春のお話(王国)

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園遊会(終話): 帰還

 花の道が終わると、樹木の陰は一段と濃くなり、大きく真っ直ぐに聳え立つ欅の木の向こうは、樅や栂の森になっていく。たどっていく道は急に細くなり見通しが悪くなった。さきほどまでの日差しもここまでは届かないかのように、体を過ぎていく風もひんやりしている。
 すぐに三叉路に出た。そこは小さな石積みの道標があり、傾いだ案内板が打ち付けられていた。
「こちらのようですね」
 降りて、案内板を確かめて、ユアンが指差すさきの道に、またクラトスは顔をしかめた。
「ずいぶん、暗いな。前に来たときは、もっと開けた道のような気がしたのだけど。こっちの広い道の方が手入れもされている。こっちではないかな」
「道標はこちらを向いていますけど、どうしますか」
 二人は顔を見合わせ、しかし、道標に従うことにした。狭い道は、いきなり目の前に出てくる枝を払いのけ、ときには倒木を避けなければならない。馬達も不安そうに軽くいななく。
 冷たい風が吹き付けたかと思うと、いきなり空が暗くなった。
「しまった。春の空を甘くみていたな。寒くなってきたし、戻ろうか」
 クラトスが馬を止め、もとへ戻ろうとしたその瞬間、いきなり前に目も眩むような光とすさまじい音が轟き、目の前の大木がめりめりという音と共に倒れ掛かってきた。驚いた馬が棒立ちになり、倒れる木を背景にクラトスが反対側の暗闇へと滑り落ちるの見えた。
 二人の間を轟音とともに大木がまるで誰かの手で押されたかのようにゆっくりと倒れ落ちてくる。彼は馬の首に体を寄せ、必死で馬を宥める。高い声でいなないた馬はかろうじて彼の手綱に抑えられて踏みとどまった。
 まばゆい光に眩んだ目と激しい耳鳴りにしばし呆然とし、彼を乗せて動き回る馬の動きに気を取り直す。何度か目をこすり、急激に薄暗くなった中を周りをながめる。クラトスの馬が白い影のように向こうでいなないているのが見えた。
「クラトス様……。どこ、クラトス、返事をして」
 目の奥が痛み、体のどこかに枝があたったのか、腕がしびれている。馬は彼をのせたまま、じわじわと後ずさりする。どうにか、馬の首にもたれかかり、息をついた。
 クラトスの返事がない。また、向こうでクラトスの馬がいなないた。
「僕らを待って。そこで動くんじゃないぞ」
 通じるかどうかは分からないが、木々の枝で邪魔されて見えない向こうに声をかける。クラトスの馬はまた蹄の音も高く騒ぎ、いなないた。
「ようし、お前は賢いから、動くんじゃない」
 どうにか体の衝撃が収まったところで、馬を下りる。周りの木々はなぎ倒され、焦げ臭い匂いが辺りに漂っていた。クラトスの声は少しも聞こえない。
 馬の体を使い、自分の背中で押すように、太い枝を掻き分け、クラトスの馬が騒いでいる側へと近づく。
「ああ……」
 不安に思っていたとおり、賢い馬が騒ぎ立てる大枝の下にクラトスが倒れていた。
「クラトス。クラトス」
 呼びかける声に反応しない。馬をなだめ、少し離れた場所につなぐと、クラトスに近づこうと枝の下へもぐりこんだ。額から血が流れているのが見える。よくみれば、倒れている腕の角度も不自然だ。胸の下あたりに太い枝がのっている。
「まさか」
 慌てて手を伸ばすと、触れたクラトスの手はほんのわずか動いた。さらに体を枝の下につっこみ、首筋をさぐる。ぬるりとした血の感触にぞっとしながら、しかし、弱いながらも規則正しく打たれている脈を感じた。
 引きずり出そうと肩に手をいれてみたが、クラトスは軽く呻いたが動こうとしなかった。どうやら、枝に挟まれているに違いない。
 自分に言い聞かす。血はそんなに流れていない。大丈夫だ。すぐに救いだす手段を考えるのだ。馬達が後ろで落ちつかない様子でいななく。
「いい子だ。クラトスを助けなくてはいけない。手伝ってくれるかい」
 主人を落としたことを気にしているのだろうか。クラトスの馬がまるで彼に答えるように首を振れば、彼の馬も鼻をならした。
 まずは、木を少しだけ起こさなくてはならない。鞍の止め紐と轡の紐をすべてはずし、木にひっかける。馬達は分かっているかのように、彼が手綱を引くと前へと進みだす。
「そうだ。そこで止まれ」
 枝が浮き上がったのを見ると、そのまま固定するために浮き上がった場所に手ごろな石や太い枝を突っ込む。どうにか入り込むと、クラトスの体の下に手を入れ、引きずり出した。
 クラトスは彼に抱かれるとかすかなうめき声をあげたが、それ以上、何の反応も示さない。
「クラトス、クラトス、返事をして」
 抱きかかえたクラトスに何度も声をかけるが、答えはない。何をすればいいのだろう。体を楽にできるようにしなくてはならない。それから、それから、……。学問所で、軍で学んだはずのことが何も頭に浮かばない。
「クラトス、しっかりして。クラトス……」
 倒れた木からわずかに離れた草地にクラトスを横たえ、服を緩める。額から流れている血を止めようと、当て布になりそうなものを探す。しかし、遠出をするつもりではないから、何も手元にない。上着を脱ぎ、今日のために誂えられた自分のシャツを裂き、クラトスのあふれ出る血を抑える。
 無常な春の嵐は、雷が終われば、いきなり激しく冷たい雨を降らせはじめた。木々に囲まれたこの場所にも、葉に当たる雨音とともに、しずくが落ちてきている。濡らしては駄目だ。
 鞍の下に入れてある毛織物を広げ、クラトスをそこにくるみ、さらに近くの藪の茂みの下へとどうにかひきずりこむ。その間もクラトスは声も立てない。彼は、さきほど倒れた大木の枝を手が傷つくのもかまわず、急いで折る。なるべく、葉のついたものを藪の上に重ね、雨よけにする。
 クラトスの顔は真っ白だ。呼吸も速い。こうなったら、人を呼ばなくてはならない。馬に彼を乗せて戻ることはもう無理だろう。
 折悪しく、雨はどんどんと激しくなってきている。辺りも暗くなり、とてもクラトスを一人で置いて戻るわけにはいかない。
 馬達と目があった。言葉は通じなくとも、賢い馬だ。きっと、王宮までは戻ってくれるに違いない。二人の馬が裸同然で戻れば、馬丁も何かが起きたことはわかってくれるだろう。
 彼の考えを理解したかのように、クラトスの馬が首を大きく振った。彼が手綱をほどく、馬達は彼の肩に鼻面をおしつけてきた。
「お前たちだけが頼りだ。必ず、王宮まで戻ってくれ」
 彼の低くつぶやく声を二頭はじっと動かずに聞く。
「さあ、思い切り速く、今日こそ、今までで一番速く走ってくれ」
 ユアンはさらに口の中でつぶやくと、馬を王宮の方向へ向けた。軽く馬の背を手でたたいたと同時に、二頭は頭をあげ、まっすぐに動き出す。薄暗い森の中を器用に倒れた木々を除けながら、歩き始めた。薄闇のなか、姿が見えなくなった頃、蹄の音が早くなり、彼を励ますかのように、いななきが聞こえた。

