ホワイト・デー小話

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  101回目の求婚(プロポーズ)  

 こじんまりとして清潔な台所には、その部屋の主人の好みで、一枚板の大きな木のテーブルが真ん中に置かれている。白いタイルの床に胡桃色が部屋に優しい印象を与えている。流しにはいくつもの鍋がぞんざいに置かれて、苦闘の跡を忍ばせている。
 テーブルの上で、金髪の少女が二人、真剣な顔をしてマシュマロ液を真白い粉の穴の上へと落としていた。近寄ってきた大きな影に、双子達はにっこりと笑いかけた。
「おや、作っていますね。兄様はどうしたんですか」
「お兄様は誰かにお返しをあげなきゃいけないって、大慌てで出て行った」
「慌てていたよね」
「おや、もうそんな年頃ですか。では、教えてください。あなた達もどなたか下さる方がいるんですか」
「お父様からもらうもん」
「お父様がいい」
「私は上手に作れません。だから、お母様の分もあなたがたにお願いしているのですが、それでもいいんですか」
「ご褒美にキスして」
「お母様にするみたいに」
「うーーん。それはお母様のお許しが出たらということにしましょう。ところで、終わりそうなのですか」
「待っていて、もうすぐできるよ」
「そう、あとすぐで出来上がり」
 そっくりな顔をした少女達は、また慎重に一匙ずつ、液を粉の窪みへと落とし込んでいく。
「ねえ、お父様、聞いていい。本当にお父様はお母様にいっぱい求婚(プロポーズ)したの」
「たくさん、求婚(プロポーズ)したんだよね」
「そうですよ」
「そのお話、聞かせて」
「聞きたいな」
「そうですね。お二人に作っていただいている数だけ、求婚(プロポーズ)しました」
 何度も話しているはずの今日の思い出を父親が飽きもせずに楽しそうに語りだす。二人は、その話を聞きながら、マシュマロの素を馴れた手つきで入れていく。この家の例年の風景だ。



 信心深い人の波は今日も引きもきらずに、大聖堂へと向かって続いている。アニスは歩く隙もないほどの混んでいる大聖堂へと向かう大通りを、今にもつぶれそうな商店の二階にあるテラスから観察していた。
 右往左往する人々は、何を考えているのか、目についた店を手当たり次第覗き込み、列をなしていると思えば、さして吟味もせずに土産物やら、記念品やらを購入している。アニスは手元の手帳に気づいたことを書き込んだ。
 生憎、借金は働けど、働けどなくならない。本来なら、神託の盾(オラクル)騎士団の兵たるもの、空いている時間は自己鍛錬をしなくてはならないと決まっている。だが、アニスの場合はそんな悠長なことをしている暇などない。訓練は実地あるのみ。アニスが必死に借金を返そうとしている間にも、どこぞの困った顔をした悪辣な年寄りに両親が騙されていないともかぎらない。だから、今日も小隊解散の声がした瞬間に、上官に見つからないように部屋を飛び出すと、請負仕事へと走ってきたのだ。
 この一階にある店の人の良さそうな親父が、客が入らなくて、売り上げが伸びないと愚痴をこぼしているのを先日聞いた。場所もいいのに、確かに前後の店と比べても、客足は断然悪い。そこで、アニスは売り上げの一割をもらうとの約束で、客を呼び寄せるための手段を請け負ったのだ。
 まずは、人の動きが重要である。
 そんなわけで、季節にしては暖かい日差しに汗を流しながら、アニスはちびた鉛筆でノートにデータを書き込んでいく。わらわらと動く人の流れが大きく滞ったかと思うと、神託の盾(オラクル)騎士団の精鋭部隊が真ん中を突っ切っていった。
 なるほど、こういうとき、人は無意識に広い場所を求めて動く。この店の前には小さな柱やら、鉢やらが無秩序に置かれており、どうやらそれが人の寄り付かない原因の一つらしい。
 そのとき、ざわざわと移動する人の中を一際背の高い男が歩いているのが目に入った。慌てて、アニスは二階のテラスに伏せた。別に見つかってまずいというわけではないが、どうもあの男は苦手だ。それに、休暇でもない日に副業に精を出しているところを知られたくない気がした。
 こそっと顔を上げると、もう、目立つ金髪の姿は見えなくなっていた。それにしても、マルクトの将官が教団に何の用なのだろう。後で、教団の幹部達から、それとなく話を聞きだそう。アニスは頭の中にメモを一枚つけ加えると、再び、人ごみの観察を始めた。


