旅路 ---旅  -- 秋 --

旅路

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旅  -- 秋 --

 秋。
 リンカの木はすっかり葉が黄金色となり、荘厳な趣きさえする。その木の根本でに二人が座っている。冷たくなってきた風から彼女を守るように、ユアンがマーテルの肩に手を回し、抱きかかえているのが目に入る。ミトスとの稽古に集中しなくてはならないと自分に言い聞かせながらも、落ち着かない。いや、ミトスも同じだろう。それを言ったら、おそらくユアンが一番心を痛めているに違いない。
 そろそろ、ここを出立しなくてはならない。山越えには時間がかかる。


 あの輝石による変化をとげた後から、マーテルの具合が良くない。
 当初はマーテルも気づかれないように隠していた。しかし、旅を続けているうちに、それは少しずつ表れた。ユアンがひどく思わしげにマーテルの後ろ姿を見ているのに気づく。やがて、ユアンとマーテルが言い争っている場面に遭遇する。ミトスも姉とその婚約者の滅多にない諍いに驚いていたが、やがて、珍しく姉を諌める側につく。クラトスもその頃にはマーテルの動きが鈍くなっていることに気づいていた。
 パーティは、ユアンを先頭に、背後をクラトスが守る形で行動している。いざとなればミトスが前線に出るのだが、戦さ慣れしている二人の連携を優先していた。だから、ユアンやミトスに言われずとも、クラトスは背後からマーテルを守ると決めていた。


 山越えは、特になんということもない山道で始まった。一向は先の道の険しさを思い、のろのろと進んでいた。
 前から突然現れたモンスターに珍しくユアンの反応が遅れた。おそらく、マーテルのことを考えでもしていたのだろう。鋭い爪の一撃に耐えられず、ユアンが弾き飛ばされる。ミトスが一瞬のうちに飛び出し、クラトスが教えたとおりに見事な一閃でモンスターの腕をはじく。
 クラトスもマーテルの前に出ようとして、驚いた。マーテルが足をもつらせ、倒れた。いつもなら、傷ついた仲間へ向かって癒しの杖を奮うはずの女神はただ青ざめた顔で道に倒れている。いつのまにか、肩から血を流しているユアンが彼女を抱き起こしながら、クラトスの方へ言う。
「クラトス、ミトスの援護を頼む。私はマーテルと下がる」


 あの後、ミトスとクラトスがモンスターを倒して戻ると、すでにユアンの傷は治され、マーテルはユアンの横に俯き加減に座っていた。
「姉さま」
 ミトスが走りより、手を握る。
「一体、どうしたの。黙っていたら分からないよ。ユアンが止めていたのに、なぜ、今日も平気なふりをするの」
 朝、宿を出るときに、ユアンが盛んにマーテルに向かって話しかけていたことはクラトスも気づいていた。
「ごめんなさい」
 俯いたまま、マーテルが答えるが、ミトスの握っている手に涙が落ちているのが分かる。ユアンがミトスを宥める。
「今日は私が気を抜いてこんなことになってしまった。あまり、マーテルを責めるな」
 山を越えることはあきらめ、元の寒村に戻る。


 夕方、ユアンがクラトスの部屋を訪れた。
「マーテルの具合が良くない。彼女の体に分からない変化が起こっていて、止まらないのだ。どうしても調べなくてはならないから、明日、私は王国の研究所へ向かう」
 ユアンが言うことはよく分かった。
「ユアン、王国内は今荒れていて危険だ。しかも、お前の顔を知っているものもいよう。私も一緒に行こう」
「そう言ってくれるのは嬉しいが、一人で行動した方が早いし、あの状態のマーテルをミトスと二人だけにしておきたくない。もう一人必要だ。リンカの木の場所で落ち会おう。あの辺りはまだ安全だ。一週間で戻ってくる。戻らなかったら、ヘイムダールへ二人と連れていってくれ。エルフなら、何か知っているかもしれない」
「この石のせいなのか」
 輝石を指すと、ユアンはその形のよい眉をひそめながら、わずかにうなずいた。
「そうだと思う。あの後、マーテルの体に変化が起きている。詳しくは話せないが、この数日で進行している。貴様もミトスも特に何もおきてはいないようだから、彼女だけの問題かもしれない」
 危険だと言って止めたかった。王立研究所という言葉を久しぶりにユアンの口から聞いた。彼はあそこへ戻るためにどれだけ葛藤したのだろうか。だが、クラトスにも解決策はない。
「わかった。あの二人のことは任せてくれ」
 次の朝にはもうユアンの姿はなかった。


