春のお話(王国)

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園遊会(その三):遠乗り

 高らかに角笛が鳴り、王宮の裏手の林から連なる西側の丘陵地帯は日頃の静けさと打って変わって、大賑わいだ。豪華な天幕が所狭しと設えられた草原に王が賓客を従えて姿を現せば、いよいよ、狩猟の始まりとなる。
 腕に覚えのある騎士たちが前面に出ると、その後ろに漆黒の馬に乗った王が、白馬に優雅に座る皇女や奥様と共に並び、その周囲を各国の賓客や王国の将軍たちが固めている。
 皇国旗と同じ豪華な赤い衣装に複雑な金の刺繍を施した同色の長いケープをはおる皇女は明るい日差しのなか、艶々した金髪を輝かせている。奥様は鮮やかな青色のベルベットに銀糸の縫い取りを施した長い狩猟服に王族が好む藍色の長いケープをまとっている。結い上げられた茶色の髪が同色のつばの広い帽子の下から覗いている。
 ユアンとクラトスは狩猟の間は邪魔にならないようにと、主だった人からはやや離れた位置で王とその主賓の晴れやかな出立を見送る。朝の空気に響く角笛の音とともに一同は蹄の音もたかく、森の中へと走り始める。
「お美しいな」
 ユアンが奥様の優雅な手綱さばきをうっとりと見つめてつぶやいた。
「昨日一緒に踊ったら、もう、好きになったの。皇女様は確かにきれいだけど、ユアン、お前だってきれいだよ」
 横でクラトスが少しすねたように答えた。
「クラトス様、勘違いしないでください。私が申し上げたのは奥様のことです。ほら、あちらを進まれていらっしゃいます」
「何だ。母上のことか。母上はああ見えても乗馬は得意なんだよ。僕が小さいときには、父上と三人で遠乗りにでかけたものさ。最近はすぐにお疲れになるからね。こんなときしか、乗らないけど」
 話している間に二人の周りからも人が動き始めている。


 ユアンが馬首を同じ方向にめぐらせようとしたとき、クラトスが声をかけてきた。
「ユアン、皆と同じ方へ行っても、馬の後ろを見ているばかりだ。東の森へ行こう」
「クラトス様、陛下と主席官のお側にいないといけません」
「僕達の馬なら、平気だよ」
 クラトスは誇らしげに言う。先月、王から贈られたクラトスの馬は灰色ぶちの精悍な雄馬で、クラトスは大層かわいがっている。南の名産地からきたその馬は、血統を誇るように見事な体躯に艶々とよく手入れされたたてがみを持っていた。
 ユアンはクラトスと共にその馬を見に行くたびに、流れる血の皮肉さを思い浮かべたものだ。尊ばれている血のことなぞ何もしらない馬はユアンにもクラトスと同じように懐いていた。
 よせてくる頭を抱えながら、
「お前が口を利けたら、私なぞ寄せ付けてくれないだろうにね」
 と言えば、そんなことはくだらないとばかりに、軽く鼻をならし、さらにユアンに頭を押し付けた。
 クラトスに馬が贈られたので、ユアンにはそれまでクラトスが使っていた優美な茶色の雌馬が貸し与えられた。遠慮する彼に主席官が笑いながら、
「どの馬もクラトスよりはユアンに慣れているからな。これは、特にお前を気に入っている」
 と言ってくださった。


