お誕生日後のお話

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  おせっかい  

 ピオニー・ウパラ・マルクト第九代皇帝は、彼以外であるなら、いたたまれないこと必至な極地のように凍りついた部屋で、ゆったりとくつろいでいた。彼の定席となっているソファにもたれかかり、親友でもあり、最も信頼できる部下でもあるはず男の様子を観察している。普段であれば、擦り切れたソファの上でだらしなくころがる彼に文句を言う男は、まるで彼がいないかのように書類の上にペンを走らせている。かりかりと紙の上を走るペン音には心なしか元気がない。
 ピオニーは机に向かう将官の表情を見ようと、ソファの背に肘をついた。わざとらしくがさりと音を立てても、机の向こうの武官は全く反応しなかった。ピオニーは軽く舌打ちしてみたが、もちろん、飼い犬ならぬ彼の部下はそんなことで顔を上げるようなことはない。それどころか、部屋の温度がさらに下がったように感じられた。夢中で仕事をしているはずの男の背後に譜術の揺らめきが見えるのは気のせいだろうか。
 こんなに拗ねた友人を見るのは久しぶりだった。滅多に見られない光景にこのまま放っておくのも楽しそうだ、とピオニーは無責任ににんまり笑った。だが、この部屋の外で皇帝の首尾を参謀総長と大将軍が雁首そろえて待っているのだ。まったく、軍というのは、上意下達が当然ではないのかと一言文句を言いたかったが、目の前にいる男と渡り合える者がいないこともこれまた事実だった。
 ふうと覚悟を決めると、ピオニーは自分でできる限り、明るい声で彼の存在を全く無視している将官に尋ねた。
「よう、俺のジェイド。今年の誕生日はやけに機嫌が悪かったらしいじゃないか」
 もちろん、返事はなかった。だが、部屋のすみずみに霜が降りたような気がした。ピオニーはもう一度、軽く、第三師団師団長に向かって声をかけた。
「ジェイド・カーティス君、仕事に私情を挟むなとは君がいつも言っていることではないですか。ああと、俺の大事な参謀総長がこの数日、マルクト軍の運営に支障をきたしていると言っているんだが、身に覚えはないですか。ゼーゼマンのじいさんもいい加減年だから労わってやれよ」
 前でかりかりとペンを動かす男は何も答えなかった。紙を走るペンの音は普段よりゆっくりしており、目の前の男が仕事に集中していないことだけは分かった。集中しているときは、彼のつまらない問いかけに無意識に答えながら、この倍の速さで書類を読んでいる。
「ジェイドォ、皇帝陛下がじきじきに相談にのってやると言ってるんだ。こんな機会は滅多にないぞ。お前、だんまりと決め込んでも、何も解決しないことぐらい分かっているだろう。まあ、だめもとで俺に話してみたらどうだ」
「あなたに話すことは何もありません」
 書類に向かって書き込みをしながら、ジェイドがけんもほろろに答えた。しかし、ピオニーは長い髪の奥でジェイドの瞳が泳いだことが分かった。そもそも答えを寄越すこと事態が異例といえば異例だ。ピオニーの推測を裏付けるように、ペンの走る音が小さくなった。
「おや、部屋一杯のお誕生日プレゼントを貰ったというのに、ネクロマンサー様はご満足でないらしいって噂だ」
「あなたじゃあるまいし、部屋一杯なんて貰ったことありません」
「またまた、ジェイド。俺には勝てないにしても、ガイといい勝負だったともっぱらの評判だぞ」
「私はそんなことで勝負なぞいたしません」
「そうか、そうか。だが、安心しろ。ガイはお前と違って恋人からのプレゼントなんてのは、はなからないからな。だから、お前の勝ちだ」
「……」
 部屋の温度は勢い良く絶対零度に向かっていった。ピオニーは息をどうにか吸うと、もっとも危険な台詞を口にした。