 リンカの木の下で、マーテルとミトスがノイシュの上に寄りかかり、落ち葉を数えて遊んでいる。いや、遊んでいるふりをしている。
 空気は冷たく澄み、空は高く、雲は遠い。枯れ葉が落ちる以外は音のしない静まった森の奥の空き地はひどく淋しい。
 ユアンは1週間で戻ると言ったが、すでに10日経過した。マーテルの動作はもう誰の目にもごまかせない。動けるうちに、ユアンの指示通りヘイムダールに連れていった方がよいかもしれない。ミトスと昨晩話し合った。ミトスはヘイムダールへ戻ることにはあまりよい顔をしなかったが、大切な姉のことである。天候が安定している今日の午後には移動を開始しようと決めていた。
 野営を解き、荷物をまとめる。マーテルをミトスが助けおこした。マーテルはほんのわずか躊躇し、彼方を見た。
「ユアンがまだ戻ってきていないわ」
 クラトスもマーテルが振り向いた方を伺ったが、気配はなかった。
「姉さま、ユアンは必ず追いついてくるから、もう出発しよう」
 ミトスが姉を支え、出発の準備は整った。ノイシュがマーテルの気持ちを汲んだかのように、小さく鼻をならした。ユアンはどうしたのだろう。以前、ユアンが言っていたことを思い出す。彼は母がなくなったとき、何か絆でそれを感じたと言った。なら、マーテルもミトスも自分も何も感じないのであれば、無事ということなのだろうか。


 ヘイムダールへの道はまだ穏やかなままだった。クラトスは数回しか訪れたことはないが、そのときとほとんど変わっていなかった。森の水は水晶のように滑らかに木々の緑を映し、晩秋というのに、色とりどりの花が咲き、小さな白い蝶が彼らを歓迎するようにふわふわと飛んでいた。現実世界から離れた別天地。
 エルフ達は内に閉じこもり、世界の衰退に気づいていない。族長は、ミトスとマーテルの帰還をたんたんと受け止めた。ユアンはこちらにも来ていないようだった。ユアンの名前を聞くと、族長は少し顔をゆがめ、
「わが兄の子はこちらには来ていない」
とだけ答えた。知りながら、助けの手を差し伸べなかったのだろうか。クラトスの胸がわずか焼け付く。エルフ達にとっても、人間がそう感じると同じように、狭間の者たちに別の血のにおいを強く感じるのだろうか。
 マーテルの病状は、エルフ達も首をかしげるのみだった。


 ヘイムダールに着いて4日目の夜、それは慌しく告げられた。
「人間よ。お前の仲間が戻ってきた」
 すでに20日以上たっている。
「お前だけ呼べというので、こちらに来てくれ」
 使いの者にしたがい、虫の音が響く夜の森を抜け、族長の家へと向かう。いつも以上に空気が冷え冷えとしていた。族長の家の奥の部屋を開けると、真っ青な顔したユアンが寝台の中にいた。
「どうしたのだ」
 ユアンは静かにとクラトスを制した。
「すまない。いろいろと手間取ってしまい、今日になってしまった。話せば長くなるが、陛下に出会ってしまったのだ」
 クラトスの顔色が変わるのを見て、ユアンが首を振る。
「お前が心配するようなことはない。ただ、マーテル達には聞かせたくないだけだ。陛下には別れをきちんと告げてきた。もう、私が側にいても狂気は止まらないよ。いや、肝心なのは、マーテルの病を治す方法が分かったということだ」
 ユアンの手首の周りの紫色の痣、額から流れる冷や汗から、襟を詰めている服の下にもある拷問の跡が想像できた。輝石の力がなければ、ここまで戻ってこれなかっただろう。
「ユアン。陛下に別れを告げたとは、倒したのか」
 マーテルの代わりにはならないが、最近身につけた癒しを与えながらたずねる。
「お前の叔父だ。手を出すつもりはなかった。囚われた後、わずかに正気の間に陛下は、私に戻るようにと言った。もう、王国に留まるつもりがないことは告げた。そのせいで、少々痛い目にあったが、覚悟の上だ。倒すまでもない。彼の心は遥か以前に死んでしまったが、いまや、体も蝕まれている。お前の父親が倒れて、誰も諌められないのだから、早晩に王国は崩れよう」
 重苦しい沈黙が互いの間に落ちる。すでに袂を分かって長いが、己が祖国が消えいくことを納得するのはつらかった。


