唐桃

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西の古都(一)

 秋の気配が濃くなる頃、皇帝は西の街道の整備に本腰を入れ始めた。 王都の北方は高く険しい山が連なり、その先は人も住まない荒野が続く。一方、東はリーガル大将軍の活躍により、南は先の自らの進軍により、帝国による支配は揺ぎ無いものとなっている。
 南の穀倉地帯を手中に収めたことにより、王都は東と南の地域の流通の拠点ともなり、その繁栄は今までにないほどであった。先月の夏祭りも王都は人で溢れかえり、賑わっていた。それにも関わらず、治安は安定しており、民の生活がそれなりに豊かに、安定したものになったことを教えた。
 皇帝は、すでに西に軍を配置し始めたリーガル大将軍とすでに実質宰相として国を仕切るゼロスを呼び出し、軍師と散々話し合った末の西への攻略について指示を出した。
 帝国の版図に収まっている西の地域は緩やかに起伏をあげる広大な草原と人々もまばらな砂漠、さらには帝国の守り神であり、皇帝の祖とも言われる竜が住まう真っ白な高い山までと以前から考えられていた。しかし、王都まで運ばれてくる精巧な金貨や帝国の職人では作り出せない繊細なガラス細工から、その遥か先に全く文化の異なる強大な国があることは王都でも知られていた。
 西方の神秘の峰々の先まで伸びる交易路の確保とその間に点々と存在する交易拠点の確保は、帝国の繁栄のために必要であると皇帝が唱えれば、守らねばならない道の長さにあまり良い顔をしない軍師も否とはいえなかった。
 皇帝の強い意向により、まずは大河に沿った港町を拠点として街道の整備が始まった。クラトスは王都警備隊の主要部隊をその町に駐屯させ、自らもしばらくの間、監督のために出向くこととなった。


