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予感

 ロイド・アーヴィングの部屋からは、イセリアの森が間近に見渡せる。衰退世界とは言えども、イセリアの森にはまだ原始に近い自然が豊かに息づいている。そんな濃い緑の木々に囲まれた小川のほとりに素朴な造りの小屋が建てられている。初めて訪れたとき、かの人がこの地に穏やかに眠っていることを知り、深い安堵を覚えたものだ。彼女にこそ相応しいその地でクラトスは療養している。
 息子との戦いの後、危ういところで命を取り留めた彼を誰がどうやって運んでくれたのか、気づいたらこの小屋の二階に寝かされていた。長い間寝ていたらしい。気づいて起き上がろうとしても、体は己のいうことを聞かなかった。
 長い眠りの間、何度も彼の名前を呼ぶ声が聞こえた。遠くに彷徨い出ようとする彼を引き止めるかのように、切なく、優しい声が後ろから聞こえた。一体、誰の声だったのだろう。
「クラ……。とうさん、気づいたか。俺の声、聞こえてる」
 心配そうに覗き込む息子が目に飛び込んできた。その真剣な表情、不安をたたえた眼差しが今は亡きあの人を思い起こさせた。ひょっとして、彼を呼び戻してくれたのは彼女だったのだろうか。何度も聞こえたそれは、懐かしい感触の声だった。
「ロイド、ここはどこだ」
「あの、俺の部屋。えっと、俺の家、いや、親父の家の俺の部屋だ」
 ロイドがうまく説明できないかのように、詰まりながら教えてくれた。クラトスは大切な息子がとうさんと呼んでくれたことに今さらながらに気づいた。そう分かったとたん、体がすっと軽くなった。
「そうか。ダイク殿の家か」
「まだ、起きるなよ。傷は全然治っていないし、それに、四日間も寝ていたんだ」
「四日間も。それは、迷惑をかけたな」
「ユアンがしばらくは動くなっていってた。だから、とうさん、起きるなって」
 無理やり、身を起こそうとするクラトスをロイドは軽く抑えた。
「しかし、お前達はこれから、まだなすべき重要なことがある。このようなことで、お前達に迷惑をかけられない」
「とうさん、そんな泥臭いこと言うなよ」
「水臭いの間違いよ。ロイド」
 ロイドの背後から、例の女教師の声が軽やかに響いた。
「先生、とうさんに言ってやってくれ。迷惑じゃないって」
 ロイドの横に座ったリフィルが起き上がろうとするクラトスを軽く睨み付けた。
「そうよ。それどころか、私がせっかく回復させたのに、その心遣いを無駄にされるようでは、迷惑どころの話ではなくてよ」
「しかし、ウィルガイアにはまだミトスがいる」
「だからこそ、あなたがここにいてくれなくては。散々、私達に心配させたのですから、お礼にウィルガイアの情報を丁寧に教えてくださっても罰は当たらないわ」
「いや、……」
 まだ、物いいた気なクラトスにリフィルが細く白い人差し指で口をふさいだ。
「まだ、目をさめたばかりなのだから、横になって黙っていてちょうだい。また、体調を崩されたりしたら、本当に迷惑よ。あなたのことを不安に感じているロイドがこんな状態のあなたを置いたままでウィルガイアで本来の力を出せると思っていらして」
 相変わらず冷静な女教師はクラトスの弱いところを的確に把握している。クラトスはその言葉にぐったりと寝床に身を沈めた。
「な、とうさん。ずっと寝ていただろう。腹減っているだろうから、親父に特製のスープを温めてもらうよ」
 ようやくおとなしくなったクラトスを見て、ロイドがはしゃぎ気味にそういうと、たちまち下へと駆け下りて行った。
「お前達には敵わないな」
「あら、早く気づいてくだされば、楽でしたのに」
 どうやら、見張りを交代したつもりなのか、リフィルはベッド脇に腰をすえたまま、にっこりと笑った。クラトスは出会ったときから変わらないその強く真っ直ぐな眼差しが痛く、顔を背けた。
「敵わないことなど、ずっと前から気づいていた。だが、事情が事情だけに、あっさりと負ける訳にもいかなかったのでな」
「本当に素直に言ってくれないのね。ええ、結構ですわ。大事な教え子を散々悩ませて下さったことは忘れませんから」
「リフィル、ロイドのことでは本当に感謝している。教え子というだけで、ここまで面倒を見てもらって、私がどれだけ有難く思っているか、言葉では尽くせない」
「クラトス」
 吃驚したリフィルが言葉を失っていると、クラトスがいつものように軽くふっと笑って、先を続けた。
「その上、私の面倒まで見てもらって、親子でお前には当面、頭があがりそうにないな」
「いえ、私は人として当然のことをしたまでのことです」
 いつもは澄ました顔をしているリフィルがほんのり顔を赤らめながら、それでも、いつもの調子で答えを返してきた。
「そうか。では、お前のことだ。きっと、私が動けるようになるまでは、側にいてくれるのだろうな。それなら、一つ頼みがあるのだが」
 クラトスが真剣にこちら見る。 
 リフィルはしばらく振りに見るクラトスの目に、石のように固まった。ロイドの面倒を見るのと、クラトスの面倒を見ることは、クラトスにとっては同じ意味だろうが、彼女にとっては全く違う。目の前でクラトスが倒れたとき、ロイドの腕に抱えられているその姿に彼女は気づいてしまった。最も心魅かれてはならない者に、知らないうちに心奪われていた。
「な……。何かしら」
 さりげなく答えられただろうか。クラトスに見つめられると、隠している心の内がすべて知られているような気になる。
「長くはお前達に面倒をかけたくないのでな。お前は料理を作らないでくれないか」
「なんですって」
 リフィルが声を上げたとたんに、ロイドがスープを持ってきた。
「先生、どうしたの。大声をあげて」
「ロイド、こ、……こんな人、放っておいて大丈夫です」
 突然立ち上がったリフィルはロイドが慌てて避ける側を足音も高く下へと降りていった。
「先生、一体どうしたんだ。あ、それより、とうさん、これを飲んでみろよ。たちどころに元気になるぜ」
「ロイド、すまないな」


 クラトスはふうとため息をついて、天井を見上げた。リフィルと二人きりでいると、どうにも落ち着かなかった。彼の看病をしてくれていたと聞けばなおさらだ。心ならずも追い払ってしまった。
 リフィルは気づいていないだろうが、彼は彼女のことがひどく苦手だ。初めて出会ったときから、真っ直ぐとこちらを見るリフィルの眼差しが訳も無く心の中を波立たせる。リフィルが彼の名を呼ぶ声が、二度と埋められることはないと思っていた胸の空洞中で木霊し、消える気配を見せない。
 まだこの星の行く末は定まらない。目の前にいる女性も、再びこの手に戻ってきた息子も、他の仲間達も課せられた荷は重く、彼が足を引っ張るわけにはいかない。それどころか、星の未来を担う者へ過去に縛られた者が何か望む権利はあるのだろうか。
 息子の寝台から、開け放たれた窓の先に緑溢れた森が見える。爽やかな森の香が風にのって運ばれ、今だ思うように動けないクラトスの周りを覆った。優しく触れる感触は、失って久しいあの人の子守唄のようであり、彼の心を悩ます女教師の癒しの光のようでもあった。何千年と彼の中に根を張っていた封印が消えた体は、錨を失った船のようにぐらりと現実と夢の間を彷徨う。おぼろげながら見える先の光を感じながら、傷ついている剣士は再び眠りへと入った。
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