王国 ---月明かり

王国

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月明かり

 若葉の間から地面に零れ落ちる光の動きをじっと追う。テラスを渡る風に のって、かすかなざわめきが伝わる。手摺に体をもたせかけ、日の光を遮るために目の上に手を当て、風が渡ってくる遠く王宮の主翼からのびるバルコニーを見る。


 両国の境界線をあちらに入り、こちらに戻りながら冬から膠着状態にあった戦は、王の赫々たる戦功と彼の生み出した兵器の結果、王国が勝利を収めた。前線の村々に睨みを利かせるための兵たちを置き、王は将軍たちを伴って先月、都へ凱旋し、多いに民は沸いた。初夏に入ろうとする今日、王の凱旋を祝し、国の勝利を祝い、祝賀会が王宮で催される。


 バルコニーから続く主庭には、色とりどりのドレスに見を包んだ貴婦人や 今日のために磨きあげたであろう剣を下げた騎士、見事な刺繍をほどこされた長いマントを翻す貴族達の姿が木々の合間に見え隠れし、晩餐会の時間が近いことを彼に教える。彼の部屋がある西翼は主翼からは離れ、庭に続く森に近いため、ここまでは、今日の祝賀会の喧騒も伝わってこない。
 王には晩餐会に共に出るようにと強く要請されていたが、彼は出席するつもりはなかった。貴族達の冷ややかな視線や貴婦人達のひらひらと舞う扇の向こうで交される艶笑、扇越しに彼に向けられる媚びた目線を浴びる気はなかった。


 手摺に凭れたかかったまま、ほっとため息をつき、空を見上げれば、高かった日も西奥の森の端にかかり、東の空が濃紺へと変わる。晩餐会がいよいよ始まろうとしているのであろう。ホールの中からバルコニーへの長い通路も全てお仕着せを来た侍従が蝋燭の明りを灯しているのが見える。これまた、お仕着せを来た侍女達が手にお盆に料理や飲み物を持って忙しそうに行き交ってる。ホールの向こうはすでに多くの人で埋まっているのが感じられた。


 今年の春、十五歳で学問所を首席で卒業し、王立研究所に次席研究員として迎えられた。
 卒業したことで、学問所の寮を離れることとなった。彼は王立研究所内に形だけでも部屋を欲しかったのだが、王が頑なに許しを与えず、彼のためにとりなしてくれていた王立研究所主席官のクラトスの父もあきらめざるを得なかった。結果、まるで愛妃が住まうような王宮の西翼の奥の部屋が彼に与えられた。それは、己の心の中で密かに誇りにしていた次席研究員の地位をひどく色褪せたものにした。
 それでなくとも、今回の王立研究所内における異例の抜擢、軍における目覚しい手柄へのやっかみからか、彼の中に流れる異なる血のせいか、貴族達のひそやかな陰口は、この部屋を与えられたことで、ますます酷いものとなった。
 しかし、と彼は思う。その陰口の大半は間違っていないのだ。彼は確かに王の情夫であり、この部屋は王が彼を抱くためのものなのだ。だから、今日の晩餐会には意地でも出るつもりはなかった。昨晩はそのために王と激しい言い争いをし、散々殴られた。腫れあがった目は晩餐会欠席のいい言い訳になった。
 王の機嫌が悪いことを宰相からこぼされた主席官が昼頃彼の部屋を訪れた。主席官は扉を開けた彼の顔をまじまじと凝視し、
「我々が到らぬばかりにお前に迷惑をかける」と謝った。
 主席官に謝っていただくことなぞありません、とつぶやく彼を労わるように軽く抱き寄せ、
「無理をするな。今日はゆっくり休め」と言ってくれた。
 主席官は知っているのだ。彼の顔や衣服から見える場所が腫れているとき、体はボロボロであるということを。


