王国

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秘密

「こっちだよ。ユアン」
 ようやく、あの暑さがなくなり、実りをもたらす季節へと入った。日が落ち始め、主庭の噴水が心地よい爽やかな風に吹かれて、こちらに飛沫がなびいた。夏の花達はみな静かに首をうなだれ、月見草だけが夕暮れの中、背を伸ばしている。


 クラトスに導かれ、王宮の主庭の奥へと誘われる。
「席を長い間はずすと、陛下とお父上に叱れます。どこまで行くのですか」
 今日の晩餐会はごく内輪の王族と一部重臣だけのものである。列席者もこのところ安定している王国の事情を反映して、華やいだ雰囲気であった。
「父上たちは気づかないさ」
 ユアンの不安など、どこ吹く風のクラトスはどんどんと庭の奥に進む。
「今日は早くこちらにうかがったんだ。だから、父上たちの邪魔にならないように庭を探検してたのさ。学問所の寮を出る前に、お前の部屋に行ったのだけれど、もう研究所に行ったと言われたから、仕方なしだよ」
「それなら、朝からお誘いくださればよかったのですよ。寝坊されたのではないですか」
「ユアンには敵わないな」
 昨日、遅かったことは互いに知っている。
 彼も一緒に、裕福な商人の家からきている彼の同級生が持ってきた陣取りゲームをしていたのだ。それは、桝目をある一定の決まりで動く様々な駒を使って、互いの陣地を取り合い、王の駒を取るものだ。彼がその手のゲームが得意であることを知って友人が持ってきたのだが、クラトスもかなりの腕前で、時間があると数名で集まって、互いに打合っている。友人が几帳面に今までのゲームの手を記録し、勝敗表など作っており、彼の周りでは皆で楽しんでいる。
 クラトスは意外と粘り強く先を読み、勘に頼らない。しかも、簡単な定石も考え出し、丁寧に友人に教えているのを見ていると、クラトスが戦術論に強いのもうなずける。


 やがて、目的としていた場所に近づいたらしく、クラトスの歩みが遅くなった。
 夜の風が汗ばんだ額を撫で、奥の梢をわずかに揺らす。その先を見やると、すでに夕闇濃い森の奥にひっそりと一輪だけ咲いている白百合が目にはいった。
「ほら、きれいだろう。お前のようだ」
 クラトスがしごく嬉しそうに笑った。
 やや緑の入った白色の花は夕暮れの中、白さをまして、まるで宝石のように光る。
「クラトス様、私は男です。これはお母上のようではないですか」
「お前だよ。何もない中で一人だけ輝いている。だから、そっくりに見えた。母上はね、前に見たことがあるんだけど、別にとてもきれいな薄桃色のユリがあるんだ。あれだよ。とても柔らかくて、触れると壊れそうな花さ」
 なんだか、クラトスだけが分かっている理由を言い、それで、こちらも納得したかのように、うなずく。
 日が落ちて、闇が一層濃くなる。クラトスのやや癖のある髪が風になびき、その下に見え隠れする柔らかい眼差しと白百合の良い香りに、なんとも言えず面映くなり、彼は下を向く。
「もう、戻りましょう。食事が始まってしまいます」
「いいよ。家で食べるのと違って、疲れるだけさ。後で侍従に頼めば、いくらでも持ってきてくれるよ。お前と一緒にここで話をしていたい」
 二人で並び、草の上に座り、たわいもない話を続ける。たまに、彼の頬に触れるクラトスの茶色の髪の感触、話している間中、彼を見つづける大きな瞳、風に漂う百合の香り、さきほど二人でこっそり飲んだ食前酒のせいだろうか、体温が上がるのを感じる。見れば、クラトスの頬もほんのりと赤い。


 すっかり話し込み、あたりは真っ暗となっている。ホールの明りを頼りに進む。噴水のところまで戻ると、舞曲が聞こえてきた。
「もう、踊りが始まったようですね」
「ねぇ、ユアン。僕達も踊ろうよ」
 何気なくクラトスが彼の手を取る。
「お前が王立研究所に出向いて、礼法の時間にはちっとも来ないものだから、お前と踊りたいって先輩達がみんな騒いでいたぞ」
「クラトス様、たちの悪い冗談ですよ。いつも、からかうのですから、始末に悪いです。当面女役はやらないと、この前はっきりと皆に言っておきました。これでも私だってリードは上手なんですよ」
 ちょっと、憤然とする。
 確かに男ばかりの学問所では女役も必然的に互いに交代してこなすのであるが、意味ありげに皆から見られることにはうんざりだ。クラトスはけらけらと笑う。
「ユアン、僕と踊ってみせてよ。お前のリードが上手かどうか、教えて」
 腰に手あて一礼し、奥様へダンスを申し込むような気持ちでクラトスの手を取り、指先に軽く口付けする。クラトスが俄かに顔を赤らめ、まるで王宮に初めてお目見えする姫のように初々しく膝を曲げる。
 かすかに届く曲に合わせ、軽くクラトスの腰に手をやり、ゆっくりとリードする。クラトスは思ったより上手についてくる。
 星明かりとバルコニーに掲げられた灯に噴水の飛沫が輝き、クラトスの目が自分を映しながら、回転と同時にそれらの煌きも映す。万華鏡のように、くるくると色を変えて回る世界。暗闇と明るさが交互におとずれ、星明りとシャンデリアが入れ替わっていく。
 踊っている間中、目を見交わす。その琥珀色の瞳にこのまま吸い込まれてしまいそうだ。
 やがて、曲が静かに終わろうとするのにあわせ、噴水脇で止まる。クラトスがじっと立って彼の顔をその小さな手ではさんだ。
「ユアン、すごく上手だったよ。それに、お前の目がきらきらしてとてもきれいだった」
 軽く息をはずませながら、赤い柔らかそうな唇がうっとりと言葉を吐き出す。
「クラトス様、あなたこそ、とてもかわいらしかったですよ」
 照れて、目をふせるクラトスの顔。ホールからの明かりに、風と踊りでちょっと乱れた髪と頬に影を落とす睫が彼のすっきりとした顔をより立体的に見せる。つないでいる手が踊った直後の二人の動悸を伝えてくる。
 無邪気に彼の中へと入り込んでくる何にも代えがたい大切な人。心の中に秘めていたクラトスへの淡い気持ちが、まったく別の熱い想いへと膨れ上がり、抑えきれないまま、そっと、クラトスへ顔を近づける。


 バルコニーに王の影が見えた。瞬間、我にかえり、つなぎあっていた手を放した。はっとこちらを見つめるクラトスの手を取り、言う。
「さあ、部屋に戻りましょう。これだけ練習すれば、奥様にダンスを申し込めますよ」
 そして、何が起きようとしていたのか分からないクラトスを導き、ホールへと戻る。
 唐突に知った己の想いに、秘めた胸の動悸が治まらない。
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