旅路

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手鏡

 その道は、高い峠を越えて下った直後に東西と南北の街道が交わるところに出るから、行き交う人馬も多く、道幅もゆったりしている。最後に峠への急な切り通しの道に入るちょっと手前には、上る旅人の休息と、下ってくる者達への目印のように、茶店というのもおこがましいような小屋が建っている。
 小屋の前はこれまた庭というには手入れの行き届いていないが、一応、平らにならされた地面に手作りの粗末な卓や椅子が用意され、旅行く者たちが三々五々寄っていく。店の前ということもあり、申し訳に作られているであろう花壇とも畑ともつかないものには、この小屋には似つかわしくないクロユリやスズランといった可憐な高原植物が、恥ずかしげに俯いて咲いている。
 そんな花を植えたとも思えない店番の親父はこのあたりでは名物男らしく、何度も道を往復している旅人などは慣れた調子で声をかけている。親父も要領よく、金になりそうな客には愛想よく菓子などサービスしている。


 朝早くでたこともあり、一行がその小屋にたどり着いたのは昼少し前だった。今日中に峠を越え、あちらの宿に着こうとクラトスやユアンの足に合わせて歩いたきたものだから、荷物は少ないと言えども、マーテルは息を弾ませている。
 ユアンは荷物を置くとすぐに、マーテルのためにと小屋の裏に水を汲みに行った。ミトスも姉が疲れているのを心配そうに見て、汗をぬぐうように彼女の髪を脇に避けている。
 クラトスはそんな姉弟をみながら、早速、昼食の準備を始めた。今日はユアンが担当だったが、時間が惜しいときには順番を守れなくともいたしかたないであろう。そもそも、彼の昼食では、こんな蒸し暑い日は体調を崩しかねないし、それでは、これからの急峻な山道を日のあるうちに越えられない。
 小屋の先から上り始めている道の方から涼しい風が吹き寄せてきた。乱れたマーテルの髪が風に踊り、ミトスが擽ったそうにそれを押さえた。
「まあ、この上は風が強いのかしら」
 自分でも髪を押さえながら、マーテルが少し困ったようにつぶやいた。日の光に透けるように空に舞うその長い髪はこの数日ほとんどほったらかしだ。
 先週、港町をたってすぐの小さな宿で、ごった返しているすきにマーテルのささやかな手荷物が奪われてしまった。気落ちしている風は見せていなかったが、女性だけに何かと不便を感じていることは、その宿をでるときから気づいていた。


 ユアンが水場から戻ってきた。
「さあ、マーテル、飲んで」
 小さなカップを取り出し、一行がいつも使っている煤けた薬缶から水を入れながら、さりげなく婚約者の汗した額に指を這わしている。
「ユアン、ありがとう」
「ひどい汗だけど、きつかっただろうか。後少しで上まで行くから、もう一がんばりだ」
 彼がマーテルの横に座ろうとすると、すぐにミトスから声が飛んだ。
「ユアン、今日の昼はお前の番だよ」
「だが、もうクラトスが準備を始めているぞ」
「お前も手伝った方が速くできるだろう」
 それもそうだなとユアンが立ち上がろうとするが、座ってもらっていた方がどんなにかいいことを、お前達は誰もわかっていないのか。
 クラトスの念力は通じず、ユアンが水を持って近づいてくる。
 ふと見ると、マーテルが乱れた髪を小さなカップを覗きながら、整えていた。ユアンも振り返り、ちらと二人の様子を窺い、ちょっと困ったように囁いた。
「クラトス、次の町で買い物をしたいのだが、余裕はあるだろうか」
「お前の気持ちもわかるが、この前の脱出でほとんどすべて置いてきてしまったからな。しばらくは無理かもしれない」
「そうか」
 割とあっさりユアンは答えると、クラトスが起こした火の上に薬缶をかけ、宿屋でもらいうけた固いパンと干し肉を取り出した。火加減を見て、脂の部分を切り取り、鍋の中に放り込む。ユアンが上るときに見つけた小さな笹の竹の子をいくつか剥くとアザミの芽を、鍋の中でセリと一緒に炒め、水と乾燥した少しの香草を入れ、肉を入れればおしまいだ。
「今日もぱっとしないな」
「お前が作るよりはいいだろう。食材を手に入れる金がないのだから、仕方あるまい。ましにしたければ、もう少し、食べられる物を取ってくるんだな」