 急にノートの上に影が出来た。
「ほう、なるほど。なかなか丁寧に調べていますね」
 聞きたくない声が背後からした。アニスは振り向かないように、前をじっと見ていたが、影はさらに大きく彼女を覆うと、ひょいと書いていたノートを取り上げてしまった。
「アニース、こんなところで何をしているんですか」
「大佐、お久しぶりです。ちょっと、頼まれて調査です。忙しいんですから、邪魔しないでください」
「何やら、やましい調査ではありませんか。何かの気配に気づいて、伏せていたでしょう」
 大佐は彼女の横に座ると、しげしげとノートを見ている。
「ち……違いますよ。別に大佐を見たから隠れたわけでは……」
「アニース、私を見ると隠れたくなるのですか」
「大佐、そんなことないですよ。アニスちゃん、大佐に久しぶりに会えてうれしい」
「本気でそう思っていただけると嬉しいのですがね」
 相変わらず、飄々とした笑顔を浮かべて、大佐はまだノートを見ていた。
「大佐、それ、返してもらえますか」
「ああ、失礼いたしました。アニス、なかなか丁寧に調べていますが、もう少し、整理してデータを取られたほうがよいですよ」
「はぅ……」
「例えば、この人数の記入は、男女別にしておいた方が、後で解析するのに便利です。それからですね、入る人の数だけではなく、出る人の数を一定時間ごとにカウントすれば、おおまかな平均滞在人数を得ることができます」
「ふうん、じゃあ、こっちの道を通る人も男女別に数えた方がいいのかな」
「何を知りたいのかにもよりますが、まあ、あなたがしていることですから、この店の親父さんにでも集客を頼まれているんですよね。それでしたら、その道にはこの店の入り口はありませんから、数えても無駄ですよ」
「なぁるほど、って、大佐、なんでここにいるんですか」
「もちろん、アニスに会うためにまいりました」
「へ……」
「嫌ですね。今日はちまたではホワイト・デーという日です」
「え……」
「あんなに散々、玉の輿にのりたいとおねだりしていたくせに、忘れてしまったのですか。アニース。私がわざわざ来てあげたというのに」
「あれは勢いっていうか、二年前の話だし。もしかして、大佐、本気だったの。あのとき、義理チョコだって、アニスちゃん、きっちり言いましたよ。大佐、聞かないふりしていたでしょ。わたし、ホワイト・デーのお返しなんて期待してませんから」
「アニス、そんな冷たくあしらわないでください、というか、ホワイト・デーには私が指輪を持ってお伺いすると一旦口にしたのですから、約束は守ります」
 アニスは大佐から少し離れようとした。
「あの、うう、もう二年前のことだよ」
「たった、二年前ですよ。忘れたとは言わせません。まあ、直後のホワイト・デーのときには、あなたのご両親から早すぎると待ったがかかりましたが、それはいたしかたがないと私も了解しております。その後は、あなたにはぐらかされて、こと、今日に至ったように思いますが、どうでしょうかね。アニス。
 相変わらず、借金返済に励んでいらっしゃるようですが、二年たちましたし、他に私達の間に障害はないと思います。もういい加減、OKしていただくことで決着をつけましょう」
「大佐、今日はアニスちゃん、お仕事で忙しいので、そのお話はまたの日に……」
「駄目です」
「いや、中年の男がホワイト・デーに拘るのも、なんだか」
「あなただって、私に先月、愛のチョコレートを下さったじゃないですか。いただいたのに、私が何も返さないわけにはいかないですよ。先月のバレンタイン・デーの日にそれは申し上げましたよね。ちなみに、あのときで100回目のプロポーズでした」
「ええと、あれは単なる勢いで、愛のチョコレートではないので、真剣に返さなくてもいいって。ほら、マジになると準備大変だし。大佐、忙しいし」
「ご心配なく。あなたのためなら、何も問題はございませんよ。準備はしてまいりました。今度こそ、私をごまかそうとしても無駄ですよ。ご両親が反対していないことはさきに確認いたしました。もちろん、私の方は何も問題がありません。さあ、アニス、来てください。二人でご両親に挨拶にまいりましょう」
 大佐がアニスにずいとせまり、アニスは慌てて立ち上がると、逃げるように後ろへ下がった。大佐も追いかけるようにアニスへと向き合った。
「ねえ、大佐。嫌ってわけじゃないけど、その、何というか、形式に拘らなくてもいいんじゃない。いつでもこうやって会えるし」
「何言ってるんですか。私もいい加減年でしす、一人でいるのもねぇ」
「いや、大佐に限って、そんなこと誰も気にしてませんよ」
「アニース、往生際が悪いですよ」
「大佐」
「あなたと毎日を過ごしたいという私の気持ちも少しは酌んでください」
「……。それ、先に言ってもらわないと」
「おまけに、先月はあなたのお誕生日でしたよね。今ならあなたを抱いても、犯罪人になりません」
「それは余計だって」
 もう一歩下がろうとして、アニスはちっぽけな屋根裏の柵にぶつかった。退路を断たれたアニスは満面の笑顔を見せる大佐にむかって、困ったように首を横に振った。
 この男のことが嫌なわけではない。むしろ、好意を持っていると言える。だけど、ずっと消えない不安がある。彼女にとって分不相応な素晴らしい人を手にいれてしまったら、そんな幸せなできごとが起きたら、また、あっという間にその幸せは消えてしまうのではないだろうか。
「前回申し上げましたように、100回を超えました。ですから、これが最後の求婚(プロポーズ)です」
「……」
「やはり、受け入れていただけませんか」
 大佐は残念そうに肩を竦めると、アニスに背を向けた。ぎしりと安普請のテラスがきしんだ。
「そうでした。一つ、言い忘れていたことがありました」
 突然、大佐がくるりとアニスの方を向いた。アニスの肩を強く掴んだ大佐は、射抜くような紅玉の目で彼女を見据えた。
「私は死にません。あなたを一人おいては決して死にません」
 アニスはびくっと男の顔を見上げた。
「私はあなたの前から消えたりしません。あなたを一人残すつもりは毛頭ありません。五十年後もあなたを愛していると誓います。だから、アニス、私のことを受け入れてください。二番目でいいですから」
 そういい終わったとたんに、大佐がアニスを抱きしめた。
 アニスは下を向いたまま、うんうんと頷いた。そうしていないと、涙がこぼれそうだった。とても優しくて、少しだけわかっていない男の胸は広くて固くて居心地が良かった。仕えていた主が、彼女の中で過去の思い出となることを辛抱強く待っていてくれた。彼女も本当はそれに気づいていた。
「もう、……。とっくのとうに、一番になっているよ」
 男には聞こえないように、目の前にあるどくどくと波打っている彼の心臓に向かって囁いた。


