唐桃

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進軍(一)

 春も過ぎ行くその月、皇帝が率いる軍勢は南下を始めた。
 白銀の甲冑に身を固めた皇帝が遥か西で生まれ出でた雪のように白い駿馬にまたがり、皇帝旗を捧げ持つ前触れの騎馬の後ろを出立する。背後に黒いがっちりとした馬に歴戦の勇者であり、今回の実質指揮官でもあるリーガル大将軍と、優美な灰色斑の馬に軽い白銀の胸当てだけをつけた軍師が並んで行く。その後には南方方面第五師団が足並みを揃えて歩いていく。
 王都の民はみな、その勝利を疑わず、自ら王都を脅かした南の敵を倒しにいく皇帝へ熱い歓声を送る。軽く民へと手をあげる皇帝の姿は、伝説の初代皇帝のように春を盛りの日差しに輝いていた。それが見事に磨かれた甲冑のせいであったとしても、今や、民は皇帝の内に秘められた力と疑わなかった。
 きらりと輝く見事な金髪の皇帝とその後に従う愛する青い髪の軍師が真っ直ぐと進む姿を、王都の大門両脇を固めるように一列に並んで、クラトスとその配下が見送った。
 軍師は、彼の前を通り過ぎるときにちらりとこちらを見て、軽く手を振ってくれた。それは、背後で見送る王都の民への挨拶であったはずだが、クラトスはまるで自分への励ましのように胸熱く受け止めた。
 この二ヶ月は眠る間もなく動き回っていた。指示された街道の掌握とその後の整備、さらには皇帝の進軍にさきがけて南下した南方方面軍への兵站の手配、街道にいくつか連なる拠点となる町の管理と、矢継ぎ早にリーガル大将軍から指示が出された。
 軍師も夜更けに王都にようやく戻ったクラトスを呼び出すことも度々であったが、多くは大将軍や他の将軍が同席し、ときには皇帝も臨席することもあり、気の休まる暇もなかった。用にかこつけて最後まで引き止められたとしても、人の目がない隙に軽く与えられる口付けぐらいで、個人的なことをゆっくりと話す時間はなかった。
 最後の兵が大門を出ると、クラトスも自軍を率いてその後につく。何度も往復をしてきた街道の様子とその周囲のとうに見慣れた集落を思ったよりも速く通り過ぎた。
 皇帝は一気に南下するつもりで、すでに相当の軍は前進しているため、足の速いものばかりを選んだ精鋭部隊のみを背後につけていた。
 クラトスは軍師からかなりの速度で移動するから、後尾が乱れないよう、何回か注意を受けていた。しかし、これほどの移動を初日から皇帝がするとは思っていなかった。各集落に置いてある兵たちから街道周囲の情報を集めながら、特に不穏な動きのないことにほっと胸をなどおろした。
 こうして、ミトス皇帝率いる大軍は相手の予想に反し、二週間の行程をほぼ半分で踏破し、互いににらみ合う前線へとついた。


