさせすぎた。私がいるから、お前もここにいるのだ。
 強情に事実しか言わない軍師に、決して彼の望むとおりに行動をしない者へ言ってはならない言葉が出てしまう。聞かなくても答えが分かっている問い。
「もう、二度とクラトスと会わないと誓えるかい。私の側を決して離れないと約束できるかい」
 軍師はきっぱりと首を横に振った。予想通りの反応。嘘はつかないし、嘘をつこうともしない。偽りの言葉でよいから、ただのまやかしの優しさでよいから、あの裏切り者へ見せる想いのわずかでいいから、見せてくれればいいのに。いっそ、何の想いがなくとも触れてくれれば、それだけでも良かった。
「私とお前の誓いはすでにお前の剣に預けてある。二重に誓願できないことを知っているだろう。それに、私とクラトスはすでに誓い合っているのだ」
 ミトスは深いため息を漏らした。どこぞの庶民のように、あんな田舎者に何の操を立てようとするのだろう。私のことさえ気にかけてくれれば、愛人の一人や二人、どうでもいいことなのに。後宮にいてそんなことも分からないのだろうか。そう言ってやれば、別の答えを返すだろうか。
 ありえない。こんな男だから、姉が夢中になったと今気づく。姉のときだって、馬鹿みたいに他の女を寄せ付けなかった。かえって、マーテルの方が子ができないことを気に病んで、何人かの側女を呼ぼうとしたほどだ。案の定、マーテル以外の女には、いや、彼にさえ、目もくれなかった。
 姉なら多少のことは我慢できた。だが、今度のできごとはさすがに許せない。
「いつでも杓子定規に答えを返すね。いっそ、この剣を折り、お前の力をすべて解放し、新たな誓願を立ててもらえばいいのかな」
 帝国の礎である剣を放棄するようなミトスの言葉にユアンが驚愕と困惑をない混ぜたような表情を見せた。それが益々皇帝をいらだたせる。クラトスや姉を見るように、どうして、彼のことをミトスとして見ることさえしないのだろう。彼を通して、その先の帝国しか考えていないことが苦しい。
「ミトス……」
 軍師が呼びかける彼の名前が、ただ「皇帝陛下」と声をかけられるよりも、この瞬間不愉快に感じられる。それは、軍師が彼個人には何の興味もなく、ミトスという透明な器の先にあるものに呼びかけていることを、まざまざと教えてくれた。
 お前が見ようとしないことは分かっている。もっと前から、何を見るべきなのか分からせれば良かった。気づくのが遅すぎた。
「確かにお前の力を解放するには、もう剣と気が強く結びついているな」
 苦しそうに首を振るユアンを皇帝はじっと眺めた。後数ヶ月もすれば、目先の邪魔者は皆の祝福と共にいなくなる。後はゆっくりと時間をかけて、誰が何を望んでいるのか、もう一度教えてあげよう。
「お前は私に再度誓えない。だから、クラトスには西域で帝国の盾として、お前が言うところの器の力を精々発揮してもらうよ」
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