夏のお話

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  白いパラソル  

 強い日差しの下、ひょこひょこと白いパラソルが埃っぽり道を動いている。遠めで見ると、まるでパラソルが生き物であるかのような動きをしている。それは、下にいる人物がパラソルで隠れてしまうほど小さいからである。
 ジェイドは緩みかけた顔をどうにか真面目な表情を作ろうとした。アニスは待ち合わせの店の前まで来ると、パラソルを閉じた。それは、最近グランコクマの貴婦人の間で流行っている柄の長い上品なものを真似たものだった。もちろん、白い布地は、グランコクマのそれと違い、極上のレース生地のかわりに、ケセドニアあたりの荒い布地が使われている。長い柄もむくの木から削りだされたものではなく、合成板と見えた。
 少女は、怪しげな店で手に入れたのであろうパラソルを後生大事に握り締めている。こちらに近付く少女は、急いで来たのだろう。額にうっすらと汗を浮かべ、前髪がぺたりと張り付いていた。
「アニス、こちらですよ」
 彼が手を軽くあげると、きょろきょろと辺りをうかがっていたアニスがぱっと明るい笑顔を浮かべた。
「大佐、お待たせ」
「いいえ、こちらこそ急に呼び出してすみませんね。今日は特に暑いのですから、そんなに慌ててこなくても良かったのですよ」
「うん、でも、ちょうどつまらない演習の最中だったからね。助かったかも」
 そう言われると、アニスの鼻の頭が少し日焼けしていた。
「確かに、せっかくのあなたの顔が斑に日焼けしてはもったいないですね」
 ジェイドは軽くアニスの鼻先を指でつついた。アニスはぎょっとしたように、動きを止めた。
「大佐、何をするの」
「いえ、鼻先が日焼けしているなと思ったものですから」
「そうなの。だから、こんな時期に演習して欲しくないんだよね」
「それで日傘ですか。ずいぶんと素敵なパラソルを持っていますね。どうしたのですか」
「あ、これ。いいでしょ」
「ええ、最近流行っていますね」
「大佐はグランコクマにいるから、良く知っているよね」
「グランコクマでは主に大人の女性が愛用していますけどね」
「ぶぅ、このアニスちゃんには不似合わないって言いたいんですか」
 いかにも不満そうにアニスが文句を言った。
「いえいえ、あなたが使えば、別の魅力がありますよ」
 さきほどの様子を思い出して、ジェイドは笑った。後数年もすれば、それこそお似合いの女性になるだろうが、それは今言うことでもない。
「ねえ、大佐。玉の輿にぴったりな女の子に見えたりしないですか」
「いやぁ、その答えは保留といたしましょう。せっかく来ていただいたのですから、まず気持ちよくパフェでも食べましょう」
「それって、気持ちいい返事ができないってことですかぁ。アニスちゃん、すんごい傷ついた」
「ほら、アニス。今日はこの店特選夏のスペシャルで、三種類もアイスクリームが入っていますよ」
「わあ」
 ふくれっ面をしていたアニスは、とたんににっこりとした。しばらく、甘いものを楽しんでいたアニスは、思い出したように脇においていた書類の袋をさしだした。
「はい、大佐。頼まれていたもの」
「ああ、すみませんね」
 受け取った書類を袋から取り出し、ざっと目を通し、ジェイドは頷いた。
「これです。助かりましたよ」
「どういたしまして。でも、その名簿、いろんなところが抜けていると思うよ」
「それでも、マルクトやバチカルの役人よりは、教団の詠師の聞き取り調査の方が皆さん正直に答えてくれますからね。レプリカと元からの住民が混在している地域では、なかなか本音は聞けないものです」
「国境地帯の調整とか、大変だよね」
 さも訳知ったようにアニスが頷いた。
「まあ、誰かがやらないといけませんからね。さて、そろそろ行かないといけません」
「え、もう」
 アニスがすこし淋しそうに言った。
「あなたとゆっくり過ごしたいのですが、何せ、仕事が山積みでしてね」
 ふうとアニスはため息をつき、しばらく何も答えなかった。
「ねえ、大佐。大佐が私に会いにきてくれるのは、仕事するのに便利だからなの」
「アニス、突然どうしたのですか」
「大佐は私と会えて楽しい」
 少女が真剣に尋ねた。
「もちろん、あなたと話すのは楽しいですよ」
 ジェイドは少女の真っ直ぐな目線を見ることができず、軽く逸らした。大人の入り口に足をかけただけの少女がその年齢にありがちな憧れを彼に投じていることは気づいている。それを心地良いと思っている自分がいる。一方で、二人があまりに違うことも認識している。ひょっとしたら、少女の好意につけいってしまうのではないかと、少しだけ恐れているのも事実だ。
 彼の仕草に少女が軽く失望の吐息を漏らした。
「大佐ってずるいよね。たまには仕事抜きでアニスちゃんに会ってくれてもいいんじゃない」
 少女が軽口めいた文句を呟いた。
「そうしましょう。仕事の手が空いたら、アニスの大好きなケーキ屋にでもいきましょうかね」
「本当、大佐、約束だよ」
 少女は再び真剣な顔をして、小指を突きだした。
「なんですか。それは」
「約束」
「いい年したおっさんに、あなたがねぇ」
 そう笑いながらも、ジェイドは差し出された小さく細い小指を拒めなかった。まるで磁石に引き寄せられるかのように、自分の指を絡めた。柔らかい感触に、背筋に快感が走った。約束を守ると何が起きるのだろうと、軽い恐怖まで感じた。


