旅路

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惑い

 春も間近となったその日は全員の賛成の内に休養日ということになった。このところ、立て続けに4つの精霊の封印を行ったこともあり、ミトスが言い出して、たまたまたどりついた山の麓にある寒村の宿に逗留しようと決まった。
 その辺りは、本当にのんびりした鄙で、住人はマナ不足による天候の不順で農作物の不出来を嘆いていても、戦火の被害は受けていない。そのせいか、見知らぬ旅人にも親切で、村をふらりと歩けば、すぐに親しげに声をかけてくれる。今のご時勢、このような他人への警戒心のない場所は数少なく、そこをミトスが気に入ったのかもしれない。
 常に人の動向を伺い、逃げ道を確保する生活は、やはり、続く緊張に互いのいらだちを隠せなくなるものだ。
 久しぶりに安全な場所ということもあり、マーテルがミトスと一緒に買い物にでかけたいと言う。確かにこの二人で行動するのは危険だからと、常にクラトスかユアンが同行しているが、たまには姉弟で出るのも楽しいに違いない。ここ数週間、訳もなくミトスに言いがかりをつけられてばかりいるくせに、ユアンはまだ心配そうにしていたが、クラトスがマーテルを後押しして、さきほど二人は宿を出て行った。
 この村から歩いてすぐの牧場においしいチーズがあると聞いて、マーテルがどうしても手に入れたいと言い、日差しも暖かなので、ミトスと手をつないで細い小道をのんびり歩いていった。


 残された二人は、1時間ほど、宿の食堂で茶を飲み、今後の予定について話し合いをしていた。宿の裏庭は、囲まれた土壁こそ古びているが、きれいに整えられた芝生が広がり、その奥に小さな畑が作ってあり、春になればおそらく色とりどりの花が周りを飾ることであろう。朝早くに女将が女中と一緒にシーツなどを干していたが、今は人影がない。
「クラトス、裏庭は空いているようだ。今日はミトスもいないし、お前の稽古には私が付き合おう」
 いつもなら、話し合いの後にはすぐに情報を求めて外に出るユアンがクラトスを誘う。確かに、今日、明日を争って動かねばならないことは何もないので、クラトスもその誘いを受ける。
「いいのか、ユアン。このところ、だいぶ手合わせをしていないが、動けるかな」
 クラトスがからかい気味に言えば、ユアンが以前の王宮にいたときのように満面の笑みを彼に向けた。
「クラトス、では、賭けよう。どちらか先に一本取った方が好きなことを要求できるというのは、どうだ」
 ユアンの瞳が宿の窓から入る柔らかい日差しに煌めき、その形よい口が少しだけ挑戦的に引き結ばれる。ユアンの剣の腕は確かにミトスやクラトスとわずかな間であれば互角に戦えるが、彼の天賦の才はマナを自由自在に扱う術にあるから、それほど真剣に鍛えているわけではない。だが、ユアンがそういうことを言い出すときには、何か考えがあるのだろう。他にすることもないクラトスも、笑って、その挑戦を受ける。
 宿の女将に裏庭を使っていいかどうかを尋ねれば、あっさりとうなずいてくれる。
「明日も泊まるような客はあんたたちだけだからさ、昼間は誰もいないよ。好きにおし」
 確かに、街道の要所にあるわけではないから、山から下りてきた旅人は一泊すれば、すぐ目的地へと出ていく。食堂にも彼ら以外は地元の客しかいないのだから、女将の言うことももっともである。


 ほとんど風もなく、やや肌寒い気温はまさに稽古向きな天候である。
 裏庭で軽く剣を振り、撃ち合う前に互いに体を温める。ユアンの剣の身上は速さだ。だから、選ぶ剣もそれ相応に細身で軽く、クラトスの剣がそれ自体かなりの重さがあるのとは対象的だ。
 まずは、ステップを踏みながら鋭く剣を突き出し、相手の剣を逸らすようにふわっと下がる。クラトスの剣は、もちろん速さもさることながら、その繰り出される剣の重さに相手の剣をはじくことも度々だ。
 庭の真ん中で、真っ直ぐに胸の前で剣を構え、一閃の気合で互いに離れる。ユアンが様子を見るようにわずかに低くクラトスに向って剣を出し、横へステップを踏む。クラトスは出された剣を上に向ってはじき飛ばそうと、斜めに足を踏み出しながら、ユアンの剣を払う。ユアンもそれは分かっているようで、彼の剣に逆らわないようにすっと反対側に下がり、ついでクラトスの空いている側へと一歩動く。
 その動きを予測して、クラトスがさらに先へと足を踏み出そうとしたところへ、なぜか、いつも大人しくしているはずのノイシュが足元へと走り寄る。瞬間、躊躇ったクラトスの首筋へユアンの剣先が入る。
「貴様の負けだな」
 膝をついたクラトスをからかうように彼は手をさしのべた。
「今のはずるいぞ。ノイシュに合図を送っただろう」
 愛玩のプロトゾーンに押される形で足を踏み外した剣士は、彼の手をものすごい力で握りながら立ち上がった。
「クラトス、こんなことで真剣になるな。なあ、ノイシュ。今のは偶然だよな。さて、私が一本取ったわけだから、次の食事当番はお前だ」
「ユアン、それは認められないな」
「何だ。ご不満か。さきほど、一本と言ったではないか」
「う……」
 ひどく嬉しそうに笑みを浮かべるユアンに、初春の日差しがふりそそぎ、ひどくまぶしい。その笑顔がどこか以前の幼い二人のときを思い出させ、クラトスは息をのむ。その表情を勘違いしたのか、ユアンが側に寄ってクラトスの肩をたたきながら、宥めるように言う。
「よし、この勝負はこれとして、三本先取でもう一度やってもよいぞ」
 クラトスはその言葉に頷くと、ノイシュを裏庭の奥に連れて行く。


