唐桃

PREV | NEXT | INDEX

涼風

 王都は皇帝の凱旋に沸いている。
 もともと、南部は豊かな穀倉地帯で人口も多い。王都を介して、周辺の物産の行き来は活発となり、低く抑えられた租税のおかげで商人たちが今までにもまして増えた。
 戦さで心配された国庫もたちどころに回復し、王宮も華やいだ雰囲気に包まれている。凱旋祝いも終わり、各将への褒賞もすめば、高官達の仕事も落ち着いてきた。
 クラトスはそのまま王都警備軍を束ねるよう申しつかり、南の街道だけではなく、西の街道の整備もすることとなった。


 軍師は約束通り、前より頻繁に時間を都合してくれるようになった。クラトスは言われるままに、長春宮をたずねた。
 今では、ユアンに仕える侍従や女官達ともすっかり親しくなり、軍師がふいに戻って来られなくなったときなど、彼らにこっそりと日常生活の模様などを教えてもらったりした。
「ユアン様はあまり食べ物やお召し物には気を使われないのです」
「ほっておけば、お茶なども冷たくなっても何もおっしゃられません。お仕事がお忙しいときなど、お茶どころか、お食事も召し上がられません。クラトス様からも何か言ってさしあげてください」
「だが、私から申し上げても聞いてくださるとは……」
「お気づきになっていらっしゃらないのですか。クラトス様がユアン様の御髪をたいそう褒められましたら、その後はお忙しいときでもきちんと手入れされるようになりましたし、それから、……」
「ほら、この前は、ユアン様が使っていらっしゃる香のことをお尋ねになられたでしょう。あれ以来、お召し物に香を焚き染めても文句をおっしゃらなくなりました。時間がかかるから無駄だと散々おっしゃっていらしたのに」
「お召し物といえば、クラトス様がお褒めになられた例の紺地の……」
「そうなんです。すっかり気に入られて。今までは、竜の文様がお好きでないなどとおっしゃられて、なかなかを袖を通されようとなさらなかったのに」
「そういえば、この前はお部屋から見える木についてお尋ねでしたけど、クラトス様が何かユアン様にお話しされたのでしょうか」
「それに、朝早く起きて、剣の型を稽古されたりするのも、久しぶりです。一時期は剣は見たくもないとおっしゃられて、私どもが請うても、教えてくださりもしなかったんですよ」
「あら、それはあなたの腕が悪いからじゃないのかしら」
「クラトス様はユアン様と剣のお稽古などされますの」
「あら、クラトス様は教えてさしげるお立場ではないのですか」
「夜遅くまで、書物を広げられていることが多いですから、ぜひ、クラトス様からお早く、お休みになられるように言っていただかないと」
「まあ、クラトス様がいらっしゃると、さらに遅くまでお二人で密談されていらっしゃるような気もしますけど」
「密談だけなのでしょうか。あら、クラトス様、お顔が赤くなられていますけど、お話以外に何かされていらっしゃいますの」
 女官や侍従達に囲まれて、ユアンの私室でたわいのない話を聞かされていると、かの大切な方が自分に意外と近いことに気づいた。他の貴族達が聞けば驚くほど、軍師は自分のことに構わないようだった。