 王都から馬を飛ばして二日の距離にある、西街道では最大の都市は帝国よりも遥か昔に興った国の王宮があったと伝えられている。確かにぐるりと町を取り囲む城壁の外には、見事な石畳の道が街道とは別の緩やかな丘陵の上まで伸びており、そこには不思議な尖塔を持つ寺院が立ち並び、今でも少なくない数の僧達が静かに暮らしていた。
 月に数回、クラトスが王都に報告に戻るときが、恋人達に与えられた数少ない機会だった。軍師はゼロスの協力を取り付けて、なるべくクラトスを呼び戻すようにと画策してくれていたが、互いに忙しいだけに、王都に戻ってさえも目を見交わすだけということも多かった。
 たまには、視察がてら西の街道を大将軍やその配下の各師団の将軍達と下ってくる軍師と会えることもあったが、常に周りには警備兵や将軍達がおり、会議の合間に互いに言葉を軽く交わすことがやっとだった。
 それだけに、今回は泊りがけで軍師がこちらにいらっしゃるとの連絡を受け、クラトスも今日がその日と楽しみにしていた。いつもと同じで、形式ばった会議と長い宴の後は町の長官の家に泊まることになっていた。もちろん、個人的な時間など無いも等しいが、同じ場所に愛しい方がいらっしゃると思えば、それだけで王都に比べれば、どうしても地味なこの町もにぎやかに見えてくるから、不思議だ。
 軍師が出席する会議ということもあって、クラトスは報告書に漏れがないか、必要なものがそれっているか、部下と一緒に最後の確認に忙しかった。カタリと音がして扉が静かに開けられたが、誰も顔はあげない。一刻の間も惜しんで準備をしていたクラトスは入ってきた者から漂う爽やかな香に振り返った。
「ユアン様」
 クラトスが声をあげれば、部屋にいた者は全員、静かに入り口に立つ皇帝の身内に拝頭した。軍師は、薄い茜色の地に金と緑の刺繍で季節の花と草を細かく刺繍した短い旅行用の文官服に帝国旗と同じ竜の文様を打ち出された白銀の胸当てだけをつけ、細い長剣を帯びていた。
「久しぶりだな。そんなに畏まるな。何、将軍達は後から来るが、馬が逸ったのでな、先にきた」
「早速、お部屋へご案内を……」
 慌てて、下の者へ準備を命ずるクラトスに軍師は艶やかな笑みを浮かべながら静止した。
「よい。疲れてはいない。それより、皇帝陛下からのお言伝があるから、お前達は席をはずせ。あと一刻もすれば、他の者たちが到着するであろう。そのとき、部屋に案内してくれ。それまでは邪魔をするな」
 軍師の言葉に、クラトスの部下達が慌てて作業中の書類を片付け、召使へ茶の用意を言いつけ、外へと出て行く。クラトスの侍従が軍師の武具を預かり、他の小物と一緒に片付けられる。きれいにされた質素な卓の上にこの地方特有の緑茶が供される間、クラトスは相も変わらず彼を魅了する貴人をじっと見つめていた。軍師はその姿にまたいかにも嬉しげに微笑みを浮かべた。
「ユアン様、お一人でいらっしゃるなど、リーガル様や他のお付きの皆様がどれだけ心配していらっしゃるか」
 クラトスがいつものように膝をついて、軍師が席につくのを待ちながら、声をかけた。
「クラトス、せっかく人払いしたのに、相変わらず他人行儀なやつだな」
 軍師は膝をついているクラトスの側に近づくと、その肩に軽く触れる。クラトスは肩におかれた軍師の細い指先を己の手にとり、恭しく口付けをおくった。
「長時間、馬に揺られていたからな、こんな座り心地の悪そうな椅子は願いさげだ」
 軍師は触れられたクラトスの手を握ったかと思うと、クラトスをひっぱりあげるように立たせ、まぶしそうに彼を見る武官の腰に手を回した。
「窓際の長椅子なら、二人で座れるであろう」
「ユアン様、皇帝陛下のお言伝をそのようなところで……」
「誰も見ていない。それに、陛下のお言伝は簡単だ。冬までに草原までの道をすべて掌握せよとのことだ」
「ユアン様」
「会いたかったよ」
「どうして、お一人でいらっしゃるなど、そんな無茶を……」
「なんだ。こんなに急いで来たのに、喜んでくれないのか」
「いいえ、私もお会いしたかった。でも、……」
「ふん、私はそこらの姫とは違う。お前にだってやられはしないよ」
 そこらの姫よりも美しい軍師は心配そうにしている恋人を肩に抱き寄せ、軽く笑った。
「それは存じておりますが、他の方も困るのではないですか」
「私についてこようとする方が大変だろうよ。それに、今回はアリシアが同行したからな、リーガルにはしっかり面倒を見るようにと伝えておいた」
「ユアン様、そんな、アリシア様をおいてきたのですか」
「アリシアだって、私といるより、リーガルといた方が楽しいだろう」
「アリシア様とお二人で諮られましたね」
「クラトス、ゼロスのようなことを言うな。当たらずとも、遠からずかな。アリシアは、このような急ぐ旅は疲れるようでな。リーガルにはゆっくり来るように厳しく言っておいた。
 まあ、いくら達者とはいえども、アリシアは我々ほど馬の扱いには慣れていないからな。だが、足手まといになりそうだとわかっていても、未来の花婿の仕事ぶりをみたいと言われれば、父親としては連れてこないわけにもいかないだろう。私も娘と一度くらい旅をしてみたかった」
 先日、リーガルから軍師の秘蔵の侍女をどうしても迎え入れたいと申し入れがあった。リーガルは気にしていないようだったが、軍師は今後のアリシアの立場を慮って、自らの養女とした。ブライアン家は古くから皇帝の一族の姫を迎えることが多かったからだ。
 一年後には越しいれと決まったのは、つい最近だ。リーガルはもっと早い時期を願い出ていたようだが、実の父親のように往生際の悪い軍師がなかなか応諾しなかったの実情だ。アリシアはほんの幼いときにマーテルとミトスの母方の血族であった両親を失い、マーテルの後見の下で長きにわたって暮してきた。マーテルとの間に子がいなかった軍師が、マーテルと共にアリシアをかわいがっていたことは、クラトスもよく聞かされていた。
「少々、甘やかしているだろうか」
 軍師は困惑したようにこちらを見る生真面目な武官に顔を寄せながら囁いた。
「……」
 どう答えてよいものか迷っている武官の唇へ、旅を続けてきたせいか、いつもより乾いているユアンの唇が重なった。軽く重ねられたその接吻の甘さに驚き、まだ人目もある自分の執務室だと思い出した。クラトスがすぐに身を離そうとすると、軍師にきつく頭を抱えられた。
 外でかすかに聞こえる人の声や馬のいななき、秋とは言えども強い日差しに揺れる窓際の葉陰、高い空に甲高く響く鷹の声。クラトスは、最近は慣れてきたこの地方特有の物音をぼんやりと聞きながら、抱き寄せられるままに軍師の肩に頭を寄せている。
 久しぶりの口付けはクラトスを酔わせるには十分だった。
「お前を甘やかすのは簡単だな」
 わずかに笑いを含んだ軍師の艶のある声が耳元でする。その声音だけでクラトスは身の内に湧き上がる震えを抑えることができなかった。
「それに、お前の目に見つめられていると、私までわけがわからなくなりそうだ。今宵は宴であまり飲みすぎるな。必ず私の部屋に来るのだよ」
「でも、人の目が……」
「いちいち、何を気にする。どうせ、長官の館だ。見知っている者などたかがしれている」
「ユアン様」
「それにしても、なかなか落ち着いた町だな。さすがにこの辺りまで来ると、王都とは雰囲気が違う。丘陵の上にある建物はいかにも古くて良い味をだしていたな。どうだ。こちらの生活には慣れたか」
「はい、慣れたと言えば、慣れましたが……。ユアン様がおられませんので、……」
「私もだ。お前がいないのはつらい」
 中庭が急にざわめくのが、二人が身を寄せ合っている窓から聞こえてきた。
「おや、ゆっくり来るように言い置いたのに、もう来てしまったようだ。さて、これから夜半まではずっと決められたことばかりだな。よいな、必ず私をたずねてきてくれ。明日の夕刻にはここを出ねばならない。アリシアは帰すが、リーガルと私はその先の先遣隊の様子を見にいく予定だ」
「私もご一緒させていただきたかったのですが、第二近衛師団がユアン様の護衛ということですので、王都警備隊はご無用とのお達しですから」
「すまないな。しかし、お前の部隊は人数が限られている。どうせ無用な護衛などについてくる必要はない。仕事をしろ」
 恨めしそうにこちらを眺める若い恋人をもう一度軽く抱きしめ、軍師は立ち上がった。
「リーガルだけ送り込んで、私はここにずっといても良いのだが、それではお前が仕事にならないだろう。早く片付けて、とっとと都へ戻ってこい。さて、そろそろ部屋に案内するように、頼んでくれ」
 クラトスは秋風にゆらりとする青く美しい髪を手にとり、了解を示すための口付けを送った。
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