 エルフの族長が入ってきた。二人が並ぶと、驚くほどユアンが族長に似ていることが分かった。
「兄の仇にやられたか。わが甥よ」
 族長はひどく冷静にユアンの顔を眺め、それから、軽く杖を振ると、ユアンの目が驚愕に見開くのがわかった。
「兄と同じ力だ。狭間の者とは思えぬエルフの力を持っている。なぜ、ミトスと共にいる。我らのもとに来れば、ヘイムダールの平穏をともに守れるものを」
 族長の体から放出される強烈なマナの輝きは、クラトスの目をも眩ませ、ユアンの体へと吸い込まれていく。
「癒しをありがとうございます。長として立たれている方よ。しかし、私は外の世界を見過ごしにできないのです。オアシスはその泉が枯れる直前まで己が砂漠に埋もれてしまうことに気づかないのです。オアシスを守るためには、泉を枯らしてはならないのです」
「そうか。わが兄なら同じ事を言ったかもしれない。お前の母を見初めたときも兄を諌めることはできなかった。我一家は記憶にないほど昔から外の者へ干渉しないことを誓ってきたのに、自ら破った。そして、命を失った。父も悲しみのあまり閉じこもった。ラオーセン渓谷に記憶を紡ぐものがいる。そこに我らの父もいるはずだ。マーテルのことを相談しなさい。何か力になれるだろう」
「ありがとうございます。父の話を聞かせていただけるとは思いませんでした」
「お前はわが兄にもお前の母親にもよく似ている。異なる血に連なっていたにも関わらず、あの二人はまるで同じ星のしずくから生まれ出でたように同質だった。体が直ったら、すぐに渓谷へ向かいなさい。マーテルの変化は驚くほど早く近づいている。この石の扱いをくれぐれも誤ってはいけない。ミトスはまっすぐで、力の恐さをまだ知らない」
 来たときと同じように、静かに族長は部屋を出て行った。


 沈黙が部屋を覆う。
「クラトス。明日、出発しよう。私も研究所でわかった。ラオーセン渓谷のどこかに救いとなるものがある」
 ユアンが立ち上がった。
「もう、マーテルは私を見て驚かないだろうか」
 エルフの力はユアンの傷をほぼ消していた。あるとすれば、マーテルを憂えているその目だけだが、それは自分達も同じだろう。
「ああ、大丈夫だ。しかし、もう一日休んだ方がいいのではないか」
「いや、族長も言っていた。マーテルのことは一刻を争うだろう。実はお前には言っていなかったが、マーテルの体は結晶体に変化しているのだ。この石の恐ろしさは、力を与えてくれるかわりに私達の中へと石も侵入してくることだ」
 ユアンは少し躊躇ってから言葉を継げた。
「石の時間は我々の生とは比べ物にならないほど長い。我々の体が朽ちず、心だけ朽ちたら、何が起きるのであろう。それを考えると、本当に恐ろしくなることがある」
「ユアン、お前は疲れている。あまり、そのようなことを詰めて考えるな。それより、マーテルだ。早く会ってやれ」


 マーテルの部屋の外で踵を返す。背後にマーテルの泣き声と穏やかに宥めるユアンの声、会話だけでは分からない二人の想いが、マナとして表れ互い混じりあって輝くのが感じられた。ミトスにユアンの帰還と解決策が見つかったこと、そして明日の出立を伝えなければならない。



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