王国 ---豊穣

王国

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豊穣

 王都はいつになく人の出が多かった。秋の終わり、例年よりも豊かな実りと近年の安定した諸国との関係に王都も賑わっている。今年初めての葡萄酒が王に捧げられ、王宮にて最初に一樽が儀礼的に振舞われると、後は無礼講の祭りが王都を中心に数日繰り広げられる。


 王立研究所の雑務もこのときばかりは、休みとなる。いつもなら、何かを用を言いつかるはずであったが、先週より隣国から和平条約締結後の交歓会ということで、特使がきており、王も忙しい。だから、彼もクラトスと一緒に王都をそぞろ歩く約束をしていた。
 昨日は心が浮き立ったせいか、気を許して竪琴を弾いてしまった。近頃は先触れを出してから現れていた王が、背後から竪琴を奪ったことに気づいたときは、もう遅かった。いつもなら、素直に手を離すのだが、なぜか、少しだけ躊躇ったのが、王の逆鱗に触れる。
 気を失った後まで蹂躙されていたのか、朝、気づくと動けないほど体が痛んでいた。背中は突き飛ばされたときに家具にあたったのか、ひどく腫れている。腰から下は自分のものでないようだった。どうにか這いずるように浴室に行き、薬湯に入るが、この状態ではたいした効き目も期待できない。今日の約束を思い出し前室に出ると、昨日の諍いの後がそのままで、倒れた椅子、茶机と床にたたきつけられた竪琴が目に入り、うつむいた。
 誰も呼ぶ気がしない。自分で片付けようと少しかがむと頭が割れそうに痛くて、前を見て立っていられない。クラトスとの約束は守れそうもない。


 ユアンが来ない。
 確かに王宮の後庭でと約束をしたはずなのに、刻限になっても姿が見えない。王や彼の父が突然ユアンを呼び出すときは、使者がだめになったことを伝えにくるのだが、今日はそれもない。こんなに天気が良いのに、どうしたのだろう。多くの人が行きかい、賑やかな王宮の中からあの姿がいつまでたっても出てこない。黙って約束を破ることはなかったのに、何か起きたのだろうか。
 半時過ぎた頃には不安で一杯になる。王宮のユアンの部屋まで迎えに行こう。自分が突然ユアンの部屋を訪ねるのを彼があまり喜んでいないことは薄々気づいているが、今日は彼がいけないのだ。文句を言わせるつもりはない。


 西翼の2階廊下はいつもながら静かだ。大半の部屋の者たちは王宮の祝い事に出払っているし、奥の数室は空いたままだ。いつもなら見える侍女達の姿もない。
 目的の部屋の前に来ると、そこも静まりかえっていた。ユアンはいないのだろうか。待ち合わせ場所を間違えてしまっただろうか。少しだけ弱気になり、踵を返そうとすると、室内からうめき声が聞こえたような気がした。
「ユアン。いるの」
 返事はない。でも、部屋の中に何かを感じる。扉をたたく、中から弱々しく声が聞こえた。
「どなたですか」
「僕だよ。クラトス。ユアン、どうして来ないの。待ち合わせの刻限はとっくに過ぎているよ」
 何もユアンは答えなかったが、扉のすぐ内で人の気配がした。かちゃりと音がして、理由はわからないが、鍵を掛けられたことが分かる。
「すみません、クラトス様。この埋め合わせは次に必ずいたしますから、今日は戻ってください」
 ユアンの声がひどく力ない。こんな声を聞かされて、帰るつもりは毛頭ないが、どうして、会ってくれないのだろう。
「どうしたの。ユアン、体の具合が悪いのなら、誰か呼んできてあげるよ。ねぇ、扉を開けて。無理しないで」
 なかなか、ユアンは答えてくれなかった。本当に人を呼びにいき、無理やり部屋に入ろうかとちらと考えたところで、答えがもどってきた。
「誰にも言わないでください。たいしたことはないのですが、今日はやすませて下さい。クラトス様はどうぞお祭りへ他の方とご一緒に行ってください」
 ユアンは全然分かっていない。ユアンと一緒に行くから楽しいので、他の者と行くことなぞ、考えていない。しかし、こんなところで言い争っていても、ユアンが扉を開けないことにも気づいている。
「お前がそういうなら、分かったよ」
「すみません。クラトス様」
 泣きそうな声が再度かすかに返答を寄越した。


