唐桃

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西の古都(二)

 皇帝の身内を迎えるということで、地方長官の館は大わらわであった。二週間前から始められた準備もいよいよ終わりを向かえ、隅から隅まで掃き清められた館には、華やかな王宮の侍従や女官、護衛の近衛師団で溢れかえっている。
 夕刻、賓客達が落ち着けば、まずはこの地方の現在の情勢について、行政の長たる地方長官と皇帝の命でここに駐屯するクラトスによる報告が行われた。軍師はおとなしく聞いているだけで、リーガル大将軍が簡単な質問をすれば、あっさりと会議は終わり、そのまま宴の席へと移る。
 地方の有力者を集めた宴は、この地方の物産の豊かさを見せるための重要な場であり、また、この席での会話こそが現在の実質の情勢を知る一番の手がかりでもある。
 上の席に、地方長官に案内されて、軍師が娘を伴い、大将軍を従えて、姿を見せれば、ざわめいていた宴席もしばし沈黙が降りる。
 軍師は旅装を解いて、濃い紺にも紫にも見える光沢のある絹に金糸、銀糸でこの地方で尊ばれている鳳凰を唐草に絡ませて縫い取りしたものを纏っていた。アリシアはその軍師の出で立ちに合わせ、緋の色を淡く染めた地に同じく見事に麒麟が空を駆ける姿を組み合わせた刺繍をされた衣にきっちりと紺の帯を締め、薄い紅の紗の布をその上に配していた。リーガルもアリシアが見立てたのだろうか、いつもの地味な武官服とは異なり、はっきりとした濃緑の地に白と薄い黄を配した襟の高い服を着て、おそらく皇帝陛下から賜ったと思しき虹色に輝く象嵌を施された剣を佩いていた。
 現れた軍師達のきらびやかな姿に、さすがに皇帝陛下のお身内と皆が感嘆している。王宮でも皆が誉めそやす軍師の姿は、周囲の人々の目を引き付けずにはいられない。もちろん、長官を挟んで座るアリシアや、その反対に長官の夫人をはさんで座るリーガルもそれは立派だ。
 この辺りでは滅多に見られない方々を無遠慮にじっと眺める有力者の眼差しや軍師の隣に侍る長官の何がおかしいのか遠慮のない笑い声が、大きく響いた。軍師のそつのない姿は、もちろん、この場にふさわしいものであり、感心こそすれ、文句をつけられるものではない。だが、そうは分かっていてもクラトスの心を逆撫でした。
 辛い郷土料理によく合うこの地方特有のやや癖のある強い蒸留酒が、このときとばかりに、ふんだんに供されている。クラトスもいまや帝国の将軍の一人であるから、上の席を与えられている。結果、軍師の近くに座ることになってしまう。
 王宮にいれば、黙って人影からかの人を見ているだけだったが、このような場所では、聞きたくなくても、機嫌よく会話を交わす軍師と周りの声が耳に入る。クラトスは、隣に座るこの町で一番大きな宿屋を切り盛りしている年配の男に勧められるまま、強い酒を勢いよく煽った。
 宴もたけなわとなり、この町の選りすぐりの娘達が中庭で踊りを披露する。クラトスは、乾燥した空気の中に異国情緒溢れる笛と琴の音に気を紛らわそうと、かがり火で明々と照らされた中庭の様子をじっと眺めていた。
 だが、抑えても、かすかに聞こえる青い髪の麗人の笑い声が空に響き、よく透る声による即妙なやり取りが耳を木霊す。クラトスは頭を軽く振った。酔いが廻ってきたのか、これ以上、軍師の方を見ずにはいられそうもない。自分が何をしでかすのか自信が持てず、クラトスは見るでもなく、前の光景に目をやったまま、動かずにいた。
「どうです。お気に入りの子でもいらっしゃいますか」
 彼のじっと前を見据える姿に勘違いしたのだろう。隣に座った男が耳元で尋ねる。そういえば、この男の宿屋の裏には、そういう場所があったなと、ぼんやりし始めた頭で考える。
「いや、そういうわけでは」
「クラトス様はまだお一人とか。このような地方の町では何かご不便でしょう。お寂しいようでしたら、気に入った子をおしゃっていただければ、お慰めになるかと」
 そうだ。この男は以前から駐留している彼の部隊に何かと便宜を図ろうとしていた。すでに数回は彼の宿舎にも挨拶に来ていた。おそらく、彼の商売の安全でも頼みたいのだろうか。
「気遣いはありがたいが、……」
「そう、おっしゃらず。クラトス様でしたら、どの子でも……」
 男がさらに身を寄せて、誘いをかけようとしたそのとき、背後にかの人の気配を感じた。
「クラトス、疲れたから部屋に戻る。明日までに話したいことがあるから、案内しろ」
 先ほどまでの機嫌が嘘だったかのように険しい声を出す軍師に、クラトスも、周りの者達も膝をつき、頭を下げる。軍師の背後には、共に席を立ったのだろう。リーガル大将軍がどうしたものかと困り顔をして従っている。
「ユアン様、長官の召使に案内を頼めば……」
「私はクラトスと話があるのだ。リーガル、お前は黙っていろ」
 賓客の剣幕に、地方長官も困惑して、左右を眺めている。アリシアが慣れたように立ち上がると、さりげなくリーガルの横に立ち、尋ねた。
「ユアン様、何かお気に召さないことでもございましたでしょうか」
「いや、アリシア、お前はリーガルともう少し楽しんでいなさい」
「ユアン様、お疲れなら、私も同道いたしましょうか」
 リーガル大将軍も滅多に見ない軍師の姿に首を傾げ、苛立ちを隠さない貴人の足元で何を言われているのか納得していない風のクラトスを眺めながら、尋ねた。
「別に嫌なことは何もない。ただ、疲れただけだ。リーガル、お前は、私に代わって長官に明日の行く先について話を聞いておいてくれ」
 軍師が目を逸らせたまま答えると、アリシアが軽くリーガルの肘を引き、軍師の言葉に頭を下げた。
「では、クラトス様、よろしくお願いいたします。私とリーガル様は後ほど、ユアン様のご機嫌を伺いに参ります」
 ちらりとアリシアと目を合わせた大将軍もアリシアの言葉に合わせて頭を下げれば、「ほら、行くぞ」と軍師はクラトスを促した。
 クラトスは、一気に強い酒を呷ったせいか、ややふらつく足をごまかすように、ゆっくりと立ち上がった。
「ユアン様、ご案内いたします。すまないが、そういうわけで、先にはずさせてもらうよ」
「クラトス様、こちらこそ、お隣で楽しませていただきました。どうぞ、ご用がございましたら、いつでもお申し付けください」
 隣の席の商人も、再度拝頭した。
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