 簡素な昼食はあっという間に終わり、マーテルがお茶を入れてくれる。小屋から出てきた、いかにも気難しそうな親父にマーテルが声をかければ、意外とすんなり側にやってきて、うまそうに茶を啜った。
「あんた達、ハーフエルフかい」
 疑い深そうな目がこちらを見据える。
「いかにも、そうだが、出て行った方がいいか」
 ユアンがこれまた不機嫌そうに答える。ここ数日、こんな応対ばかりにさらされていて、慣れているとは言えども、三人もいささかうんざりしているのだろう。マーテルは宥めるように、ユアンの腕に手を置く。
「わしはそんなつもりで言ったんじゃないよ。そのお嬢ちゃんが以前見たことのある女性にそっくりでな、ひょっとして、そうかと思っただけさ。気、悪くしたならすまないな」
「それは、悪かった。私も少し神経質になっていた」
 ユアンが謝れば、親父はにやりと笑って、立ち上がり、ユアンの肩をたたいた。
「これだけ、茶を入れるのがうまいお嬢ちゃんが恋人じゃ、気にはなるだろう。ありがとうよ。お世辞抜きでうまかった」
 マーテルはその言葉に頬を染めて下を向き、ミトスはむっとしたように、ユアンを睨みつけている。ユアンといえば、こんな間抜けた顔をしていては、今日の宿にもたどりつけそうにないだろうと、クラトスは頭を抱えた。


「お嬢ちゃんは花がすきかい」
 行きかけた親父が振り向き、マーテルを手招きする。その先には、貧相な花壇があり、得たいのしれない草が植わっている。
 庭先で、殊勝にもマーテルが「まあ、かわいい」と声をあげてかがめば、親父も愛好を崩し、嬉しそうにする。
「ええ、それはもう。でも、ずっと旅をしているから、こんなふうに通りすがりに楽しむだけなんです。だから、こんなかわいらしく咲いているところを拝見させていただけて、なんて運がいいんでしょう」
 マーテルは膝をつき、前にある柔らかいオキナグサの茎の産毛を撫で、それから、さらに草陰に埋もれているようなフウロソウを指した。
「この銀色の産毛に露がついているのが、本当に愛らしくて。毎年、咲くんですか。ほら、こちらにひっそり咲いている桃色のお花も大好きなんですよ」
「そんな、あんたが褒めてくれる半分もきれいじゃないよ。だけど、これだけ言われれば、花達も喜ぶさ。そんなに気にいってくれるなら、持っていっていいよ」
「まあ、ありがとうございます。でも、旅の途中ですから、いただいても、花達がかわいそうです。こちらで見せていただけて、もう十分です」
「そうだ。あんた、ちょっとこっちにおいで。いいものがある」
 親父が何かを思いついたらしく、小屋の中へとマーテルを呼ぶ。マーテルがこちらを振り返るので、みなで一緒に小屋へと移動する。