 クラトスが戻っていく足音が聞こえて、ほっと安堵の気持ちで扉の前に蹲る。もう、立っていられない。耳鳴りがしている。扉に体をもたせかけて、床に手をつくと、ひんやりと気持ちよかった。


 手当たり次第、近くの部屋の扉を開け、鍵がかかっていない部屋のテラスから庭へ飛び降りる。ユアンの部屋の位置はわかっているから、その側まで行くと手頃な木を探す。木を上り、テラスを飛び移り、入り込む。絶対におかしい。案の定、テラスから前室への扉は開いていた。なんだか、とても静かだ。
 そっと覗くと、半分倒れかけたままの椅子とその向こうに壊れた竪琴。扉の横に青い髪を乱して倒れているユアンが見えた。初めて、自分の家で出会ったときのことを思い出した。あのときも、今のように長い髪を乱したまま蒼白な顔で目を瞑って、寝ていた。慌てて駆け寄り、半分体を扉に預けたままの体を抱えた。大好きな青い目は開かない。頬に触れると、とても熱い。


 気づくと、クラトスに抱きかかえられている。頬を伝って流れるのは、彼の涙だ。暖かい。彼が放出するマナが暖かく、彼の想いが気持ちよい。
「ユアン、目が覚めた」
 抱えられて、寝所に行く。クラトスに乱れた部屋を見せたくなかったが、彼の腕の中から逃れることもできない。


 ユアンの部屋は薄暗く、寝台の上は寝乱れたままだった。長椅子の上や床に服も脱ぎ散らかしたのがそのままで、昨日から具合が悪かったのだろうか。几帳面な彼からは想像もできなかったが、これだけ具合が悪いのだ。無理もない。適当に敷布を引き剥がし、浴室から新しいものをもってきて広げる。寮でやっているから簡単だ。その間も長椅子に横たわったユアンはぴくりとも動かない。準備を終えると、ユアンをそっと揺する。
「動ける」
「クラトス様、お気遣いなく」
 まだ遠慮をしている彼の息は荒い。もう一度、支えて、寝台まで連れて行く。
「すみませんが、浴室の棚から赤い錠剤をもってきてください」
「わかった。他に何がほしい。何でも言って」
 水差しと一緒に薬をもっていく。ユアンを抱き起こし、口に入れてやる。
「せっかくのお祭りなのですから、私などかまわずに行ってらして下さい」
「嫌だ。お前の側がいい」
 ふと思いついて、一緒に寝台の中にもぐりこむ。
「震えているよ。寒いのか」
 ユアンの側に身を寄せるとわずかに身を震わせているのに気づいた。
「すみません。熱が出るようです」
「ユアン、病気なんだからお前が謝ることはないよ。ねぇ、大丈夫。お前を暖めてあげるよ」
 クラトスの腕が彼の体を包み込むように抱え、そっと背中をさする。何も求めないただ無償の行為。泣きそうになるのをこらえているうちに、腕の中で眠りに入る。


 夕暮れどきに目が覚めた。薬が効いたのか、体はずいぶんと楽になった。横を見ればクラトスがすやすやと寝ている。腕はまだ彼の体に回され、その寝顔は平和だ。この人間の小さな体には、本人も気づかない豊かなマナが流れている。まるで今年の豊穣を慶ぶかのように、遠く大樹から放出されるマナの流れが彼らを取り巻き、無垢な愛への捧げものである涙を誘う。
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