七夕のお話

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  織女と牽牛  

 かつかつと廊下から部屋に入る規則正しい靴音に、ソファに寝転がっていたアニスは読んでいた本をぱたりと閉じた。
 休養をとろうとグランコクマの王宮に滞在して、数日立っている。他の仲間達も提供された部屋で、てんできままに好きなことをしている。ルークは絨毯の敷かれた床にだらしなく寝そべって、腕枕のままに天井を見つめていた。横でティアがミュウを相手に小さな輪を組み合わせたパズルを真剣に解いていた。ナタリアは姿勢よく窓際のソファに腰をおろし、弓の手入れをしている。丁寧に弦をはり、軽くはじいては、少しずつ張り具合を調整していた。ガイはルークが気になるのか、火の入っていない暖炉脇の丸い椅子に座って、いつもと違った沈黙を守る幼馴染を見つめていた。
 閉じた本を手にしたまま、アニスが伸びをすると、その本を背後から誰かが抜き取った。
「アニース、こんな本を読んでいるのですか」
 アニスが奪い返そうとする前に、にんまりと笑った大佐がうすっぺらい本を広げた。グランコクマに入ってからというもの、大佐は本来の第三師団の指揮に忙しいのか、今回の出来事を上層部と検討しているのか、仲間達の側で過ごすことはほとんどなかった。おかげで、アニスはこの男の脅威をすっかり忘れていた。
 慌てて本をを取り替えそうとすると、男は軽く本を持ち上げた。どうせ、背伸びをしても届かないことは分かっているので、アニスは相手をせずに、ソファに座りなおした。
「大佐ぁ、時間つぶしですよぅ。ほら、ピオニー陛下からお声がかかるまでの間、待ってないとね。昨日の謁見だって、陛下、アニスちゃんにとっても良い雰囲気で話してくれたし、アニスちゃんの玉の輿もすぐそこって感じかな」
「寝言は眠ってから言ってください」
 何故か、大佐は濃い紅玉の目を細め、冷たく答えると、手にした本を再びぱらりと捲った。
「織女と牽牛の話ですか。子供だましの昔話を読んでいるなんて、まだまだ、玉の輿にはほど遠いんじゃないですか」
「ぶぅ、大佐こそ、意地悪な天帝でしょ。アニスちゃんとピオニー陛下を引き離そうとするんだから」
 大佐ははっとしたように本から顔をあげ、何か考え付いたように、眼鏡を直した。そして、アニスに向かっていかにも邪気のなさそうな笑顔を向けると、明るく言い放った。
「私が天帝だったら、二度と会わせませんけどね」
「大佐って、意地悪すぎるよ」
「とんでもない。一年に一日しか会えないなんて、かえって辛いじゃないですか。仕事させるのに、効率が悪すぎます。二度と会えないとわかれば、仕事に集中できますからね」
「大佐、乙女のロマン、まったく理解していないでしょ。一年に一日しか会えないから、燃え上がる二人の愛」
 アニスがその光景を思い浮かべて叫んだとたんに、ミュウと一緒に遊んでいたティアと弓に集中していたはずのナタリアが呼応した。
「その、素敵よね。一年ぶりに愛しい人の姿が星の向こうに見えたら、どきりとするでしょうね」
 ぽおと頬を染めて、ティアがつぶやいた。
「ええ、そのとおりですわ、ティア。会いたくて、会いたくてたまらない方のシルエットが星明りに浮かび上がりますの。夢の出会いですわ」
 ナタリアが弓を膝に置くと、手を組んで答えた。
「くだらねぇ。俺だったら、一年に一日なんて言われたからって、守ったりしないぜ。会いたくなったら、どんなことがあっても会いに行く」
 ルークが突然起き上がると、力強く宣言した。とたんに、ティアは首から上を真っ赤に染めた。
「待ってろよ、ヴァン師匠にアッシュ。必ず、止めてやる」
 場違いに拳を握り締めて叫ぶルークを周囲の皆はあきれてながめる。ティアはがくりと首をうなだれた。ミュウは心配そうにティアをのぞきこみ、その膝の上に乗った。
「ルーク、話の流れをつかめよ」
 白々しい沈黙の後、ガイがぼそりと話しかけた。
「え、俺、何かまずいことを言ったか」
「ルーク、ティアに謝ったほうがいいですわよ」
「ナ、ナタリア、いいのよ」
「はぁ、俺、何もしてねぇぞ」
 四人が言い争う姿をソファの上からアニスが面白そうに観察している。その背後へ、大佐がすっと腰をかがめて、顔を近づけた。アニスの周りを大佐の香が包み、耳元で男の囁き声が聞こえた。
「たまにはルークもいいことを言いますね。あなたがダアトに戻っても、私も会いたくなったら、いつでも会いにいきます。もちろん、邪魔は排除しますよ。玉の輿はあきらめなさい」
 言われたことが頭の中に入るまでに、数秒かかった。ふざけたことを言う男に文句を言おうとアニスはくるりと男の方を振り向いた。秘密を共有した者へかすかな笑みを大佐は浮かべ、アニスが口を開く前に彼の命令しなれた声が部屋に響いた。
「さて、皆さん。行くべきところもすべきこともおおよそは見当が付きましたので、グランコクマを出ます。すぐに準備してください」
 アニスにくだんの薄っぺらな本を返したかと思うと、大佐はいつものようにポケットに手をつっこんだ。そして、真っ直ぐな姿勢で、何事もなかったように部屋を出て行った。その姿を見送りながら、手の中でなんの変哲もない昔話の本が熱でも放った気がして、アニスはおもわず本を取り落とした。
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