王国 ---別れ

王国

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別れ

 どうにか、許しを得て王宮を離れ、ひさしぶりに主席官の館につく。すでに昨日のうちに訪問を伝えていたせいか、門の前でクラトスが立っているの見えた。そういえば、奥様のお加減が悪いから学問所から家に戻っていると聞いた。
「クラトス」
 駆け寄ると、いつもくったくなく彼に飛びつくはずの少年は淋しそうに笑った。
「ありがとう。母上も待っているよ」
 彼の手を急ぐように引く。館も全体がひっそりと静まりかえり、女主人の具合の悪さを告げているようだった。
「ユアン様、よくぞいらっしゃいました」
 顔の見知った侍女や執事が扉の向こうから頭を下げる。
「奥様もそれは楽しみにしていらっしゃいまして、今日はいつもよりお加減もよいようです」
 無理して言っているとわかるその言葉。そんなに悪いなんて、知らなかった。


 腰の剣をあずけると、クラトスとともにすぐに上に向かう。案内された部屋は、懐かしい香りがした。しかし、感じられないマナの輝き。奥の白い天蓋のベッドの中にうずもれるように横になっているあの方。
「ユアンです」
 声をかけると、近くへと誘われた。
「クラトス、ユアンへの贈り物をもってきてちょうだいな」
「はい、お母様」
 クラトスが静かに部屋をでる。


「さ、こちらに来て」
 静かに近づくと、頬に手が寄せられる。
「もう、あまり見えないの。私にあなたの顔をよく見せてちょうだい」
 涙がこぼれそうになるのをこらえ、近くに寄る。冷たい手が静かに彼の頬をなで、思慮深い鳶色の目がじっと彼をのぞきこむ。
「今はあまり苦しんでいないのね。良かった」
 手が力なく落ちる。あわてて、その手を掬うと、部屋に沈黙が落ちた。自分のマナで回復するならば。今まで試したことのない癒しの力をそっとその手に送る。静かに彼女が目を開くと、聖母のような笑いを浮かべる。
「ユアン、ありがとう。もう、いいの。あなたのその力はもっと大事な人のためにとって大きなさい」
 気づいていらっしゃる。私に力がないことも、もう、何もかもが過ぎていこうとしていることを。涙がこぼれる。
「私では力不足ですか」
「いいえ、いいえ、私達があなたに謝りたい。私があなたに癒しを送りたかった。でも、もうあなたを見守ってあげる、クラトスをずっと見ていてあげる力はないのよ。だから、あなたが自分を守るために、あなたの大事な人ができたときに守るためにその力はとっておきなさい」
 あなたからどれだけの癒しをいただいか、わからないのです。せめて、いただいた分だけでもお返しをさせてください。そう言おうと口を開く。
「奥様、」
 かたりと扉が開く音がして、クラトスが戻ってきた。


「さあ、見て御覧なさいな。あなたがもうすぐ成人を迎えることに気づいて、用意させておいたのよ。間に合ってよかったわ。クラトス、ユアンに渡して」
 濃紺の長いマント。王宮の正装にあわせたものだ。こんなになられてまで、私に気遣ってくださる。
「立派に見えるわ。もう、17ですものね。一人前の男性として、どこへ出ても恥ずかしくないわ」
「すごいや、ユアン。そうしてると、お父様達のようだ」
 クラトスが目を細めて、手をたたく。その後は侍女が茶をもってきて、奥様を疲れさせないように気を配りながら、ベッドの側でクラトスと話す。奥様は静かに私達を眺めている。何もおっしゃらないが、その目はすべてをわかっていらっしゃる。
 幸せな時間はあっという間にすぎる。まだまだ、お側にいたいのに、無情な太陽は山陰に沈もうとしていた。この季節の夜は早い。みなを心配させないためにも、自分のためにも、陛下のご機嫌を損じないように帰らねばならない。


「もう、時間がきました。戻らねばなりません」
「そう、早いわね。ねぇ、クラトスのこと、お願いね。あなたが守ってあげて。兄弟だと思ってね。クラトスはあなたが大好きなのよ」
 寝台脇に立った私を見つめながら、一層白い顔をほころばせた。
「あの、一つだけお願いがございます。どうしても、今」
 心に浮かぶ願いがあまりに幼くて恥ずかしいが、この5年間秘めていた気持ちをどうしても伝えたい。
「あなたを、お母様と一度だけ呼ばせていただけませんか?」
「ユアン、あなたのお母様はちゃんといらっしゃるわ。聡いあなたのことだから、もう気づいていると思うけど」
「私は生まれてから一度も誰にもお母様と呼びかけたことがないのです。一度だけでいいから、呼びかけさせてください」
 了承を示すように、力のない両手が私にさしのべられる。
「お母様、お母様、私ができるすべてをささげてクラトスを守ることをあなたに誓います」
 横に跪き、その両手を自分の両手に受け、そっと、彼女にささやき、誓いの口付けを細い白い指の上にのせる。
「ユアン、忘れないで。あなたが心のなかで呼べば、必ず、どこかで聞いているわ。あなたのお母様も私も。答えがなくとも、あなたの気持ちは伝わることを忘れないで」
「また、近く、伺います」
「いいのよ。無理しないで。どこにいても、あなたのことを見守っている。心にかけているものがいることを忘れないでね」
 後ろでクラトスが声を殺して泣いていた。外はすでに日が落ち、死の影と同じく、何の音もたてずにすばやく暗闇が訪れる。


 これが、最後となってしまった。
 戦さがいきなり起きると、新しい兵器を開発したという名目で従軍させられ、彼の人がなくなったという知らせは主席官の嗚咽とともに、陣中で知った。とても寒い日だった。
 心の中で、再度、誓いを繰り返し、クラトスの側にいてやれないことを悔やむ。あなたに感謝をささげます、と遠い空に向けて祈りをささげる。
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