新年のお話

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  真意  

 ダアトの教団の礼拝堂は人で一杯に埋まっている。新年の祈りを聞こうと、世界各地から人々が集まってくる。アニスは一際高い場所にいる導師を少し下がった場所から見守っていた。その年の預言(スコア)と祈りの言葉を導師から聞こうとする信者の表情は皆真剣だ。いつもなら、広いだけの礼拝堂は身動きも取れないほどだった。
 導師が立つ壇の手前には、各国の使節団が並んで導師の言葉を待っている。右側の赤い軍服を纏ったキムラスカ王国の面々が並んでいる。王族は参加していないようだったが、がっしりとしたキムラスカの総大将は、気難しい表情をして周囲を見渡している。前列中央にはケセドニアの使者達が、新年の礼拝には似つかわしくないエキゾチックで派手な服装を纏っていた。その向こうは、青い軍服を身に着けたマルクト帝国の使節団が立っていた。アニスは、見事に色分けされたそれぞれの使節団を観察する。
 昨今のキムラスカとマルクトの情勢を反映してか、今年の新年の祈りには、両国とも使節団と称して、その実体は高位の軍人を送り込んできている。アニスは昨晩の警備の打合せで読み上げられた使者達の名前をもう一度思い返した。
 マルクト帝国の使節団代表として挙げられた軍人の階級名は大佐となっていたが、もちろん、その異名や功績はオラクル騎士団の間でも良く知られていた。導師守護役に成り立てのアニスは興味深々でその名前を聞いていた。戦場で死体を漁るなんて、ディストより顔色が悪くて、うんと猫背の老人に違いない。きっと、二度と目に入れたくないような怖いご面相だろう。
 アニスは導師や教団のお偉いさんの隙間から、どの将官が例の「死霊使い(ネクロマンサー)」なのかと観察した。しかし、青い服のグループの先頭は、キムラスカの総大将のような威厳も貫禄も漂わせていない若く見える将官が立っていた。その男はすらりと背の高く、職業軍人とは思えないほど長く伸ばした金髪が青い制服に良く映えていた。マルクト帝国の使節団の面々は、さきほど導師守護役の同僚が感嘆の声を漏らしたように、皆、一様に見栄えが良かった。その中でも、先頭に立つ男は整った面立ちで、眼鏡をかけているところが如何にも優秀そうな雰囲気を漂わせていた。
「ねえ、あの先頭に立っている人、すごく格好いいと思わない」
 隣の同僚が囁いた。
「う、うん」
 アニスは曖昧にうなずいた。マルクト軍で最も著名な将校なら興味はあるが、ただの若い軍人なんて、彼女にとってどうでもいい。それとも、ダアトへの使節団の先頭に立つなら、業績はともかく、それ相応の名門の貴族のボンボンだろうか。どこをどうひっくり返しても、「死霊使い(ネクロマンサー)」ではなさそうだが、玉の輿の可能性はあるから、やはり顔を覚えておいた方がいいだろう。
 アニスがその濃い金髪の男を観察していると、横にいる部下と話していたその男がふいにこちらを向いた。マルクト帝国の人間には珍しい真っ赤な瞳がアニスの上を通り過ぎていった。その眼差しは男の見かけとは裏腹な力を秘め、彼女が覗いていたことに気づいたと教えているようだった。その瞬間、アニスはこのひょろりとした軍人が「死霊使い(ネクロマンサー)」と呼ばれるに相応しいことを本能で感じた。ぞくりと何かの予感が全身を突き抜けていった。
「やだぁ。あの人、私達のことを見ていたわよ」
 隣の同僚が嬉しそうにアニスをつついた。
「まさか。気のせいだよ」
 アニスはこそりと隣の子をつつき返した。
「そこ、静かに」
 詠師の小さな叱責が二人の頭上を掠め、アニスは首を竦めた。いつの間にか新年の祈りと預言(スコア)の言葉は終わり、使節団が順に導師へと挨拶に訪れる。マルクト軍の前列にいた男は、その立ち姿と同じく優美に床を歩き、導師へと近づいてくる。膝を折って導師へと深く礼をとる姿に、アニスは目を奪われた。