 
 春の冷たい雨が茂みから零れ落ち、二人に降り注ぐ。クラトスの体を冷やさないようにと彼の上着も重ね、その上から覆いかぶさる。そして、彼のマントを二人の体に巻きつける。冷たい滴は容赦なくマントに染み込み、夕闇に吹き寄せる風でいっそ体が冷えてくる。
 クラトスの息が速くなってくるのをわかった。抱えている腕がしびれているが、それでも触れている手先が冷たくなってきたように感じられる。
「クラトス、がんばって。癒しの術はうまくつかえないけど、マナは分けてあげられる。だから、もう少しがんばって。すぐにお父上が助けにきてくれるはずだ」
 以前に学んだように抱きかかえている相手のマナに同調するように静かに自身のマナを流し込む。いつも感じているマナだかだろうか。何の抵抗もなく、彼のマナは流れ込んでいった。
 クラトスの瞼がわずかに動く。だが、何も言わない。
「聞こえる。クラトス、どこか、苦しいかい。何でもいいから話してみて」
 必死の思いで、クラトスの耳に囁き、また、つないでいる手からマナを流し込む。不安から湧き上がる涙で曇ったユアンの目にクラトスがわずかに唇が動かすのが見えた。だが、聞こえない。
 もう一度、マナを放出する。冷え切った体からは、思ったよりわずかのマナしか放出できなかった。
 こんな大事なときになんて情けないんだ。そう思う彼自身の意識もぼんやりとしてくる。限界を超えてマナを失ってしまったせいで、朦朧としてくる。だが、クラトスを失うことなぞ絶対に出来ない。クラトスがいなければ、彼も生きていられないも同然だ。クラトスがいるから、今の生活に耐えられる。
 ユアンの涙がクラトスの顔を伝わり、零れ落ちていった。その涙の先に見えるクラトスの唇がまたかすかに動いた。わずかに目を開いたクラトスが呻いた。
「……ユアン、手が痛い」
「クラトス、気がついたかい。しっかりするんだ。もうすぐ、助けが来てくれるはずだ」
「お前が助けてくれたの。ユアン、ありがとう」
 クラトスはか細い声でそういうと、また、目を閉じたが、息はさきほどとは違って、少し落ちついたようだった。だが、もう長い時間はクラトスも待てないにちがにない。
 それに、彼も抱えているマナをすべて出し切ったせいだろうか。体は冷えているにも関わらず、燃えるような苦しさを胸に感じる。まるで、深海に誘い込まれるように、息を吸っても胸の中が軽くならない。
 重なる彼の背中が冷たく雨で濡れてきたのを感じた。眠ってはだめだ。正気を保っていなくては、クラトスを守れない。彼だけがクラトスを守れることができるのだから、ここで挫けてはだめだ。必死で己に言い聞かせ、木々が出すわずかなマナに縋る。
 気が遠くなりそうになるたびに、すでに傷ついている手でとがった枝を握り締める。とびあがるような痛さも今は安堵の源だ。まだ、大丈夫と自分に言い聞かせ、クラトスを抱えなおす。

