唐桃

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再会

 クラトスが王宮の親衛隊の第一部隊に属する小隊の長を拝命し、半年が過ぎた。見るでもなく、ぼんやりと外をながめていると、中庭にはらりと散る落ち葉に季節が秋となったことに気づく。与えられた仕事は主として王宮周辺の都の治安維持に関する調査であった。
 王都は、初代皇帝が築き上げた王宮周辺の小さな城壁のなかにはすでに収まりきらず、先々代により新たに作られた城郭の中にひしめくように人が住んでいる。クラトスが滞在している親戚の館は歴代の皇帝に仕えたきた者に与えられた旧城壁内の落ち着いた場所にあった。だが、商家が立ち並ぶ旧城壁外は人も多く、賑やかである一方、近年は周辺からの人の流入も多く、何かと物騒な噂が流れることもあった。
 クラトスは、手始めに人の出入りの多い大門の管理の見直しと大門から旧城壁に通じるまでの大通りの警備の強化について調査をしていた。人の流れを良くすることで、摺りやかっぱらいの類は相当減らすことができる。大門の出入りも、近隣の農民なのか、風体の怪しい傭兵や浪人の類なのかを見極めれば、人の滞りをなくすことが可能だ。彼の出した報告は上司の目に留まったらしく、数回のやりとりの後、具体的な警備案を出すようにと指示されていた。
 春に執り行われた任官式の直後、新参者の武官にしては分不相応に広い執務室が与えられた。どうやら、荒れていた南の町を平定したことが、思ったよりも高く評価されていたようだ。しかし、広い割には何もないこの部屋は、秋も深まってくると寒々しい雰囲気がした。世話になっている親戚の館からここに通うのもすっかりと慣れた。向こうで融通してもらっている家具をこちらにいくつか運べば、かなり居心地のよい部屋となるだろう。
 クラトスはそんなことを考えながら、先日来取り掛かっている書類を見直し、一息つくために筆を置いて立ち上がった。
 外の空の青さに、彼の脳裏にあの美しい髪が浮かんだ。上等な絹のように昼の明りに艶々しく輝き、歩く度にうすい羽衣のようにふんわりと揺れていた。どなただったのだろう。春先から胸の内に何度もその問いが浮かび上がった。
 あの任官式で出会った貴人にはその後一度も会う機会がなかった。せめて、名前でも聞いておけば良かったのに、誰とも分からなければ礼も贈れず、さぞかし、礼儀をしらない田舎者と思われているに違いない。
 だが、あの後、皇帝陛下の周りに詰める宰相や将軍達に遠くからとはいえ目通りすることは何回かあったが、例の貴人を見かけることはついぞなかった。
 ひょっとして、幻だったのだろうか。
 気になって、後宮近くまでふらと立ち寄ったこともあったが、あの少女も、青い髪の貴人も見かけることはなかった。しかも、王宮のしきたりを知るにつれ、後宮に足を踏み入れること自体、自分の身分では許されるはずもないことがわかった。
 半年の勤めで王宮の貴族達の付き合い方を知れば、田舎者の彼を親切に案内してくれたこと自体、稀有なことであったと分かる。任官式から後はちらりともみかけないということは、皇帝陛下のごくお側の高貴な方なのかもしれない。青い髪の貴人は珍しいから遠くから見てもわかるはずだが、公式の式典でも姿は見られなかった。
 まだ、さほど打ち解けて話す同僚もおらず、身の回りは郷から連れてきた気心しれているものしか使っていないため、王宮の噂もとんと耳には入ってこなかった。名前も伺っていなければ、尋ねる人もおらず、途方にくれていた。
 こんなことを考えていてはだめだ。日が暮れる前に申し付けられたことをしなくてはならない。机の上の書類を眺め直すと、今日中に提出せねばならない王都城門の警備案を完成させるために必要な書物を取り寄せていないことに気づいた。
 慌てて、直属の上司の部屋で許可証をもらい、己では滅多に訪れない書庫へと急ぐ。王宮の配置や貴重な帝国の各所の絵図が収められた書庫は警備が厳しく、許可証がなければ入れない上に、中をよく分かっていない者が探せば、半日かかっても見つけられないだけの書籍が収められている。