「今度は全うに勝負だ」
「まったく、貴様は負けず嫌いだな」
 ユアンがわずかに笑いをこぼし、しかし、さきほどよりは遥かに真剣にクラトスの前に立つ。
 今度はいきなりは仕掛けてこない。互いに相手の隙を見ながら、円を描くようにゆっくりと動く。ちょうど背中に太陽を回った瞬間、ユアンが軽く剣を突き出し、しかし、それを読んでいたクラトスは横に飛びのき様、上からユアンの剣を叩きつけるよに剣を振る。
「そうそう、やられないな」
 ユアンがわずかにクラトスの剣を斜めに滑らしながら受け、すぐに離れる。
「お前の太刀筋は分かっているからな」
 クラトスも答えながら、ユアンが下がった方向へと詰めより、ユアンはクラトスの剣を体の前で思い切り支え、どうにかはじき返すとそのまま位置を入れ替わる。クラトスが振り向きざまに突き出す剣に一歩よろめきながら、さすがに体勢を立て直し、突き出されたとは逆に一歩を踏みだしてくる。ユアンはそのまま低い位置に剣を真っ直ぐと突き、クラトスはその剣を受けると同時に、下から力ではじきあげる。ユアンの剣は数回宙で回転した後、芝生の上に見事に刺さった。
「参った」
 ユアンが両手をあげて、宣言する。
「正攻法では、貴様に勝てないな。だが、まだ一本。次は行くぞ」
 ユアンが動き回り次の一本をとり、続いてクラトスが危なげなく一本を取る。二人とも、かなり本気でやりあったせいもあり、汗が顔からしたたり落ちてくる。もう、無駄口も叩かず、無心に剣を操る。だが、力の差は歴然としており、クラトスはじわじわとユアンを追い詰め、宿の古壁の際での攻防となる。
「結局、私の勝ちではないか」
 とうに決着は見えていたが、クラトスがわずかに笑みを浮かべて踏み込めば、その剣を最後の抵抗で両手で柄を握り締めたユアンがキンという金属音と共に受け止める。


「参った。貴様の好きなものを言え。私でやれるものなら、やるぞ」
 ユアンが壁に寄りかかり、汗をぬぐいながら息をはずませる。彼の青い髪が汗で顔に張り付き、昼の陽射しに輝く。クラトスも同じく息を弾ませ、ユアンの横の壁に寄りかかる。クラトスの方を向き、ユアンがさきほどと同じように笑みを浮かべ、彼の答えを待つ。
 しばらく、二人の荒い息だけが庭に響く。
 壁とは反対側の建物のすぐ側の梢から、チッと声をたてて、カワラヒワが数羽飛び立っていき、また庭は静寂に包まれる。遠くに、牛の鳴き声がかすかに聞こえるが、片付けも終わってしまったのか、宿屋からも何の音もしない。いつまでたっても答えないクラトスの方を見ようと、ユアンが壁から体を離そうとした瞬間、クラトスの腕が再度彼の体を土壁へと押し付ける。
 陽で温まった土壁の感触と間近に迫るクラトスの汗のにおいが、彼にひどく居心地の悪さを感じさせる。だが、なぜか声がでない。
「何でもよいのだな」
 クラトスが真剣に彼の顔を見つめ、目を逸らそうにも行き場がないほど近くまで顔を寄せる。
「では、お前の接吻を」
 クラトスがまだ軽く息をはずませたまま、彼の髪をかきあげ、彼の耳に囁く。
 軽い気持ちで始めたものがどうしてこうなったのだろうと、混乱した頭で考える。このまま、流されてはならないという焦りと、ただ静かに訴えるクラトスの眼差しの強さへの驚きに身動きもままならない。クラトスは自分への想いをまだ捨てていなかったのだ。いや、あの幼い頃の思慕を大切な宝物のように抱えて、別の物と勘違いをしているに違いない。