 
 冷たい雫が顔に落ちる感触ではっと目が覚めた。一瞬だけ、気を失ったに違いない。クラトスはどうしたのだろう。周りの静けさに痛いほど心臓が波打つ。確かめようと暗闇の中を手で探る。ぞっとするような予感に息を止めた瞬間、体の下にそっと抱きかかえているクラトスの息が彼の頬を擽った。彼もほっと息をはいた。
 遠くから馬の走りよる音が聞こえた。場所を知らせなくてはならない。クラトスに自分の上着の上に濡れているマントをかぶせ、ひずめの音がする方へと走る。上半身、ほとんど何も来ていない体に冷たい雨が容赦なく降り注ぐ。
 遠くに見えた松明の明りが近づき、必死で叫ぶ彼の声に気づいたのか、こちらへ向い始めるのが見えた。クラトスの馬に主席官が乗っている。賢い馬は期待を裏切らなかった。
 青ざめたクラトスの父の顔が見える。
「主席官、こちらです。怪我をされています」
 寒さに震える声をもう一度張り上げる。近衛兵を後ろに従え、馬から飛び降りたクラトスの父が走り寄る。
「あちらの茂みに……」
 彼が指す方向にそのまま駆けていくクラトスの父の姿に今まで張り詰めていた気が緩む。
「クラトス、クラトス、大丈夫か」
 主席官がしっかりとクラトスを抱き上げるのが、霞む目の先にうつる。安堵とないまぜになった何かが胸をこみあげ、涙がこぼれた。彼には抱きしめてくれる人がいるのだ。そんな思いが心の中に湧き出ると、寒さが一層身に沁みた。
 周りの怒号や人が行き交う様をうつろに見上げる。クラトスは助かった。それでいいはずなのに、なぜ、涙が出るのだろう。
 その思った瞬間、崩れ落ちようとする彼も暖かい胸に抱かれていた。寒さに強張った体を包み込むそのマナは強く熱く彼の周りを巡った。マナを失い冷えて弱った体はその温もりに寄りかかり、支えるしっかりとした腕に縋りついた。疑問が頭に浮かぶ間もなく、気を失った。


「ユアン、ユアン」
 優しく呼びかける声が聞こえる。彼の手を柔らかく包み込んでくれる手の感触に気がつく。ゆっくりと目を開ければ、そこは見慣れたクラトスの家の部屋だった。
 奥様が横に座って彼を覗き込んでいるのがわかった。
「奥様、クラトスは大丈夫ですか」
 乾ききってもつれる舌で答えると、ゆっくりと奥様は微笑んで下さった。
「ありがとう。クラトスを救ってくれて、本当にありがとう。あなたにこんな無理をさせて申し訳なかったわ」
 奥様はそうおっしゃりながら、上掛けの上から彼をそっと抱きしめてくれた。優美で繊細な真珠色のマナが彼を覆い、彼の心を癒してくれる。
 でも、あのマナとは違う。ふと、疑問が彼の心に浮かぶ。誰が救ってくれたのだろう。
「さあ、二日も寝ていたから、お腹がすいたでしょう。ゆっくりと起き上がってちょうだい」
「二日も寝ていたのですか」
 そんなにときがたっていたなんて。陛下に言われたことは一つも守れなかった。動揺の色を浮かべた彼の様子に奥様が心配そうに覗き込む。
「まだ、苦しいの。陛下があなたを抱えて戻っていらしたときは、本当に顔色が悪かったから、悪い肺炎かと思っていたけど、侍医は疲労だけと言うものだから、安心していたのに。熱は下がったのに、どこが苦しいの」
 奥様は何をおっしゃっているのだろう。陛下が私を抱えてきた。どういうことなのだろう。
「陛下が私を……」
「覚えていないの。夜も更けて、あなたがたが見つからないので、主人も慌てて捜索に出ようとしたら、陛下までご心配のあまり同行されたのよ。陛下に抱えられて戻ってきたときは、クラトスよりあなたの方が具合が悪かったくらいなのよ。陛下も大層心配されて、昨晩までは数刻おきに使者を送っていらしたのよ」
 抱えられたときのマナの強さが彼の胸に蘇り、苦しいほどの動悸がした。
「ユアン、……」
 奥様が困惑したように彼の名をよび、それから、もう一度やさしく抱きしめてくれた。
「陛下も、私達も、クラトスも、この館の者も、あなたの周りの者は皆、あなたのことを大切に思っているの」
 奥様の胸に、ただ息苦しいだけのその思いを吐き出すように縋りついた。励ますように奥様の腕が優しく彼の背中に回され、彼は理解できない感情を振り払うようにかすかに頭を振った。


