唐桃

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私室(一)

 永楽宮は、代々皇帝の住居として使われてきた。何代もに渡った皇帝達のさすがに同じ血筋とはいえども異なる趣味のせいか、どの部屋も贅を尽くした設えでありながら、全体を見渡すとちぐはぐした感があった。
 ミトスは初代から使われているという、奥のこじんまりとした二部屋を彼一人の居住区として愛用していた。そこは、他の部屋に比べると狭く、明かりとりも小さいせいか、薄暗く寂しい雰囲気が漂っていた。
 父皇は、その豪放な性格にあわせて表の大きな部屋を連ねて、愛妾達を並べていたものだ。だが、ミトスは若くして皇位についたこともあり、愛妾と呼べるほど気に入った者は、ましてや皇后と考える者などいなかった。
 それどころか、彼は孤独を好んでいた。極近しい、それこそ、姉のマーテルやその夫の軍師以外は、奥の部屋に人を招き入れることも滅多になかった。侍従でさえ、許された者以外は足を踏み入れることは許されなかった。


 奥の部屋の壁際に作られた寝台やその脇の小机は初代皇帝のときからほとんど造りは変わっていなかった。ミトスはその小さな空間に招き入れた者が落ち着かないようにそわそわと視線を動かす姿を見ていた。
 どうしてだろう。軍師はミトスの私室に入ると、いつも息苦しくなった。特に何が変わっているというわけでもない、どちらかと言えば、重厚で落ち着いた部屋であるにも関わらず、何とも言えない威圧的な雰囲気があり、彼を身動きできないかのように包み込んだ。
「ユアンはここが嫌いなの」
 皇帝は、お気に入りの軍師の杯へと酒をついだ。南への出陣に軍師があまりいい顔をしていことに気づき、その真意を聞こうと呼び出した。ユアンは他の部屋を指定してきたが、あえて私室に呼んだ。
「いや、嫌いではないと思う。だが、この部屋にいると理由もなく息苦しく感じるのだ。狭いからだろうか」
「私がいるからだろう。私の顔を見ると動悸がするのだろう」
 ミトスは、期待半分、あきらめ半分で軍師をからかった。ユアンは真面目に首をふった。
「いや、そうではない。この部屋そのもののせいだ。ところで、今度の出陣の準備の何を私に聞きたいのだ」
 味もそっけもないユアンの返答に、ミトスは軽く上を向いて、ため息を落とした。少しくらい酒を飲ませても、たいして反応は変わらない。
 ここで、ユアンに正直に言ってやったらどんな答えが返ってくるだろう。お前が私のことを気にかけてくれるから、南へ帝国軍を率いていくのだ。お前が私をずっと見てくれさえすれば、戦場にする場所は、そこで何をするかなど、本当はどうてもいいのだ。準備なぞなくてもよい。聞きたいのは別のことだ。
 いっそ、姉に向けていたお前の気持ちの百分の一でいいから、こちらに向けて欲しいと、素直に言えたら、泣いて縋りつけたら、どんなに楽なことだろう。
 しかし、彼の立場は懇願することを許さなかった。こんな酒の力を借りずとも、ユアンが彼だけを見てくれるのなら、この地位さえも誰かと引き換えてもよいと言えればいい。
 だが、それはありえないことだった。彼は生れ落ちたときから帝国の皇帝であり、身の内に流れる血は誰にも譲ることができなかった。皇帝たる者、頭を下げてまで守るべき物は唯一つ、この国と民だけと教えられ続け、誰からもそれを期待されてきた。軍師でさえ、例外ではなかった。
 だから、自分個人の望むことをどうすればよいのか、ミトスはたまにわからなくなることがあった。
「すでに南の大半は我々の手に落ちている。今すぐ、私が出て行って何が問題なのだ。準備が必要だとお前は言うが、さして危険なことはないはずだ。それなのに、何を時間をかける」
「ミトス、南の豪族達は見えている以上に力を持っている。決してあなどることはできない。この前、捕らえた夜盗達も南からの支援を受けていた。表面から見えるよりも遥かに深くやつらの力は王都近くまで浸透している」
「頭をたたけばそれで終わりだ」
「そうも言えるが、逆に深く頭を追いかけたがために、背後を奪われては我々も危ない。だから、まずは街道を完全に掌握、整備し、危急の際には王都まで戻れる算段が必要だ。さらには……」
 ユアンが滔々と今後の南部地域戦略について語る姿をミトスは口をはさまずに見ていた。軍師がこれほどまでに優秀でなければ、ずっと後宮のこの部屋に閉じ込めておくのに、生憎、彼に成り代われる人材は今の帝国になかった。
「聞いているのか。ミトス、お前がたずねたのだぞ」
「ああ、ちゃんと聞いている。お前が考えたことに文句をつけられないから、黙っていただけだ」
 褒め言葉にさすがの軍師も嬉しそうにした。
「これに関しては、この数ヶ月のほとんどを費やしたからな。ミトス、それ以上つぐな。酒はもういい」
「お前のために持ってこさせた。せっかくだから、飲もう」
 ミトスが杯を合わせれば、ユアンも断りはできない。一気に呷った酒はのどを焼き、胃を熱くした。巧みにミトスがつぎたす酒がやがて互いの正気を失わせた。
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