 晩餐会が始まったのだろう。風が典雅にして優美な舞曲の音を運んでくる。
 音楽は大好きだった。こんな事がなければ、誰にも見つからない片隅に潜りこんで、楽師達が奏でる音をこっそりと楽しみたかったが、この 顔を誰にも見せたくなかった。
 角笛の音が高らかになり、王の登場を告げている。すぐに曲は、優美ではあるが格調高い舞曲へと続いた。おそらく、王弟である主席官とその美しい奥様、王が手をとってホールの真中を滑るように踊りだしているであろう。
 奥様が踊られるのは見たかった。しかし、かの一族の側に彼がいれば、またあの方達がなんと言われるか分からない。クラトスは、回りの雰囲気など頓着せずに、きっと、彼にまとわりつくであろう。目を瞑り、奥様が優雅に裾を引き、巨大なシャンデリアの煌めきが反射する大理石の上を軽やかに進んでいくところを思い浮かべる。


 曲が今風な明るく速い舞曲へと変わっている。
 いつのまにかすっかり日も落ち、動くには重い体に少し冷たい風が気持ち良かった。王は今日はこちらには来ないであろう。これから、2日に渡って続く祝賀会の主役だ。彼のことなぞ、誰も気にも止めていない。
 テラスの下を凝視する。今、ここで身を躍らせれば、そのまま草木達は自分を受け入れてくれるだろうか。 風が彼の周りを優しくうずまく。ナイチンゲールの囀りにはっと身を起こす。


 テラス脇の大きな梢の向こうに月が昇っている。今日は満月だ。
 彼は楽器も好きだった。以前、主席官の家で奥様の竪琴をつまびいたのを奥様が聞いて、彼に竪琴を下さった。誰に習ったわけでもないのに、竪琴を弾くのは好きだった。奥様は彼の弾く姿を見て、少しだけ悲しそうな顔をされた。何かを思い出されただろうけど、彼には教えてもらえなかった。
 王は彼が竪琴を弾くのにいい顔をしなかったので、王が凱旋してこちらに渡るようになって、しばらく、竪琴には触れていなかった。取り出し、テラスの月明かりの下、調整を始める。奏でる音色は彼を包み込み、すっかり夢中になっていたので、静かに扉が開いたことに気づかなかった。


「ユアン、お前、すごく上手だよ」
 気づくと、彼の脇に息をはずませたクラトスが立っていた。王族らしい豪奢な正装は、走り回っていたせいなのだろう、肩章が曲がっているのがご愛嬌だ。
「クラトス様、晩餐会はどうされたのですか。席をはずされるとお父上やお母上が心配されますよ」
 彼がびっくりして問い返す言葉には答えを返さず、クラトスは彼の部屋を繁々と見回す。
「お前の部屋が見つからなくて、ずいぶん走り回ったよ。今日はみな晩餐会に出払っているから、こちらの方にはちっとも人がいないんだ」
 クラトスはそこで初めて彼の顔を眺めて、びっくりしたように言う。
「ユアン、どうしたの。目が腫れているよ」
 そして、彼の側に駆け寄ると小さな手をそっと彼の顔に這わす。誤魔化してもズキズキとする傷の痛みがふっと消える。優しい癒しの力がその手から放出されているようだ。
「ちょっと、余所見をして階段を落ちてしまったのです」
 心配そうに顔を曇らしていたクラトスはそれを聞くと首をかしげて言う。
「お前でも転ぶことがあるんだね」
 彼の横の空いている椅子に腰掛けると、もう一度、彼の顔を撫でてくれた。
「これでは、今日の晩餐会を欠席してもしょうがないか。お前が来ると思ってずっと待っていたのに、来ないから探しに来たんだよ」
 少し甘えるように膝から下を揺らしながら、真剣に彼の傷を心配するクラトスの琥珀色の切れ長な目に月明かりが映っている。
「母上にはお前の部屋へ行くと言ってある。母上もお前に会いたがっていたよ。ほら、今年、学問所を卒業したから、うちでお祝いをするから今度来てと伝えるように言われた。ねぇ、来るよね」
「ええ、体が治ったら、伺いましょう。お母上にはよろしくお伝えください」
 王からの許しが出るかどうかちらと気になったが、このように自分を気遣って下さっていることがわかるだけで、心の中が一杯になる。


