七夕のお話 2007

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  短冊  

 小さな少女はきっちりと編まれた砂色のお下げを軽く揺らして、頭を傾げた。彼女の手には大きすぎるペンが握りなおされ、前にある白いカードに丁寧に一字、一字記されていく。横から、少女の髪よりずっと明るい金髪が割り込み、少年が少女の書いているカードを覗き込んだ。
「ピオニー、駄目」
 少女は慌ててペンを取り落とすと、白いカードを両手で隠した。
「なんだよ、ネフリー。どうせ後で笹に吊るしたら、皆に読まれるんだから、隠さなくてもいいんじゃないか」
「だって……」
 少女は不満そうに唇を尖らせ、それから転がりだしたペンを押さえようと片手を伸ばした。その先で、よく日焼けた手がぱっとペンを取り上げた。
「じゃ、何を書くのか、俺にだけこっそり教えてよ」
「でもね、ネビリム先生に一人で考えて書くんだよって言われもの」
 生真面目に少女が返した。
「そうしないと、星の女神様が願いをかなえてくれないんだって」
「へぇ……」
 なんだ、そんなこと信じているんだ、と口の先からついて出てくるところを、ピオニーは慌てて押さえた。これが同じ血を分けた兄と妹とは思えない。まだ、サフィールとネフリーの方が似ているかもしれない。


 ピオニーはほんの少し前に彼の脇で起きた騒ぎを思い出した。
 サフィールがこれまたネビリム先生の言葉を鵜呑みに、ネフリーと同じ調子で、丁寧に飾り文字で願いごとを書いていた。ピオニーは願い事は決まっていたし、飾り文字などは大臣と書記官が書くはずだから、覚えるような無駄なことはせず、適当にそれらしく見えるように書き上げた。サフィールの横で、ジェイドもさらさらと何の気もつかわずに書き上げていた。ピオニーとの唯一の違いは、ジェイドは何の練習もしていないくせに見事な飾り文字を書いていることだった。そして、子供だましの行事に退屈しきっているジェイドは、例によってサフィールを標的にし始めた。ゆっくりと言えば聞こえがいいが、ノロノロとペンを運ぶサフィールに向かって、ジェイドがこの風習が以下に荒唐無稽な習慣であるかを滔々と説明していた。
 サフィールはとつとつと反論していたが、ことごとくジェイドに論破され、最後にはいつものように馬鹿呼ばわりされて泣き始めた。もちろん、途中から騒ぎに気がついたネビリム先生が横で二人の言い争いが幕を引くまで待っていた。弱い者を泣かすんじゃない、とネビリム先生がジェイドに向かって叱責した。すぐにネビリム先生の背後に回って、先生に縋り付くサフィールをブリザードでも呼び出しそうな勢いで、ジェイドが冷たく睨み付けていた。
 サフィールの鈍さときたら、ただごとじゃない。あんなことをするから、ジェイドがますます機嫌が悪くなるのだ。俺のように、先生からもジェイドからも適当な距離を置いていれば、あそこまで冷たくされることもないだろうに。大体、ネフリーが言うならともかく、サフィールが、星の女神様は先生に似ているだろうな、なんて言ったら、ジェイドは今日一日機嫌が悪くなるじゃないか。こっちまでとばっちりが来る。
 結局、ジェイドは部屋の隅で直立不動で立たされている。表情を見れば、ちっとも反省していないどころか、おそらく何か小難しいことを頭の中で考えているに違いない。サフィールはサフィールで、ネビリム先生に男が泣くのは親と愛する人と国を亡くしたときだ、と変な説教をされて、反対側の隅で膝をかかえてめそめそしている。


「ねぇ、ピオニーはもう願いごとを書いたの」
 ネフリーがさきほどの騒ぎで思い出し笑いをするピオニーに尋ねた。
「ああ、書いたぜ」
 ピオニーはネフリーの前にひらりと己のカードを出した。彼も、ジェイドの論理的な考え方に賛同していたが、だからと言って、祭りは祭りで楽しむことはやぶさかではない。
「何……なの。えっっと……」
 幼いネフリーはピオニーの蛇がのたくったような飾り文字を読むのに苦労し、首をひねった。
「ね……ふ……り……、これって私の名前だ」
 きゃっ、と嬉しそうにネフリーが声をあげた。
「ああ、そうだ。ネフリーとずっと一緒に過ごせますようにって書いたんだ」
 ピオニーがネフリーの瞳をまっすぐに見つめると、少女は頬を軽く染め、ピオニーに向かって笑いかけた。
「じゃあ、私と同じだね。私もね、ピオニーとずっと遊べますようにって書くつもりなの」
「そりゃ、良かった。俺とネフリーは気が合うな」
 ピオニーは勢いよく答えた。ネフリーは彼の言葉に再び深く頷いた。とたんに、ピオニーは項にぞくりと寒気を感じた。
 くるりと振り向くと、ピオニーは部屋の隅に立たされたジェイドと目が合った。ジェイドの目つきがまるでサフィールを見るように冷たい。
「あいつ、今日はえらく機嫌が悪いな。サフィールが余計なことばかり言うから」
 ピオニーはぼそりとつぶやいた。