「おやおや。返事がないところを見ると、お前、今年はアニスちゃんから誕生日プレゼントをまだ貰っていないのか。ジェイド、ひょっとしてアニスちゃんに捨てられたのか」
 ジェイドは机の上に積み重なっている書類の山に署名の終わったものを重ねると、別の山から新しい書類を取り、目の前にたたきつけた。書類のぱさりという音と一緒に、放り出したペンのころがる音がした。
「陛下、失礼なことをおっしゃりますね」
「図星だな」
「誰に向かって口を利いているつもりですか。ことによっては、この部屋から無事では出れませんよ」
 どうやら、いつもより忍耐力がすりきれているらしいジェイドがピオニーの方へきつい視線と向けると、冷たい声で答えた。
「ジェイド、俺は親友のお前のことを心配しているわけ。親友が元気ないと、俺も気がそぞろになる。おまけに俺は皇帝だから、俺が元気ないと、マルクト帝国にも影響がでる。帝国に影響がでれば、世界が困る」
「何、風吹けば桶屋が儲かるようなたわ言を言わないでください。大体、いつ私とあなたは親友になったんですか」
「ネフリーがお前の妹だと俺が知ったときからだ」
「……、単なるあなたの都合だけじゃないですか」
「ごたくはいいから。俺達は親友。な、それで、アニスちゃんはきっぱりお前のプロポーズを断っちゃったのか」
「プロポーズなんかしてませんよ」
「おいおい、あんな付き合いしていて、この後に及んでプロポーズもしないで何してるんだ。それって、まずいんじゃないのか。なあ、ジェイド。彼女のことをどうするつもりなんだ」
「……」
 いつもであれば、書類に書き込みをしながら答えるはずの将校は、身動きせずに考え込んでいる。
「まさか、お前、誕生日プレゼントの御礼にプロポーズしようとか、そんな、少女漫画みたいなことを考えているわけじゃないよな」
 見る人によっては底なしの恐怖を与える赤い瞳が宙を彷徨った。ピオニーはぐっと笑いをこらえ、譜術と軍事関連のこと以外には若干常識が怪しい親友の表情を観察した。
「それがですね……」
 ふうとため息をこぼすと死霊使い(ネクロマンサー)は悩ましげに机の腕に肘をつくと、手を合わせ、睫を半分閉じた。無駄に色気のある男だよな、とピオニーはつまらない感慨を覚えた。これだけ世の無常を感じている風情の男の悩みときたら、二十歳も年下の、わが子と言ってもおかしくない少女から誕生日プレゼントを貰えないことなのだ。
「アニスとはこの前から何回か会っているのですが、ちっとも私の誕生日とか気がついてくれないのですよ。それどころか、この前なんて、私を前にして『わたしって将来どうなっちゃうのかな』なんて暗い顔をして言い出すんです」
「話の前後が見えないが、アニスちゃんがそう言ったのか。お前に」
「そうなんですよ。彼女の大のお気に入りのレストランで食事をしているときにですよ。普段はあそこで食事すると、いつもご機嫌で、夜のお楽しみタイムに雪崩れ込むのに一番なんです」
 ピオニーは真面目に答える部下の最後の台詞に頭を抱えた。こんな下心見え見えの男を前にしていれば、確かに将来が不安に思うのも無理はない。
「ジェイド、アニスちゃんもお年頃だ。お前がはっきりしないのがいけないんじゃないか」
「はっきりねぇ」
「まあ、相手はダアトにいるし、こういっちゃなんだが、年齢も家柄もお前に釣り合わない。付き合っている分にはいいだろうが、彼女のことを考えて、そろそろあきらめ……」
 ピオニー陛下は目の前がいきなり暗くなった原因を見上げた。大佐が仁王立ちになって立っていた。
「あきらめるつもりは全くありません。アニスが何を言おうと、そろそろ、アニスはこちらに連れてくるつもりです。月に一回しか夜を一緒に過ごせないなんて、我慢にも限度があります」
 決然と答える将校に、皇帝は慌てて座るように促した。