 小屋の中は、持ち主の外見とはうらはらに、見事に整えられ、さきほどの可憐な花たちが品のより小ぶりの硝子の器に飾られていた。
「ちょっと、そこに座って、待ってておくれ」
 親父は隣の部屋でひとしきり、何かを探していたかと思うと、両手に抱えてでてきた。
「お嬢ちゃん、あんたにこれをやるよ。さっき、困っていただろう」
 その男が差し出したものは、小さな銀製の手鏡とおそろいと思しき櫛だった。二つとも、それは意匠の凝った象嵌が施され、唐草模様の中にさきほど見たような草花が見事に浮き上がっていた。
「まあ、どなたがお使いなのか知りませんが、こんな高価なものはいただけませんわ」
 マーテルが慌てて断る。
「なくなった女房のものだから、遠慮しなさんな。もう、十年以上も誰も使っちゃいない」
 ユアンがはっとしたようにその男の顔を見る。
「あんたの奥さんとは、さきほど、言ってたマーテルに似ているという女の人のことか」
「ハーフエルフだったの」
 ミトスも驚いたように尋ねる。
「ああ、お嬢ちゃんにそっくりだった。村にはいられなくて、こっちに移り住んだのだが、人間の私より先に病気で死んじまってな」
 言葉少なに、周りを眺めて、その男が淋しげに笑った。
「そんなわけだから、これは用なしだ。どうだ。せっかくだから、あんたが使ってくれないか」
 マーテルの手の上にそれを載せ、哀願するように男が言えば、否と言える者はいなかった。マーテルは胸にそれらの品々を抱え、誓うように囁いた。
「ずっと、大切にしますわ。お二人の気持ちを忘れないように使わせていただきます」


 誘われるままに、その小屋で、人間とハーフエルフの出会いと別れの物語を聞き、促されるままに、自分達の今までの話をする。結局、一晩を過ごし、次の日の朝早く、小屋を立った。
「わしがもう少し若ければな、お前さんらと一緒に行くのだがな。今じゃ、女房の墓を守るのがやっとさ」
 親父は苦笑いしながら、小屋の外までついてきた。
「あんたも頑張れよ。人間がハーフエルフと一緒にいるのは大変だ。わしもよく分かっている。悪気はないんだよ。あいつらは」
 こっそりと、クラトスに親父が言う。
「ちいとばかり、わしらと軸が違うんだ。でも、あんたの仲間はあんたのことを分かっているさ」
 クラトスを励ますように、背中をどやしつけ、それから、ユアンを呼び返した。
「そうそう、そこの青い髪のお前さん、忘れ物だよ」
 彼の手に、ユアンが以前王宮でよく使っていた金の髪留めがあった。
「それは、あなたに差し上げようと思って置いたのだ。どうせ、今日下りたら、金に替えるつもりだった。あなたが使ってくれ」
「わしの生活に金は不要だ。気を使いなさんな。大体、どうしてこれをお嬢ちゃんにやらないんだね。見れば、こいつはとてもきれいじゃないか。この裏の文字をあんたは読んだことがあるのかね。わしが若ければ、お嬢ちゃんの髪に留めてやるんだがな。ほれ、あんたがしてやりな」
 親父がユアンにそれを握らせると、マーテルの方へと押しやった。
 ミトスも興味深そうに覗き込む。
「ねえ、なんと書いてあるの」
 ユアンが妙に顔を赤くし、それでも、マーテルを見ながらつぶやいた。
「私の女神へ、愛を込めて」
 マーテルも頬を染めて俯いた。
「私の母の形見だったのだが、えっと、貰ってくれるか」
 マーテルは恥ずかしそうに、だけれど、しっかりと頷き、ユアンはゆっくりとマーテルへと近づいた。
 朝霧のなか、ふいと現れた妖精のような姿のマーテルに、ユアンが覚束ない手で髪をまとめ、そっと髪留めを留める。
 その場所は、風雨に晒された小さな小屋と手作りのゆがんだ木のテーブルとベンチしかない空き地に過ぎなかったし、立ち会っていたのは、たったの三人だけだ。しかし、朝霧から漏れ出すわずかな朝日の輝きの中、二人のマナの煌めきと朝を祝う小鳥のさえずりに彩られたそれは、今まで見た大聖堂のどんな厳かな式典よりも、聖なる祈りに満ち溢れていた。


 名残惜しい別れを告げ、山道を上りだす。やがて、道の曲がり角に立ち、後を振り返れば、もう、あの小さな小屋は濃い木々の陰に埋もれ、幻だったかのように視界から消え去っていた。
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