 初夏の夕暮れどき、執務室に迎えにきてくれたアリシアと長春宮へ直接向かうと、今しがたまでいたはずの軍師は宰相から急の呼び出しがあったとのことで、姿を消していた。
「間が悪かったようだな。一度館に戻ってから、また来る。あなた方の用を邪魔しては悪いからな」
 クラトスが生真面目に帰ろうとすると、すっかり打ち解けた侍従が押しとどめた。
「クラトス様、必ずユアン様は大急ぎで戻って来られるはずです。クラトス様がそのときいらっしゃらなかったら、きっとがっかりされます。どうぞ、お部屋でお待ちください」
「だが、宰相殿のお呼び出しでは、ユアン様もそう簡単には席を立てないだろう。用もないのに、私がユアン様のお部屋にいるのもまずい」
「あら、とても大切な用がおありではないですか。ユアン様とお会いになられるというご用事が……」
 ここまで案内してきてくれた小さな軍師のお気に入りの侍女がまぜかえした。
「いや、その……、ユアン様にお会いするのは、やはり私事ではないだろうか」
 クラトスがまた真面目に答えると、周りの召使達は互いにつつきあって笑い出した。
「クラトス様、そんなに固いことをおっしゃられると、ユアン様ががっかりなさいますわ」
「やはり、私は気がきかないだろうか」
 クラトスが少し困ったようにつぶやくと、周りの侍女達が口々に慰め始めた。
「私の口が過ぎただけです。どうぞ、お気になさらないでください」
「クラトス様、お気づきにならないのですか。クラトス様とお話されるようになって、すっかりユアン様は明るくなられました」
「クラトス様こそ、ユアン様のことを一番理解していらっしゃいますわ」
 若い侍従がうらやましそうに口を挟んだ。
「王宮で一番気難しいと言われている長春宮の女どもに慰められるなんて、クラトス様だけですよ。どうぞ、ご自信をお持ちください。私なんていつも、いつも、気が利かないどころか、もっと散々な言われようです」
「あら、他の宮の方たちとそんな噂をしていらっしゃるの」
 一番気難しいと評された当の侍女達に囲まれて、若い侍従はさらに小さくなった。クラトスもその様につられて笑った。
「そうそう、クラトス様、笑っていらっしゃる方がずっと素敵ですわ。ユアン様もそのお姿にきっと惚れ々されるはず」
「あ、そうだろうか……」
 クラトスが嬉しそうにたずねると、また、若い侍女達はくすくすと笑いだした。
 突然、扉が開いた。
「おや、邪魔だったかな」
 その場の全員が部屋の主へと膝をついた。
「そんなに畏まるな。何か秘密の話でもしていたのか」
「いいえ、ユアン様のことをクラトス様に教えて差し上げておりました」
 アリシアがにこやかに答えると、ユアンがまるで自分の部屋に入るのが悪いかのように、扉から半身だけのぞかせて尋ねる。
「お前達、仕事もしないで、私のクラトスに何を教えているのだ」
 侍女達は何がおかしいのかその表情を見てさらに笑い、侍従達も嬉しそうにさらに頭を下げた。
 ああ、この方は今、なんとおっしゃったのだろう。それが召使の前とはいえども平然と愛情を曝け出す軍師の言葉に、いつも以上の幸福感に酔いしれ、けれども、クラトスは恥ずかしそうに下を向いた。
「なんだ。クラトス。何か不満か」
 ユアンはクラトスの初々しい反応に楽しそうに尋ねた。まだ、下を向いたまま首を振るクラトスの前に軍師は立つと、その顎に手をあてて、上を向かせた。紅潮したクラトスは素直に顔をあげると、ユアンの眼差しに魅入られたように動かなかった。
「まあ、私達はお邪魔そうですね。そんなに見せ付けてくださらなくても、ユアン様の大切な方に何もいたしません」
 いつものことで慣れたアリシアが軽く頭を下げると、他の侍女達や侍従もくすくすと笑い声を残しながらも素早く部屋の外へと出て行った。
「ようやく、二人きりになったな」
 ユアンは最後の者が扉を閉める前に、待てないかのようにクラトスの唇に己のそれを重ねてきた。クラトスも躊躇いもなく腕を軍師の首に廻し、与えられる熱に満足気なうめき声をもらした。
 開け放したユアンの部屋の窓から、初夏の夕暮れを教えるエンジュの花の香がどこからか風に運ばれてくる。互いに寄り添う二人の周りを漂うほんのりとした香は、軍師の姿を少しずつ知ることの満足感をさらに心地良いものとする。
 クラトスはユアンの肩に頭を預け、ゆっくりと落ちていく夕日に照らされる回廊の淡い影を眺め、与えられる幸福に浸っていた。
PREV | NEXT | INDEX
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送