「101回目のときはですね、お母様ときたら、今にもつぶれそうな商店の二階に隠れていたんですよ。どうにか見つけて、私が『100回目を越えました。これが最後の求婚(プロポーズ)です。二度とあなたの前に現れません』とびしっと申し上げたら、あなた達のお母様は慌てて私の願いを受け入れてくださったんです」
 がたっと扉が開く音がして、この部屋の主人であり、少女達の母親であり、男の愛する女(ひと)が入ってきた。
「ジェイド、また、そんな作り話をして。子供達が勘違いするじゃない」
「お母様、慌ててうんて言ったんだ」
「お母様、焦ったんだ」
「何言ってるのよ。毎週、毎週、ジェイドがプロポーズに来るもんだから、他の人は誰も寄り付かなくなっちゃったのよ。だから、仕方なくなの。しつこい男には気をつけるのよ。あなた達、分かった」
「アニス、しょうがないですよ。素敵なあなたを放っておいては、どこの男に攫われるか分からないですから」
「まあ、ジェイドよりいい男は滅多にいないけどね」
「アニス、できるなら、もう一回あなたにプロポーズさせていただきたいところです」
 お母様の腰にぐるりと腕を回し、お父様が抱きしめる。お母様は驚いたようにちいさく口を開けて、お父様をじっと見上げていた。
 双子達はにこりと顔を見合わせると、冷蔵庫にバットをいれ、台所からそっと抜け出した。二人があの部屋から出てくる頃には、101個のマシュマロもほどよく固まっていることだろう。
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