 アニスはさらりと流れる長い金髪をもう一度目で追った。何回眺めても、うらやましいと感じる髪は、軍服の肩から襟へと掛かり、軍服の飾りのようだった。
 久しぶりに訪れたマルクト帝国軍本部の第三師団師団長の執務室は、数年前と変わらず、たくさんの書類棚に取り囲まれていた。ソファの横には、こちらも相も変わらず皇帝陛下の私物らしきものが雑然と落ちている。大きな机の上は、未決済と書かれたトレイの上に山のように積まれた書類があった。
 この人は何が合っても、本当に変わらない。全く違う世界になったのに、何事も起きなかったかのように、ひょうひょうと過ごしている。あのときだって、明日には何もかもが消えてしまうと皆が怯えていたときでさえ、落ち着いた表情で過ごしていた。
 アニスは書類に向かっている男の表情を伺ったが、顔にかかる金髪が邪魔ではっきりと見えなかった。ルークが帰還してからこの数年、思い出したかのように、大佐から連絡がきた。アニスもたまには自分の近況を手紙に記した。大佐がダアトに来るときには、彼女をからかうかのように必ず彼女の仕事場に顔を出した。ごくたまには、ケテルブルクのホテルで食事を奢ってくれた。もっとたまに、ケセドニアの酒場でアニスがジェイドにお酒を奢ったときは、ひどく男が機嫌が良かった。
 この数ヶ月連絡が途絶えたと思ったら、突然、新年にグランコクマに遊びに来ないかと手紙が届いた。彼女はその理由を何度も考えたが、結局、男の真意を確かめないまま、この部屋にいる。ここに来る前に、ふと目にしたゴシップ記事欄が頭に浮かんだ。あの欄の常連であるマルクト帝国の皇帝陛下の写真の横に、別のスナップが合った。突き出された手が半分顔を隠していたが、そむける顔の横で靡いている金髪は相変わらず目を引いた。彼の肩の横に並ぶ女性はとても美しかった。
「大佐ってずるいよね」
 アニスがぼそりと零すと、書類に向かって熱心に書き込みをしてたはずの男が顔を上げて、彼女に微笑みかけた。
「アニース、何か気に入らないことがありますか」
「だって、癖毛じゃないし」
 アニスは口を尖らせて、とりあえず思いついた文句を言った。真意を尋ねる言葉は口に出来なかった。
「ふわふわしたあなたの髪は大好きですよ」
 男はペンを置くと、机から立ち上がり、アニスの方へと近づいた。
「『死霊使い(ネクロマンサー)』って呼ばれている癖に、全然そういう風に見えないし」
「それらしく見えたら、もっとあなたに気に入ってもらえますか」
 とんとアニスの横に腰を下ろすと、ジェイドは彼女のくるりと巻いた髪の先を軽く引っ張った。アニスは大佐の仕草に、馴れ馴れしいといういつもの文句を言うのも忘れて、頬を染めた。
「な……、何を言ってるの。仕事、終わってないよ、大佐」
 ようやくアニスがどもりながら答えると、大佐は軽く笑った。
「アニスが突然変なことを言い出すからですよ」
「はあ、大佐だって自覚あるでしょ。見た目と裏腹なことばかり、言うくせに。最初に、ダアトで大佐を見かけたときは、こんな人とは思わなかったもんね」
「アニス、あなたもですよ」
「え、いつのことを言ってるか分かっているの」
「私が陛下の名代で新年の祈りに礼拝堂に伺ったときでしょう。まだ、キムラスカとの和平で一緒に行動する前でしたよね。導師の背後から熱い目線を感じて、そこを見上げたら、あなたがいました」
「熱い目線って、私はただ各国の要人が誰か見ていただけで……」
「アニス、言い訳してくださるということは、やはり私を見ていたのですね」
「ち、違うって」
「冗談ですよ、アニス。でも、初対面で私だと気づいていただいて、光栄ですね」
 ジェイドが軽くアニスの肩に手を回すと、アニスはつんとそっぽを向いた。
「あなたが私達を観察していたように、我々もダアトの動向は調べていますからね。導師の守護役が大幅に入れ替えられたことは気になっていました。全く名を知られていないあなたが抜擢されたから……」