 クラトスの家の謁見室にクラトスとユアンはうつむいて立っている。二人の前には一枚板の磨き上げられた卓があり、その向こうの主賓用の椅子には王が座っている。横に座る主席官に、クラトスもユアンもこっぴどく叱られ続けている。
 クラトスは雄々しくも彼を庇って、自分が悪いと主張したが、今回ばかりは、一緒に出たユアンも悪いことは明らかだったので、公平な主席官の許しは得られなかった。
 横でそれを見て笑っていた王は、主席官をなだめるように、声をかけた。
「二人とも無事だったのだから、良いではないか」
「陛下、それでは示しがつきません」
「お前の言うことも分かるが、そういうお前も確か賓客を招いた夜会で騒ぎを起こしたことがあるではないか」
「陛下、それは……」
「わしも加担したしな。だから、血筋だ。父上がご存命なら、そういうところだ。クラトス、父と同じ罰なら文句もあるまい」
「陛下、そういう甘いことでは……」
「主席官、もうよい。二人とも無事だったのだし、それに免じて許してやれ。クラトス、ユアン、体が治ったら、共に一月ほど王宮の礼拝堂の掃除と早朝の祈りをかかさずするのだぞ」
 まだ、文句を言いたげな主席官の肩をたたき、王は立ち上がった。
「それより、王宮へ戻るぞ。子供達のことにかまけている場合ではない。諸国からの返礼も多く来ている。放っておくわけにはいくまい。アデレード姫がどこに輿入れするかで、ことは変わる。あの女の動静を調べて置け。わしは見限られたらしいから、気をつけねばならん。お前がすることはたくさんある」
 小さくなっている二人をおき、王は渋る主席官を連れて部屋を出て行った。


 王と主席官の足音がしなくなると、同時に二人は顔を見合わせ、互いにため息をついた。無言で二人は主賓室の先のテラスへと出る。さんさんと降り注ぐ日差しのなか、テラスの欄干からあの嵐に出会った森の方角を見る。
「ああ、助かった。陛下が来てくださって、本当に良かった」
 しばらくすると、クラトスが心底嬉しそうにつぶやいた。ユアンも王の機嫌が良かったことに胸をなでおろす。
「父上が僕らと同じことをしていたなんて、知らなかったな」
「私も想像できません。どちらかというと、クラトス様が主席官に似ていらっしゃれば、あんなことはされないですよね」
「ひどいなぁ。でも、礼拝堂の掃除なんて簡単なことでよかったね」
「クラトス様、私は早朝礼拝はなれていますから大丈夫ですけど、朝早いことをご存知ですか」
「ユアン、今からそんなこと、心配しているの。前の夜から礼拝堂で寝ていれば大丈夫だよ」
「クラトス様、私は起こしませんよ」
「ユアン、そんな心配ばかりしていると、病気がなおらないぞ。お前は顔色わるいから、もう少し、横になっていた方がいいな」
 クラトスは折れていない方の手でユアンの傷ついた手を掴み、ゆっくりとその手を引き寄せた。
「ごめんね、ユアン。お前をこんな病気にするつもりはなかったんだ。ただ、二人でいたかっただけなのに、すまなかった」
 無邪気に彼をひきつける琥珀の輝きがユアンの胸をゆさぶる。ふと気を奪われたそのとき、クラトスはユアンの手を口元に持っていくとその指先に軽く口付けをした。
 クラトスの唇の熱さに呆然とするユアンに、クラトスがにっこりと微笑む。
「この前のお返しだ。助けてくれて、ありがとう」
 その優しく活き活きとしたクラトスの表情は、失ったかもしれないというあのときの彼の恐怖を拭い去ってくれる。無意識のうちに、ユアンは両手でクラトスを抱え、強くだきしめる。
「クラトス、無事でいてくれただけで、それだけでいいのに」
 口の中で小さくつぶやく彼の言葉に、クラトスはユアンの胸に静かに頭をもたせかけた。
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