唐桃

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御前会議

 南部平定は皇帝が自ら討って出ると以前から強く主張していた。それは、南で反旗を翻す豪族たちへ、王都を開けても憂いがないことを誇示する色合いが強かった。
 王都自体は、留守を預かるゼロス宰相補佐と第一近衛師団、フォシテス将軍率いる王宮親衛隊が主として守りを固め、クラトスが指揮する王都警備軍が皇帝陛下およびリーガル大将軍が指揮する南方方面軍の支援として王都の周囲から南部までの街道の掃討を担当することとなった。
 初めて、御前会議に末席を与えられたクラトスは千壇宮での皇帝陛下の臨席を待ちうけていた。いや、己の心をごまかしても意味はない。このところ、お姿を拝見できなかった軍師を見たかったのだ。
 あの後、故意ではないと心の底から願ってはいたが、軍師は彼が顔を出す会議には姿を見せなかった。もともと、忙しいお方なうえに皇帝陛下の出陣ともなれば、その準備は直接ご自分が指図されているに違いない。陛下と内密の相談をされることも多いだろう。だから、くだらない定期報告の会議など出席されないのだ。クラトスは、自分にそう言い聞かせてこの数ヶ月を過ごしていた。
 しかし、どんなに自らを律しようとしても、気づけば、軍師のことを考えていた。
 後宮への細く長い回廊にちらりとでも青い影が見えれば、かの人だと思ってずっと見送った。例の香が宮殿の通路に漂えば、今通り過ぎたのではないかと辺りを見回した。軽く響く足音が背後から聞こえれば、かの方ではないかと心躍らせて振り返った。だが、クラトスの願いとは裏腹にそこには誰の姿もなかった。
 たまには、せめてもう少し近くでお顔を拝見したい、ひょっとしたらお目に止めてもらえるのではないかと、かの方と見える姿を追いかけたこともあったが、まるで幻でも見たかのように、次の角を曲がった先にはただ高い壁が続き、奥に小さな朱塗りの門があるだけだった。
 気づいたら、後宮の門近くに佇んでいたこともあった。警備の兵に見回りと勘違いされて、礼をとられ、はっと気づいた。いっそ、警備の確認と称して、中に入ってしまえばと思いつめて、門の中をうかがった。だが、用もなく、軍師を追いかける彼の姿が快く思われるわけもないと、悄然と己の執務室へと帰った。
 部屋がしんと静まった。皆が膝をつくなか、皇帝と数人の人の足音が聞こえた。
 その軽い足音が耳に入った瞬間、クラトスは胸をわしづかみにされるような苦しさを覚えた。あの方のお顔がこちらを見て、がっかりされたりしたらどうしよう。こんな場にいるなと責められでもしたら、どうしたらいい。
「皆の者、ご苦労。楽にせよ」 
 皇帝の声が聞こえ、クラトスはゆっくりと立ち上がった。見てはならないと思いながらも、顔をあげた瞬間、彼はその先の青い髪の麗人に囚われ、もう目を離せなかった。
 軍師は皇帝のすぐ右横に一歩下がって立っていた。両脇で頭を下げる宰相とリーガル大将軍に声をかける皇帝の脇でいつものように優雅に佇んでいる。
 クラトスは、会いたくてたまらなかったかの人の姿が目に入ったとたんに、今まで胸のうちに押さえ込んでいた感情が溢れ出し、あやうく、叫びをあげそうになった。どうにか、つばを飲み込み、軍師が彼の目線を避ける前にと思いながら、そのまま軍師の動きを追った。
 クラトスの予想とは異なり、軍師は彼を見て、にっこりと微笑んだ。確かに目線が交わり、かの人もいつものようには目をそむけず、じっと彼を見つめた。
 何が起きたのだろう。
「おい、座れ」
 金縛りに合ったように立ちすくむクラトスは、隣に席をおく筆頭書記官のゼロスにつつかれて、慌てて椅子に座った。
 夢のなかのできごとのような気がした。もう一度、こっそり顔を上げれば、皇帝陛下の宣旨が随分と年老いた宰相より述べられている間、軍師はさっさと机上の書類を広げて眺めていた。
 続いて、リーガル大将軍による地域情勢の説明が行われた。ずらりと並んだ南方方面軍の将軍達が、合間の皇帝の質問に直立不動で答えている。軍師はその間、皇帝に耳打ちされてなにやら答えたり、必要な書類を広げなおしたりしていた。
 クラトスはどうしても我慢ができず、こちらを見ようともしない軍師をまた見上げた。皇帝が身を寄せてユアンに書類の一部を指し示していた。目を離さなくてはいけない。そう思いながらも、軍師の形よい手が皇帝とは別のところを指し示す姿を追いかけた。
 ゼロスは隣の馬鹿正直な武官の反応をほほえましく思いながらも、ちらりとこちらを見たきり、一度も目線をよこさない軍師に同情した。
 まったく、田舎者はこれだから、危なっかしい。こんなことに手を貸す気つもりはなかったが、ユアン様に恩を売る機会は滅多にないしな。
 皇帝陛下がこちらの方を見た瞬間に、ゼロスは思い切り華やかな笑みを軍師に送った。軍師があきらかにほっとした表情を見せた。とたんに、皇帝から声がかかった。
「ゼロス、何か言いたいことがあるのか」
「陛下、お声をありがとうございます。ただいまのリーガル大将軍のご説明にございました南方方面軍全師団の移動でございますが、兵糧の準備を考えますと、国庫に若干の不安がございます」
「リーガル、この点についてはすでにゼロスと話し合ったと思っていたが」
「陛下、申し訳ございません。全師団の移動に関しましては、昨晩、軍師より再度考え直すようにとのご指摘を受けましたため、まだ、筆頭書記官とは話し合っておりませんでした。ただ、この場で釈明させていただきますと、すでに前面に第三、四が展開しておりますし、第一、二も南下中でございます。したがって、大きな影響はないかと」
「ユアン、それでよいのか」
「はい、ゼロス筆頭書記官には後ほど説明させていただきます」
「ゼロス、言いたいことがあるなら、きちんと発言しろ。こちらを見ているだけでは軍師はきづかないぞ」
「申し訳ございません」
 皇帝の最後の言葉にゼロスは深く頭を下げた。もちろん、笑いを隠すためだ。
 横でクラトスも俯いていた。筆頭書記官が皇帝陛下の言葉と同時に軽く彼をつついた。周囲のことも忘れて、ただ軍師に夢中になっていたことを、こちらは深く悔いていた。
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