「クラトス様、待ってください」
 ユアンが声をかける間にも、クラトスは勢いよく反対側へと走り出す。後ろをちらと眺め、しかし、彼も馬と共に野山を駆けるのは好きだったから、そのままクラトスの後をおいかける。
 どうせ、反対側から回ったところで、さきほどの一行の速さなら間に合うことだろう。クラトスもそうだが、彼も馬の扱いにはいささか自信があった。しかも、与えられた馬は今までとは比べ物にならない足を持っている。
 自らの半身のように動く賢い動物とマナを共有しながら走るのは、ひどく爽快なことだ。春の日差しの奥に黒い雲が湧き出していることを背を向けて走る二人は気づかない。森の縁まではほんの一呼吸で走りこんだ。
「あっという間だったね。これから、陛下たちの勢子が獲物を追い出しているところまでは、どの道をたどろうか」
 クラトスが風に乱れた髪もそのままに彼の方を振り返る。かすかに汗した額に長めの前髪が張り付き、頬が上気して赤らんでいるその姿にユアンは目を細めた。ずっとこのまま、二人で走っていられたら。そう答えたい気持ちを押さえ、遠くに響く角笛や馬のいななきを聞く。
「いつものように、縁をぐるっと回る道を参りましょう。森の中に入りますと、真反対から合流することになるので、私達が獲物と間違えられてしまいます」
「でも、それじゃ、すぐに合流することになる」
 クラトスは不満そうに愛馬の首に体を寄せた。気の強く賢いその馬も乗り手の気持ちに合わせるようにいなないた。
「ほら、こいつもまだ走り足りないと言っている」
 ユアンが少し困ったように角笛が立て続けに響いてくる方を見た。
「何を気にしてるのさ。気づかないよ」
 クラトスはいいが、彼は今日の狩猟が終わったら、直ちに王達と合流して賓客の相手をするように言われていた。遅れたら、何が起きるだろうか。だけど、クラトスといたい。逡巡しているユアンの姿をすねたように見ていたクラトスは、いきなり、彼の馬のたずなを引く。
「ユアン、行こう。北の池を回っていけば、北西から合流できる。そっちなら、正面からぶつかることもないから、間違えられないさ」
 見上げる空の高さと吹く風の暖かさにさそわれ、クラトスが方向を指し示せば、馬はそのまま真っ直ぐ走り始めた。木々の間を飛ぶように走りぬけ、小さな土手を飛び越え、二人はたちまちの内に森の奥へと分け入った。
 手前に次々と現れる木立を右に左にと軽快に除けながら、クラトスは巧みに馬を操り、奥へと向う。馬達も主人達の興奮が乗り移ったように、その足取りは駆く、一刻もしないうちに池の端にとたどりついた。
 軽く汗をかいた馬を休ませるために、岸の側に降り立つ。クラトスが手招きする。クラトスが立つ横から彼も岸辺から水の中を覗き込んだ。
「おたまじゃくしがたくさんいるよ」
「すごい数ですね」
 春の陽気に誘われたのか、浅瀬に数え切れないほどのおたまじゃくしが群れ、その先にちらりと魚の影が見えた。岸辺の大木から、はらはらと散り落ちる白い桜の花びらに、おたまじゃくしが反応して、ぱっと散った。


「この先の道はあまりよく覚えておりませんが、クラトス様はどうですか」
 青空とそこを流れる雲を映した池のはては、今までより、樹影が濃くなっている。ここまでは簡単に走れたが、この先は注意しなくてはならない箇所がいくつかあったはずだ。真っ直ぐ北に入ってしまうと、人手の入らない原始の森で迷ってしまう。
「最初の道を西にとって、すぐに出てくる三叉路を真ん中の道にとるはずだった。左の道はたしか崖ふちに出て、道が途中で崩れていた」
 クラトスもこの先の道のことは不確かなのか、首を傾げながら考えている。ユアンもちらりと戻るべきだとの思いが浮かんだが、陽気のよい天気とそこかしこに花をつけている桜の美しさが二人を呼んでいる。池の奥で傾いで立っている柳の大木の薄緑色の枝もそよ風にわずかに揺らいでいるだけだ。それ以上、何も不安を思わせる予感はなかった。
「早く行きましょう。迷ったところで引き返せば、すぐに本陣に戻れます」
 野山に溢れるマナに酔っていたのだろうか。躊躇ったクラトスを誘ったのはユアンだった。
「そうだね。あの柳の先を西に入ればいい」
 クラトスが馬に乗れば、二人は桜のさきみだれる池畔をゆっくりと花を楽しみながら進む。教会の話に聞く天の楽園のように、花びらに埋め尽くされた白い道をたどる。上を見上げれば、重なり合う枝の先から青い空がちらりと見えた。
「ユアンの髪の色のようだね。とてもきれいだ」
 クラトスが嬉しそうに指さし、笑った。
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