「ジェイド、何危ないことを言ってるんだ。とりあえず、座れ。まあ、落ち着け。いいか。他国の人間を本人の了承もなく連れてきたら、それは『拉致』という立派な犯罪になるんだぞ」
「連れてくればどうにでもなりますよ」
 皇帝の横にどさりと座りながら、とんでもないことをジェイドがさらりと言う。
「その発想が間違っているぞ。それじゃ、どこかのテロ国家と同じだぞ」
「ですが、アニスときたら、私の願いをちっとも聞いてくれないんですよ」
「ジェイド、アニスちゃんに何が欲しいと言ったんだ」
「いやですねぇ。いくら親友のあなたにでも、恋人同士の睦言はそうそう教えられませんよ」
 何か思い出したらしくにんまりと笑うジェイドの表情に皇帝は頭を抱えた。こいつの『お願い』について詳細に聞くのは人倫に反するような気がする。普通の人間が言うような月並みなプロポーズとか、甘い囁きが、この男の頭に浮かぶはずがない。お誕生日プレゼントを貰っていないということは、アニスちゃんのご機嫌をそこねるようなおねだりをしたに決まっている。ダアトとマルクトの間で揉め事を起こさずに、ジェイドとアニスちゃんの二人がどうにか納得するにはどうしたらいい。
 マルクト帝国皇帝陛下は、先月大切なブウサギのネフリーが病気になったとき以来、久しぶりに真剣に頭を使った。
「なあ、ジェイド。将を欲すれば、まず馬を射よという言葉を知っているか」
「それがこの問題と何の関係があるんです」
「アニスは一人娘だ」
「それで……」
 ジェイドが彼の言葉に反応を示した。
「まあ、お前は親の意志や妹の気持ちを考えたりはしないだろうが、普通の人間はだな。親の言うことには逆らわないものだ。特にアニスは親のために自分を犠牲にしても大切にしているぐらいだ。親が喜べば、案外素直になってくれるんじゃないか。こんなお前と会ってくれるぐらいだから、お前のことを満更でもなさそうだしな」
「こんな、とはなんですか。アニスは私のことを気に入ってくれてます」
 そこだけ、ジェイドがはっきりと答えた。
「やけにそこだけ自信があるんだな。間違っていないことを祈るぞ。とにかくだ。お前がすることは、ここでアニスを拉致する手段を考えることじゃなくて、アニスのご両親を説得することだな。アニスちゃんから誕生日プレセントを貰うよりも、アニスのご両親から祝福の言葉をもらってみろ、ずっと効果的だぞ」
 ジェイドがぱっと顔をあげて、なにごとか分かったように眼鏡を直した。親友がこんなに決然とした表情を浮かべるのは、世界崩落の危機以来のことだ。軽く言ったつもりだったが、この男がそれをどう実現するのか考えると、実は核爆弾を落とせと言ったようなものかもしれない。ピオニーは遠くダアトにいる少女とその両親が今の自分の助言を永遠に知らないようにと祈った。
「ピオニー、あなたもたまにはいいこと言いますね」
 さきほどまで仏頂面をしていた男は嬉しそうに、皇帝陛下の肩を無遠慮にたたいた。
「ジェイド、たまにはないだろう」
「その調子で、わが国の難問にも取り組んでいただければ、文句はないのですが。さて、戦略すべき対象と地域が決まれば、きたるべき日に向けて準備をしなくてはなりません。とりあえず、ダアトへ訪問しなくてはなりません。日程調整するにしても、ここにある仕事を終わらせなくてはなりませんから、これから、忙しくなります」
 ジェイドは立ち上がると、自分の机へともどった。机の上に置いてある予定表になにごとかを書き付けると、親友はにんまりと笑った。ピオニーはその表情を見て、遠くダアトでがんばっているはずの少女に少しだけ同情した。第三師団師団長はさきほど放り投げた書類を丁寧に揃えなおし、やにわにペンを取った。
「ピオニー、お話させていただいてありがとうございました。率直に言えば、滅多にないことですが、大変助かりました。そして、さらにご協力いただきたいので、あなたはこの部屋から出ていってください。仕事を効率よくこなさなくてはなりませんから、あなたは邪魔です」