  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  

「何するんですか。大佐」
 背後から抱き上げられた少女は足をばたつかせ、降りようと暴れた。
「あなたこそ、何をしていたんですか」
 言わずとも分かる大きな笹の前で、アニスは背伸びをしていた。
「王宮の前にこんな大きな笹を立ててるから、皆、何を書いているのかなぁ、なんてね。それより、下ろしてよぅ」
「アニース、マルクト帝国の貴族どもが書いた短冊なんて読んでも、面白いことありませんよ。うまく願いごとを適えて、玉の輿にのろうなんて、そんな魂胆ではうまくいきませんよ」
 ちっ、なんで分かったのだろう、と大男の腕の中でアニスはさらに暴れた。
「このアニスちゃんがそんな詰まらないこと、考えるわけありませんよ」
「ちなみに、ピオニー陛下の願いごとはですねぇ」
「な、何ですか」
 片腕で彼女をかかえ、大佐はもう片方の手で大きなキンキラキンの短冊を軽く引っ張った。
「そんなに興味しんしんになる必要はありませんよ」
 短冊に書いてある内容にちらりと目を走らせた中年軍人は、はあとため息を落とした。
「この二十年以上、書いてある内容は変わっていませんから」
「え、何、何ですか。二十年も陛下がお願いしていることって」
 アニスの目の前に、目にも眩しい短冊が突き出された。真っ黒なインクで、『ネフリーとずっと一緒に過ごせますように。(ついでに、ジェイドが邪魔をしないようによろしく)』と書かれていた。アニスはうっと詰まった。
「一国の皇帝ともあろう方がねぇ。臣下に対して、失礼だと思いませんか」
 ジェイドは憎々しげにその短冊をひっぱり、ぱっと手を離した。大きな笹竹はその勢いで揺れ、笹葉がすれあう音がした。
「大佐ぁ、もう陛下とネフリーさん、くっついちゃったんだから、邪魔するのをあきらめた方がいいと思うよ」
 アニスは往生際の悪い中年軍人の肩を軽くたたいた。
「で、まさかと思うけど、大佐も何か書いているの」
 話を変えようと、アニスは尋ねた。
「それはいいことを聞いてくださいました」
 大佐はアニスを地面に下ろすと、小さな青い短冊を指差した。
「もちろん、私も書いております」
「へえ、大佐にも願いごとがあるなんて、アニスちゃん、びっくり」
「かなえて下されば、いいこと、ありますよ」
 腰をかがめて、大佐がアニスの耳元で囁いた。
「で、なんて書いてあるんですか」
 アニスは背伸びをして、指された青い短冊を手に取った。
『一日も早く、アニスを手に入れることができますように』
 アニスは読んだ瞬間、後ろに逃げようとしたが、相手の動きの方が数段速かった。再び、大佐の腕の中に絡めとられたアニスは、慌てて首を横に振った。
「た、大佐、あの、アニスちゃん、短冊読んでませんから」
「いいことが何か知りたくありませんか」
「はうぁ、子供は知らなくていいことがあると思います」
「アニース、遠慮しないでください」
「け、結構です」
 二人が揉み合っている姿を遠くからピオニー陛下が観察している。相変わらず、親友は自分の想いの丈を素直には表さないが、前よりはずっと進歩したようだ。その証拠に、今年は七夕の短冊になにやら書いていた。しかも、ダアトから訪れている子供と笹の前で戯れている。無邪気に童心に帰っているとは、驚いた。ネフリーに兄の変身ぶりを教えてやらなくてはならない。
 助けを求めて必死に手を振るアニスに、ピオニーは満足そうに手を振り返した。とたんに、ジェイドの刺すような視線を思い切り浴び、ピオニーは久しぶりにひどい寒気を感じた。今度はサフィールが一体何をしたのだろうと、現マルクト帝国皇帝陛下は首を傾げた。
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