王国 ---告白

王国

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告白

 今夏はひどく涼しい日が続き、ただでさえ戦禍により荒れた農地の上にはほとんど作物が育たず、王国は秋を前に民の間に不穏な空気が流れていた。王宮では宰相を中心に厭戦に傾いており、一方、周辺の国からの国境進入も相次いでいた。
 国内の疲弊がこれ以上進む前に打開策を見出すべく、王やクラトスの父は国内の有力貴族たちを押さえながら、慎重に軍備の強化を進めていた。国同士の正面切っての争いが起こる前にと、開発している兵器の完成を急かされ、王立科学研究所の主席研究員として彼も多忙を極めていた。このところ、体調を崩すことは滅多になかったのだが、気候の不順と重なり寝込んでしまった。
 王も珍しく彼の体を気遣い、クラトスの父の館での静養を勧めてくれた。後で気づいたのだが、彼がいない間に王宮では、王とクラトスの父による粛清が行われ、強硬に戦に反対していた有力貴族が蟄居に追い込まれ、一部の新興商人達が暗殺された。要するに、クラトスや彼はその策謀に巻き込まれないように、王宮外に出されていたのだ。


 寒い日の続く思わしくない夏ではあったが、クラトスとともに過ごせた数週間はひどく楽しかった。最後の数日は、思い出したかのように、夏らしい暑い日が続いた。体調も直った彼とクラトスは森の奥まで遠乗りに行き、野営を楽しんだ。
 木々もようやく得た日差しに濃い緑の葉を繁らせ、夏の晴天を待ちわびていたかのように花たちが咲き乱れる。湿った薄暗い崖下に落ちる露の下から湧き出る泉の脇にはひっそりと白い蘭が俯き加減に風に揺れ、流れ出した小川に沿って朝露を散らす鮮やかなキスゲが見渡すかぎり、広がっていた。
 実のところ、肌をさらすことを好まなかった彼は、学問所にいたころも水泳の教練にはほとんど参加していなかった。しかし、川べりで野営をしてクラトスに朝から晩までしごかれたせいか、どうにかこうにか、人並みに泳げるようになった。クラトスはすっかり日焼けし、そこらの村の子供のように川に潜って魚を捕まえていた。
 どこまでも透明な川の水は、底に潜り、上を見上げれば、緑と青の光がさざ波となって差し込んでくる。息の続く限り見上げていると、それは幼い頃に憧れていた教会の神聖な天井画を思わせ、今のこの時間がすでに天国へ到達したかの錯覚を呼び起こした。
 夕刻になれば、冷えた体を温める焚き火の傍らで、獲った魚などを調理し、熱い茶を沸かして、日が落ちた後は彼の引く琴の音を後ろにクラトスは横たわって静かに星を眺めていた。


 夕刻になるとひそやかに吹く風とともに、クラトスと彼は館に戻った。外に、近衛兵が警備をしており、クラトスの父が王とともに館に帰ってきていることが知れた。
「ねえ、正餐に、父上と一緒に陛下が顔を出されるらしいよ。僕達も一緒に呼ばれていると、執事が言っていた。正装するのは面倒だね」
 無邪気な少年はうれしげに彼に教える。瞬間、顔がこわばるのを感じる。安息の時間は終わったようだ。平静に、この落胆を気づかれないようにしなくてはならなかったのに、何を答えればいいのかわからなかった。
「どうしたの。ちょっと遠出して疲れたのかい。父上に陛下が加わるだけだよ。うぢの正餐なんだから、気をつかう必要はないよ」
 聡い少年は彼から放出される畏怖の感情に気づいたのか、なだめるように手を握ってきた。


 クラトスの家の正餐室は、奥様がいらっしゃらなくなってからは、一段と薄暗く感じられるようになった。侍女達では気づかない細やかな気遣いが消えてしまったのだろう。それは、王宮のただ広いだけの正餐室とどことなく似通っていた。他に供の将軍や貴族達はおらず、王と王弟、クラトスと彼の4人でテーブルを囲む。
「そうか、クラトスはユアンが好きか」
 低くよく通る声がわずかな笑いを含んで答える。美しく皿にもられた料理はひとつものどを通らなかった。お願いです。クラトスの前でだけは、私を私のままでおいてください。
「ユアンは大変優秀な教師ですから、クラトスの成績もこの一年で長足の進歩をとげました」
 クラトスの父が取り繕うように答える。王は聞こえなかったように、再度、クラトスを促した。
「お前はユアンが好きか」
 無邪気な少年は、にこやかにうなずきながら、答える。
「はい、陛下。今、王宮で一番美しいです」
 王の目に剣呑な光がともるのを見たくないために、皿の上のものを意味なくフォークでかき回す。
「陛下、クラトスはユアンを崇拝しているのです。ユアンは優秀ですからね」
 クラトスの父が気まずそうに笑いながら答えた。王は隣にいるユアンの顎に手をかけると、彼を自分のほうにむけさせた。じっと見つめられて、気が遠くなりそうだった。
「聞いたか。わしの宮殿でもっとも美しいのはお前だそうだ。いならぶ女官が聞いたら、さぞかし嘆くであろうな」
 その手を振り払えたら、どんなにか気のすくことだろう。だが、彼は逆らえない。しかし、王の探るようなまなざしを目をふせることで無視し、彼はそのまま従順に答える。
「ありがたきことではございますが、私はただの王立科学研究所の研究員です」
 王の手はかすかに、だが親しげに彼の耳に触れて、離れていった。それだけでも、動悸がはげしくなり、吐き気がした。
「ユアンはすごいのです。陛下、先日は剣の稽古をいたしましたが、士官学校では負け知らずの私でも押されました」
 クラトスは彼をただ純真に崇拝してくれている。しかし、王が分かってくれるとも思えない。会話が遠くに聞こえる。