 いきなり今までの数倍の速さで書類の片付けを始めた男に皇帝陛下は忍び笑いをもらした。ゼーゼマンからジェイドの仕事が滞っているとこぼされたが、これで解決したはずだ。
「おう、ジェイド。ダアトに行くまでに仕事は全部片付けておけよ」
「あなたではあるまいし、この程度の仕事、数時間もかかりません」
「後な、ジェイド。女っていうのは、何でもかんでも大きいものが好みらしいぜ。あれも指輪も大きいほどいいってさ」
「あなたから女性の扱いについてご指導いただく必要はありません。下世話な話はガイにでも教えてやってください」
「せっかくの忠告だったのになぁ」
 ピオニー陛下は後ろ手でジェイドの執務室の扉を閉めた。
「陛下、首尾はいかがでございましたか」
 出たとたんに、声をかけられた。ピオニーはにやりと笑うと、前に立っている参謀総長と大将軍にぐいと親指を突き出し、彼らの望みをかなえたことを教えてやった。
「ジェイドは元に戻ったぞ。というか、前よりしばらく仕事には励んでくれると思う。それでだ、あいつにダアトから嫁が来るはずだから、しかるべく準備をするように促しておいてくれ」
「あのカーティス大佐に花嫁が、ですか」
 参謀総長が首を傾げた。
「あのジェイドにだ。これは国同士の非常にデリケートな問題だ。花嫁に逃げられては、わが帝国の威信にかかわる。何せ、ジェイドはほっておくと、普通の者がしそうなことは何一つやりそうにないからな。カーティスの親父に連絡をとって、お前達の方で根回しをしておいてくれ。一応はジェイドが動くだろうが、それだけじゃ心もとないからな。ダアトには俺からもまっとうな使者を出すつもりだ。やはり、ガイラルディア伯爵あたりが適任かな」
「陛下、承りました。詳細は後ほどご相談させてください」
 二人が深く礼をするのは相手にせず、ピオニーは王宮へとさっさと戻り始めた。ジェイドがいろいろと別の方向に気をとられている内に、しかるべきことをしなくてはならない。
 我ながら、国も自分自身も利する方向に事を進めることができて、満足だ。ジェイドのご機嫌もこれでしばらく安泰だし、ついでに、ジェイドの監視の目がダアトに向かっている間にケテルブルクに通えるというものだ。まさに、『将を得とすれば、馬を射よ』だ。いやいや、彼の場合は『外堀を埋める』ことかもしれない。
 ダアトには悪いが、ここは自分の幸せとわが国の安定だ。ジェイドに目をつけられたものが逃れることなど、それが戦いでも議論でもお付き合いでもほぼ不可能だ。ダアトでの戦いに防衛できるかどうかは、アニスちゃんの力量にかかっているが、この男と数年も付き合っているのだから、彼女もある程度覚悟はしているだろう。マルクト帝国にしてみれば、ジェイドと一緒にあの少女も手中にできるのだから、願ったりかなったりだ。
 長い間親友をしているから、部屋を出るときに、ジェイドの髪が少しだけ揺れたことには気づいた。アニスちゃんがどれだけ大きな石のついた指輪をもらったのか、後で聞くのが楽しみだ。ネフリーに贈る指輪はそれより大きな石にしておかないとな。皇帝だということも、たまには役立つものだ。宝物庫を調べておこう。
 軍本部の廊下を上機嫌で歩く皇帝陛下は鼻歌まで歌いだした。日頃は軍靴の音しか響かない廊下に朗々と流れる歌声に、思わず行き交う兵達は振り返った。生憎、音源が皇帝陛下では止められる者はいない。ピオニーが皇帝本人だけに分かる理由でガッツポーズを決める。その横で、不運にそこに居合わせた当番兵は、意味不明なポーズをとる皇帝陛下に折り目正しく敬礼を送った。
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