「せっかく来てくださったのですから、何かお菓子か飲み物でもだしましょうか」
 彼が立ち上がろうとすると、クラトスが彼の服の裾を引いて座るように促す。
「お前の竪琴が聞きたい」
「きちんと習っておりませんから、クラトス様のお気に召すような曲は弾けませんよ」
「そんなことないよ。さっきの曲はとてもきれいだった。あれを聞かせて」
 クラトスがにっこりと彼に微笑みかける。
 彼は互いに向かいあうように、椅子の位置を直し、竪琴を抱え直す。クラトスの眼差しが暖かく、竪琴の弦に触れる指が自然と動く。満月の光が与える力なのか、クラトスの見返りを求めない思いやりのせいか、彼の指はいつもの躊躇いも消え、彼の想いをただそのまま曲として紡ぎだす。
 切なく、優しく、何の技巧もごまかしもない、純粋な彼の心の歌。テラスを過ぎる風のざわめきも、庭の梢のささやきも、はるか遠くの虫の音も、すべてが二人をとり囲み、祝福しているかのようなとき。
「クラトス様、どうかされました」
 クラトスが涙を浮かべて、こちらを見ている。
「わからない。だけど、お前が弾いている曲を聴いていたら、お前がどこか遠くに行ってしまいそうで怖くなった」
 やがては来るであろう別れの予感。彼の前にある大切な子供は定命の人間で、彼は狭間に生きるもの。いや、今でさえ、共にあってはならないのかもしれない。この愛しい子は王位継承第5位の殿上人で、彼は王の情夫なのだ。痛む胸を無視し、竪琴を膝元に置くとクラトスの方へ微笑みかける。
「いつもは無理かもしれませんが、できるかぎり、クラトス様のお側に参りますよ」
 クラトスが椅子を降り、彼の膝の上に手をおき、彼の顔をあの大きな琥珀色の目でじっと見つめる。
「ユアン、僕たちはずっと一緒だよ。誓って」
「この月明かりに。あなたと共にあることを誓います」
「ユアン、ずっと一緒だ」
 クラトスのかわらしい赤く色付く唇がそっと彼の唇に寄せられる。満月の下の二人だけの神聖な誓い。幼い者達のたわいのない約束のはずなのに、 胸の奥底から浮かび上がるこの気持ちをどうしたらよいのだろう。顔を寄せる彼の青い髪がクラトスの肩を滑り落ち、軽く触れ合わせた唇は熱かった。


 その後も、クラトスに請われるまま、竪琴を弾く。月は空の上高くに登り、二人の影がくっきりとテラスに落ちる。遠く、主翼のざわめきが静まってきたのを感じる。晩餐会も三々五々人が下っていることだろう。クラトスも眠そうに椅子に寄りかかり、それでも、煌く彼の目がユアンを見つめている。
「さあ、そろそろお部屋に戻られないと、奥様と主席官が心配されますよ」
 竪琴をおき、クラトスを促す。
「晩餐会もお開きのようです。すっかり、夜も更けました。」
テラスから主翼の方を覗こうと立ち上がると、一緒にクラトスも着いてくる。自然と触れ合った手を握り合い、しばらく、森を渡る涼しい風に吹かれる。
 クラトスの頭がそっとユアンの肩に乗せられ、風になびく自分の髪がクラトスの細い首筋や背中へとかかるのを感じた。森の奥から梟のくぐもった鳴き声が届き、夜が遅いことを改めて知らしめる。
「さあ、クラトス様、お送りしましょう」
 つなぐ手に力をわずかに込め、帰りを促す。クラトスは彼の方へ体を向け、額を彼の方に擦りつけながら、つぶやいた。
「ユアン」
 返事をせずに、クラトスの手を引く。クラトスはそれ以上何を言うでもなく、黙って彼に従い、部屋を出た。長い西翼の廊下を過ぎ、王族たちが寝泊りする主翼の3階へと進む。何も語らず、でも、言葉に出せなくとも分かりあっていることを感じながら、ずっと歩いた。
 入り口で警備兵に敬礼を送られ、ようやく、クラトスが再度口を開いた。
「お休み。ユアン。よい夢を」
「クラトス様こそ、よい夢を」
 決まり文句もこの場ではこの上もなく大切な言葉だった。ありがとうございます。私はもうよい夢をすでに見せていただきました。


 一人、西翼へと戻るが、もうクラトスが来る前に感じたあの森へ吸い込まれるような孤独感は消え、月明かりの下のクラトスの誓いの言葉が心の中に何度もこだます。



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