 進軍を開始して六日も過ぎ、目標地点まであとわずかとなったことにクラトスはほっとした。自軍はもとより、一度は暗殺者を抱え込んだということで汚名返上にやっきになっていた第五方面軍も、数人の兵を除き無事に移動することができた。
 前を進む皇帝やその周りの将軍達の様子は伺いしれなかったが、無茶だと思うほどの急速な進軍にも、兵達は疲れをほとんど見せていなかった。軍師も陛下の背後を軽く進んでいることだろう。それほど、楽な行軍だった。
 これが噂に聞いていた皇帝の力なのだと、途中できづいた。自分自身もそうだったが、何かの手が後ろから押してくれているように、体が軽かった。いつもなら、日暮れ前には足どりが重くなる愛馬もまるで天馬のように軽々と進む。
 南部との大きな関所となっている大河を前に緩やかな河岸段丘が連なっている。見通しのよい高台に作られた皇帝の陣幕が、落ちる日の中でかすかに風に揺れているのが見えた。高くに見えるその陣に、軍師や大将軍もともにいるはずだ。クラトスはその高台を守る下の位置に軍を止め、予定通りに野営の準備を命じた。
 軍師は今何をしていらっしゃるだろう。クラトスは兵達が疲れた様子も見せずにすばやく野営の準備を展開する音を背後に聞きながら、皇帝の陣を眺めた。これからの戦では主力とはならないから、彼には今日の呼び出しはかかっていなかった。
 せめて、遠目でよいから愛しい方の影でも見えないかと、目を凝らしたクラトスは丘の先に落ちる日にきらりと光るものを見た。
 おかしい。あちらの崖にはこちらの兵は展開してないはずだ。しかも、かすか光った後、まだ日を浴びている斜面が風とは逆にざわめいているように見える。
「おい、私についてこい」
 クラトスは背後にいる下士官に声をかけると、自らの馬へ飛び乗り、走り出した。訓練の行き届いている彼の兵達は、上官の言葉にたちどころに反応し、数十騎がクラトスの後をついていく。
「この辺りから上の斜面に何かが光った。音を立てずに探せ」
 枯れ草が絡まった見通しの悪い藪が続く斜面の下で馬を下りると、数名の者に小声で指示を出し、クラトスも自ら目当ての場所へと向かった。
 それは、予想していたよりも速く起きた。
 突然、風をきる音がしたかと思うと、南の者がよく使う黒く軽い矢が斜め前方から振ってきた。クラトスと彼の配下は慌てて藪影にひそみ、先をうかがう。
 あまりに速い皇帝の進撃に、準備の整わない南の者が斥候をかねた刺客を放ったに違いない。
「よいか。数名の者をつれて背後に回れ。残りの者は私と共に前にでるのだ」
 日暮れまで後わずかだ。見えるうちに戦わねば、地の利を知りつくしたあちらが有利になる。クラトスは直後にいた副官に囁き、彼の命を理解して静かに動き出したのを見ると、剣をとって前へと躍り出た。
 数本の矢が的確に彼を狙って降ってくる。軽く盾で防ぎ、藪に身を落としながら、全速力でつき進む。彼の背後で兵達が共に斜面を駆け上ってくる。敵方も遅まきながら、その人数に気づいたらしく、ざわざわと横へ移動をするのがわかった。
「こちらも矢を撃て」
 クラトスは味方の援護を受けながら、疾走する。皇帝の陣に一人たりとも刺客を入れてはならない。また、近くから矢が降ってきた。身をのけぞるように交わし、下からついてくる兵達へ手で指示を出し、彼は奥に見えた先頭の集団に追いすがろうとさらに走った。
 突如、上から落ちてくる矢が乱れた。副官がうまく背後に回ってくれたようだ。これ以上皇帝の側に近づける前に倒さなくてはならない。クラトスは彼へと襲いかかる敵を剣でなぎ払い、夕暮れの藪の中を一つだけ黒い影が進んでいった方へと急いだ。
 後ろで激しく武器がぶつかりあう音がする。どうやら、副官達が間に合い、小競り合いになったようだ。後はあのいかにも刺客らしい者を捕まえるだけだ。
 争う音に紛れて、クラトスの動きに気づかないのだろう。崖下のくぼみに男が身を寄せて上をうかがっているのがはっきりとわかった。
 忍び寄り、背後をとったクラトスが剣を抜こうとしたそのとき、足元の小枝が折れた。俊敏な敵はその気配に振り向きざま、すばやく細い短刀を握って飛び掛ってきた。
 クラトスはその切っ先をどうにか交わそうと体をそらすと、その上を飛び越えたと思うと、敵の刺客は下から切り上げ来た。クラトスは持っていた剣の柄でその刀を押さえ、しかし、勢いに押されてのけぞる。
 敵は確実に喉元をねらい、横から刀を繰り出してくる。盾で受けた刀はすべり、クラトスの肩を切り裂いた。
 焼け付くような痛みは、しかし、クラトスのあせりを消し、男が今の勢いで体勢を崩していることを瞬時に理解させた。盾を放り投げ、気をそらした男に向かい、一閃の太刀を打ち込む。
 声もなく、目を見開いたまま、刺客はゆっくりと仰向けに崖の藪に向かって落ちていった。
「クラトス様」
 どうやら、他の敵を倒したらしい副官が数名の部下と共にあがってくる。
「どうにか、倒せたようだ。お前達の方はどうだ」
「見える範囲の敵は倒すか、捕らえるかいたしました。こちらの負傷者は数名ほど、矢傷を負ったぐらいで……。クラトス様、その血は……」
「あ、さきほど切りつけられたのだ。たいしたことはない」
「クラトス様、血が流れております。これはひどい。すぐにお手当てを……」
 副官が絶句する前で、クラトスの力なく下がった左手から地面へと血が滴り落ちた。
「手早くしてくれ。すぐに報告にあがらねばならない。何の騒ぎか本陣の将軍達も気にされていることだろう」
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