 そこで、ジェイドは自分が口に出したことに気づいて、先の言葉を濁した。
「大佐ったら、本当のことだから遠慮しなくていいんだよ」
「いえ、すみません。とにかく、私も気づきました。あなたがそこに居並ぶ要人を端から観察していることに。とてもかわいらしい女の子がすることとは思えませんでしたからね。でも、こうなってみると、あなたに目を奪われたのは、運命だったんですね」
「大佐って、本当に調子いいよね。まあ、確かにあれからずっと腐れ縁だものね」
 顔を赤くして文句を言う少女を満足そうに見下ろして、男は少女の肩を引き寄せた。今度は少女は彼におとなしく寄りかかった。
「新年なのに、ダアトから呼び出して、あなたをこの部屋で待たせてすみません。後少しで出られますよ」
「別に急いでいないから、大丈夫だよ」
 アニスの答えに、ジェイドはくるりと巻いたアニスの毛先にありがとうと口付けをすると立ち上がった。アニスはあわあわと唇を震わせ、男が歩く姿を目で追った。数年前とまったく変わらず、姿勢よく、流れるような動作は優美だった。長い指先がペンを取ると、大佐は書類の上にさらさらと書き始めた。
「ねえ、新年早々、礼拝堂にお祈りに行く以外に、どこに行くつもりなの」
 聞くともなく尋ね、ぼんやりと男の姿を見つめているアニスに大佐の声が届いた。
「宝飾店です。それで、待っている間に考えてください。あなたが玉の輿に相応しいと思う指輪は、どんな石が良いのか」
 こんどこそ、アニスはぽかんと口を開けた。
「せっかくですので、あなたが気に入ってくださるものにしたいのです」
 そこで、少女から返事がないことに気づいたジェイドは署名の途中で手を止めた。ぼたりとインクが滲んだが、もちろん、ペンを取り落とした本人は全く気づかなかった。俯いたまま動かない少女の姿に、慌ててジェイドは立ち上がった。
「あの、アニス。突然で気分を害したのなら、今日でなくても。いえ、あの、せっかく来てくださったのですから、食事ぐらいは奢らせてください」
「すっごく大きなルビーがいい」
 小さな声が聞こえた。
「ジェイドの目のようにピカッて光る濃い赤い色の。ジェイドが言い出したことを後悔するぐらい高価なのを頼んじゃうよ。それでいいの」
 震えているアニスの声に、ジェイドはほっとした表情を浮かべ、下を向いたままの少女の横に腰掛けた。
「ええ、構いませんよ。私はあなたの言うことに後悔しませんから。ちなみに、指輪が出来上がったら、ダアトの家にお伺いします。よろしいですよね」
「ジェイドだから、嫌って言っても来るんでしょ」
 アニスが泣き声で答えた。
「あの女の人はほっておいてもいいの。私でいいの」
「アニス、女って誰のことです」
「先週、新聞に写っていたじゃない」
「まさか、あの低俗新聞をあなたは信じているんですか。あの女に利用されたのは私の方ですよ。今ごろ、慌てた婚約者が彼女のご機嫌を取っていることでしょう」
「ジェイドったら……」
 アニスがくすりと笑った。
「私も婚約者のご機嫌を取らないといけなかったのですね。どうです。ご機嫌、直してくれましたか」
「まだ、婚約するなんて言ってないよ」
 唇を尖らして顔を上げたアニスの額に、ジェイドが優しく口付けを与えた。
「嫌って言っても、あなたの実家へ行くらしいですよ。私は」
 穏やかに彼女の背中に回された腕が、まだ涙に濡れているアニスの顔をジェイドの胸へと押し付けた。アニスはこれまたその男に似つかわしくないほんのりと甘い香に包まれ、落ち着いた男の口調にあきらめの吐息を洩らした。
「ジェイド、今日の夕食は港の側のあの一番人気のレストランだよ」
 了承の返事の代わりに、男の手が彼女の髪を静かに撫でた。
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