 ユアンが目を見開いたまま、彼の腕の中でただ荒い息を吐いている。
 ひどく驚かせたことも、とてつもなく困惑させていることもわかっている。しかし、今、彼はもう引き返すことができない。この衝動をずっと押さえられると思ってきたのは、自分の思い上がりだった。ユアンが一人で去ったあのとき、己の本心を再度伝えられなかったことを未練がましく10年たっても思い返す自分が情けない。決して望ましいことではない。相手は、婚約者もいるのだ。再会したときに、共に戦いたいと言ったときに、相手から何も返してもらえないことを承知していたはずなのだ。
 しかし、心の奥底にずっと燻っている、この気持ちを分かってもらいたい、己をわずかでも想ってほしいという願望を消すことができなかった。消せなくとも、今までは、この息もできないくらい苦しく胸を焼け焦がす感情を誰にも気づかれないように押し込めていることができた。それなのに、誰もいない静寂が支配する庭で、ユアンの笑顔が彼の封印していた心の蓋をいきなり開け、溢れだしたものは止めようがない。
 冗談のつもりだったのに、いつの間に雲行きが怪しくなったのだろう。頭の中では、笑えという指示をしきりに出すのに、顔は引きつったままだ。


 数秒だったのか、数分だったのか、二人は見合ったまま、動かくことができない。突然、ユアンの手から離れた剣が地面に落ち、かすれた金属音をたてる。その音に、止まっていた時は動き出し、ユアンがクラトスから目を逸らし、少し震えたままの声で答える。
「私の接吻は高くつくぞ」
 ユアンのその声に、クラトスがよろける様に一歩下がり、彼自身も動揺していることを示す。あくまでもこれはおふざけなのだ。ユアンの声がそう伝えているのが分かり、クラトスは胸が抉られるような痛さを覚える。だが、今の彼にそれ以上望む権利はないのだ。
「目をつぶれ、クラトス」
 言うなり、ユアンがクラトスの顔を静かに両手ではさみ、顔を近づけてきた。互いに重なった唇は、今しがたの稽古のせいで、わずかに暖かく、少し荒れていた。
 ユアンがさっと彼から離れようとしたそのとき、クラトスの腕が突然彼を抱きしめる。おい、約束が違うぞ、と叫ぼうにも、クラトスのそれが彼の唇を覆ったままで、声も出せない。力ではさすがに勝てない。それ以上にユアンも抵抗することができない。二人の異変にきづいたのか、ノイシュの力ない鳴き声が遠くで聞こえる。


 むさぼるような長い口付けの後、クラトスは突然彼を放すと、何も言わず、振り返りもせず、裏庭から勢いよく出て行った。
 突き放されて芝生に崩れ落ちるように座ったユアンは、緑の草に落ちる自分の影をじっと見つめる。こんなに動揺するのは、ひさしぶりだ。どうして気づかなかったのだろう。どこかで、彼に甘えていたのかもしれない。言わずとも、互いの気持ちはわかっていたと勘違いしていた。すでに、終わったことなのだと互いに了解していたつもりだった。
 だが、それは彼の一方的な思い込みで、クラトスの気持ちをきちんと聞いてやったことがないことを、今更のように理解する。それ以上に、今の行為でクラトスに暴かれた己の心の奥底に、消し去っていたはずのクラトスへの気持ちがそのまま確かに存在することに愕然とする。こんなことはあってはならない。どちらに対しても、これは裏切りだ。頭の片隅に警鐘が鳴り響き、だが、彼の心を彩る想いは胸の中を渦巻くだけだ。混沌としたこの想いは、彼がいつも得意としているはずの戦略立案とは違い、己の意志で取捨選択することを許されていないことをまだ彼は分かっていない。
 ぼんやりと、脇に寄ってきたノイシュに寄りかかりながら、無駄に心の中を整理しようとし、しかし、そこに蘇るのは、先ほどの彼の目をじっと覗き込んできたクラトスの真剣な眼差しと、享ける資格はないといつも感じるマーテルの慈愛溢れる柔らかな眼差しだ。
 彼の背後を 音もなく雲が吹き寄せられ、晴れ渡っていた空はだんだんと曇っていく。


 数時間後、まるで自分の整理の付かない心のように俄かに暗くなり始めた空を見上げ、仲間達が戻らないことに不安になり始めたころ、早春にはつきものの霰の伴う嵐の訪れとともに、マーテルとミトスが慌ててもどってきた。二人の着替えやら、雷とその後の霰の恐ろしさの話にかまけているうちに、いつの間にか、クラトスもびしょ濡れになり、ひっそりと戻ってきていた。いつも通りに、ほとんど何も言わずに着替えると、無表情に席に腰掛け、剣の手入れを始める。ミトスが横にすわり、牧場帰りに、買い物の最中にみかけた大剣の話を始めるのを、わずかに相槌を打ちながら、静かに聞いている。
 波立つ心は、再び互いの胸の奥底へ無かったかのように押し込められ、そこにあるのは、半日前と変わらない日常風景だ。


 どうやら、軌道はもとにもどったらしい。
 安堵のため息をもらしそうになる自分を叱咤激励して、マーテルの手をそっと握る。
 旅はまだ途中だ。
 目指す先は果てしなく遠い。
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