 ダアトの参道はいつでも、右へ左へと人が溢れている。その中を白いパラソルを差したすらりとした女性が真っ直ぐに歩いている。横に並んで歩いていた男は、女性が立ち止まると、そのパラソルを恭しく受け取った。店先に出ている品をいくつか指差し、二人は顔を寄せ合ってなにやら相談している。通りの反対側を歩いていたジェイドはその後ろ姿に足を止めた。
 ダアトを訪れるのは久しぶりだった。数年は互いの消息をやり取りしていた仲間も、今は仕事でごくたまに顔を合わせるのが精々だ。彼も情勢にあわせた軍の再編やフォミクリーの研究に追われている内に、連絡は間遠くなってしまった。四年ぶりだろうか、ダアトの雑踏を歩いていると、ひょこひょこと踊っていた白いパラソルを突然思い出した。そのせいで、通りの反対側の真白なパラソルに目を奪われた。
 パラソルの下にいる女性は長い黒髪を両脇で結い、長くたらしていた。くるりと巻いた毛先が、大人びた横顔から見える大きな目が、数年前と同じ印象を与える。だが、背はすっかり伸び、見事な曲線を描く腰には隣の男の腕が添えられていた。ガイから、今年の春に婚約したらしいと噂を聞いてはいた。手に持つパラソルは、そのデザインといい、艶やかに光る布地といい、グランコクマの高級店のものだ。
 目の前で他の男と楽しく話す姿に、胸の奥底に大切にしまわれていた幼い姿がじわりと浮かび上がり、彼の胸をちりりと痛ませた。結局、約束は果たされなかった。絡めた指の感触は長い間彼の心の中にあったが、それゆえに、少女と会うことに躊躇いを覚えた。ずっと待っていてくれるなどと思いあがっていたわけではない。彼女の好意を楽しんでいたあのとき、二人の関係がそのまま変わらないと思っていたわけでもない。だが、目の前の光景に思いもかけない喪失感が沸き起こった。彼はとっくに消え去っていたはずの自分の感情がまだ残っていたことに気づいた。
 白いパラソルがくるりと一回だけ回転すると、二人は彼の目的とは反対方向へとゆっくりと歩き始めた。優雅に少しだけ傾けられたパラソルは、人ごみの向こうへ消えた。
 ジェイドはくるくると忙しなく動くあの日のパラソルを探すように、しばらく通りに目を走らせた。やがて、いつものように姿勢正しく向きを変えると、変わらず威容を誇る教団本部へと足早に去っていった。
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