 正餐が終わると、早々に部屋を辞退した。王宮に戻る準備をしなくてはならないのに、どうしても体が動かない。扉の外であの男の声が聞こえた。
「開けろ」
 のろのろと、椅子から立ち上がり、扉をあけに向かう。
「お越しいただき、光栄です」
 周囲を取り繕うためのいつわりの言葉が唇からこぼれでる。
「わしはしばらくこの男と話があるから、お前らはもうさがってよい」
 兵はうなずくと廊下のつきあたりに向かっていくのが王の後ろに見えた。背中がこれから起こることを知っているように見えて、たまらなくみじめになる。しかも、ここはクラトスの父の家だ。
「たいそうな誉められ方だな。ここで何をしていた。宮殿で一番美しいか」
 王は彼の腰に腕をまわし、片方の手で顎をつかむと、いきなり口をむさぼる。
「陛下、扉を閉めて」
 体をよじりながら、懇願する。王は後ろ手に乱暴に扉をしめると彼を近くのソファの上につきとばした。
「脱げ」
「陛下、ここは主席官のお宅です。どうぞ、これ以上はお許しください。私はクラトスに学問と兵術を教えているだけなのです」
「わしの言うことが聞けぬのか」
「陛下、誓って申し上げますが」
 彼がひそやかに訴える言葉を無視し、長い彼の髪をひっぱり、自分のそばに引き寄せると王はじっと彼の目をみる。
「お前もわしを裏切るのか。脱げと言ったのが聞こえぬか」
 王の目はすでに暗く獣じみた欲望に翳っており、これからの長い苦しみを予感させた。逆らってはならないのだ。彼はだまって、金の髪留めをはずし、横の机に置くと、震える手でマントのブローチをはずしはじめた。その姿を王がじっと横でみつめている。



 夜中に扉をひそやかにたたく音が聞こえた。体は鉛のように重かったが、普段とかわらぬように見せねばならない。自分を叱咤し、部屋の中にさきほどまでくすぶっていた獣欲の名残がないかちらと目を走らせながら、扉に向かう。
「何のようだ。クラトス」
 扉をあけぬまま、たずねると、扉の向こうの人物は少し躊躇った後、
「聞きたいことがあるんだ。ユアン、入ってもいいかい」
とねだるように言った。
 ほんのわずかの間ためらったが、扉をあけ、中に入るように促す。じっと決意を秘めた目の少年は手に持った明かりを落とすと月あかりだけの部屋に入ってきた。
「こんな時間に聞きたいこととは何だ」
「ねぇ、お前が陛下のことを恐れているのは何故だ。陛下は伯父様だから、ユアンが何を恐れているのか訳を言ってくれれば、私からお願い申しあげるよ。叔父上は決して話がわからない人ではない。お前は何だかすごくつらそうだった。伯父上が来ると聞いたときからだ」
 ずっと、人形のように感情を殺しているつもりでも、こんなに身近に長い間いるとわかってしまうのだろうか。青白い光が木の葉の陰からおちて少年の目を煌かせる。今すぐ、その手にすがって、泣いてしまいたい。彼の熱い思いやりの気持ちにこのまま飛び込みたい。だが、巻き込んでは駄目だ。知られてはいけいない。自分に言い聞かせる。
「何を言っているのだ。陛下とは何も関係ない。野営を続け後で、今日は暑かったから、体調が悪くなったのだ。陛下の前で粗相をしてはいけないとつい緊張したのかも。心配をかけてすまない」
 クラトスは釈然としないかのように、再度、こちらを見つめる。彼の目を見ながら、ゆっくりと心配させないように微笑む。
「そうなの。夕食のときも何も食べていなかったし、今も声がつらそうだ。無理してはだめだよ。具合悪いなら、陛下が来ても休んでればいいのさ」
 クラトスは彼の前にさらに一歩進み、わずかに目を泳がし、それから、彼の頬に手を寄せる。正面から、彼を魅了する琥珀色の目が彼の目を覗き込み、クラトスの囁き声がはっきりと耳をくすぐる。
「ユアン、好きだよ。いつ言っても答えてくれないけど、好きだ」
 クラトスの目が、口唇が、全身が彼の答えを待っている。だが、彼は答えられない。クラトスもどこかで気づいている最後の境界線。彼からは決して踏み越えない。
「ユアン、大好きなユアン、僕が守ってあげるから」
 クラトスが放つマナの輝きに目がくらむ。
 駄目だ。泣くな。これ以上、言わないでくれ。
「私を守ろうというからには、もう少し修行が必要だな」
 残っている力をふりしぼって、笑う。二人の間を夜風が過ぎり、遠くで噴水の吹き出す水音がした。
「ユアン、意地悪な奴」
 少年は、緊張が緩んだせいか、ほっとしたように小さく声をたてて笑うと、彼の頬に唇を寄せる。
「夜中に押しかけてごめん。いい夢を見て。ユアン」
「あなたこそ。クラトス」
 夢はもう終わった。夢見る資格も決して手に入らない。

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