 いつもは内情をよく分かっている司書に頼むが、今日は時間がない。先日、その場所は見ていたので、直接探そうと考えていた。窓はほんの明り取り程度に小さくした書庫のさらに奥に小部屋がある。
 王宮の施設に関する書がある部屋はいつも無人で、埃くさい場所だった。だが、クラトスがその小部屋の扉をあけると、ふとほんのり甘い、しかし、記憶に残っている香が漂ってきた。
 中にいた人物も人が来るとは思っていなかったのだろう。クラトスが部屋に入る前に驚いたように立ち上がった。薄暗い中で動く、そのすっきりとした背の高い影にクラトスは驚き、扉の外に立ちっぱなしになった。
「失礼いたしました」
 ようやく、気を取り直して、クラトスが通路を空けようと扉の横に跪いていると、あの軽く確かな足音が近づいてきた。間違いない。あの方に違いない。足音はクラトスに近づくに連れ、わずかに歩みを緩めた。クラトスは声をかけられるかと期待し、だが、中にいた人物は彼の前で思い直したかのように早足で歩き始めた。
「どうか、お待ちいただけませんでしょうか」
 こちらから声をかけるのは無作法にすぎると分かってはいた。しかし、何かがそこで引き止めるようにと囁いた。通りすぎようとしたその人は彼が声をかけることを知っていたかのように、ぴたりと立ち止まった。
「何者だ」
 直接見ることは許されないだろうから、頭を下げたままの姿勢でいる。あの懐かしい声が聞こえた。いつも思い起こしていたふわりと清々しい香が漂い、彼を包み込んだ。
「このような場所で、お止めして申し訳ありません。私はこの度、王宮親衛隊に任官いたしましたクラトス・アウリオンと申します。先日は大変お世話になったにも関わらず御礼も申し上げず、失礼いたしました」
「ああ、気にするな」
 一言軽く言うと、立ち去ろうと動く気配がする。慌てて再度声をかける。
「お待ちください。どうか、お名前をお教えいただけませんでしょうか」
「ユアンだ」
 その名前は滅多に皆の口にのぼることはなかったが、高名な軍師として帝国中に知られていた。あれは郷で仕官する前だから、もう五年前だろうか、確か、皇帝の姉と結ばれたと都からの噂を聞いたことがあった。皇帝の信頼も厚く、帝国がここまで大きくなったのも軍師あってのことと言われていた。高貴な方とも、武人とも見えたのも無理はない。
「皇帝陛下の軍師様とは知らず、無作法をお許しください」
「気にするな。顔を上げよ」
 呼ばれる声にうっかり顔を上げた。目の前に、王宮でも見たこともないほど整った美貌の人が立っていた。遠めにしか拝謁していないが、天から舞い降りてきたようだと噂される皇帝陛下に勝るとも劣らない気品が溢れ出ていた。
 その声色と皇帝の軍師という身分からクラトスが想像していた姿より遥かに若く見え、女と言ってもおかしくないほど繊細な美しさだった。その貴人の青く深い目は、秋の木漏れ日のような優しさとはっとさせる一抹の寂しさを宿し、クラトスの心をたちどころに虜にした。
「そうだった。クラトスと言ったな。どうだ、達者に過ごしているか」
 軍師はそこで何かを思いついたように、言葉を切り、はたと手をたたいた。
「そうか、お前は王宮親衛隊に配属されていたのか。クラトスという名、どこかで聞いたと思っていたが、これで合点がいく。先日、フォシテスにどうしてもと言われて、王都の警備に関してお前のあげてきた報告は目を通したぞ。その前の王都大門の南を根城にしている夜盗どもの掃討に関する提案といい、なかなかよかった」
 うっとりと見つめられることなぞ、慣れているのだろうか。わずかに口元に笑みを浮かべ、後宮の麗人とも見まごう高名な軍師は彼の目の奥底を見透かすように見つめ返してきた。
「あ、はい。もったいないお褒めの言葉、ありがとうございます」
「本当のことを言ったまでだ。お前が出してくる案件はどれも筋がよい。今後もがんばってくれ」
 彼を一瞬にして捕えた青く深い眼差しが再度彼を眺め渡すと、供も連れずに一人でいた貴人はくるりと向きを変え、後宮の方へと歩み去った。
 クラトスは呆然とその後ろ姿を眺め、あわてて、再度拝頭した。
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