春のお話(王国)

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園遊会(その二):夜会

 春の日が落ちるよりも前に、夜会は始まる。まだ、夕日が薄桃色の大理石を染めているなか、王は奥様の手をとり、優雅にホールの真中へと進み出る。その後を、主席官が王国には珍しい淡い金髪の妙齢の貴婦人と滑るように現れる。列席者のため息を誘うその貴婦人は、昼に彼の肩から花びらをとってくださった人だった。
 ユアンも周囲の人々と同様に奥様や皇女の優美な踊りにうっとりと見惚れる。滅多に見られない華麗な舞は人々の賞賛の声のなかに終わる。誰もが惜しみない喝采を送るなかで、王や主席官が下がれば、後は思い思いにそこかしこで踊りが始まる。
 ユアンは周りの女性たちの誘うような目線にはあえて気づかぬふりをして、王の目が届くフロアの端にたたずむ。向こうでクラトスが若い貴族の娘たちに囲まれているのが見えた。王族ともなれば、平等に相手をしなくてはならない。ちらとユアンと目を合わせたクラトスがいつものように天井を見上げる仕草をして見せた。


 奥様と例の皇女は王や主席官の横に座り、何やら話しこんでいる。王の手招きに彼が近づけば、王は皇女を彼に紹介する。
「アデレード姫だ。粗相ないようにお相手いたせ」
「ユアンと申します」
「ユアン、よろしくね」
 見たこともないほど白く、見事に手入れされた手は差し出された彼の手にそっと収まった。周りの貴族達の注目を浴びながら、ホールへと出る。
「あなたが例の陛下のお気に入りの方なのね」
 皇女はいきなり彼の耳に囁く。一瞬、目を見開き、動揺を隠せない彼に皇女は品のよい笑みを浮かべる。
「私は気にしなくてよ。あなたなら、当然だわ。陛下が愛されるのも無理ないわね。聞いていた以上にとてもきれい。しかも、賢いのね」
 何をおっしゃっているのだろう。こんな美しい人の口から漏れる言葉とは思えない。
「そんなに驚いた顔をしないで。それに、大丈夫。私はあなたから陛下を取り上げるつもりはないわ。それを申し上げたかったの」
 曲が遠くに聞こえる。何を勘違いされているのだろう。彼は王の物ではあるが、王は彼の物であるわけがない。
「姫。私は陛下のお言いつけに従うだけです」
 ようやくの言葉を口にすると、皇女は本当に優しそうに笑った。
「まだ、何にもわかっていないのね。だから、愛されるのよ。かわいらしいお方」
 皇女は羽のようにふわりと舞い、曲が終われば、二人へ熱い喝采が送られる。
「素晴らしいお相手でしたわ」
 王の元へ皇女をエスコートすれば、姫は息も弾ませず、彼を褒める。
「姫の踊りも見事でしたよ。いつも拝見できないのが残念です」
 王は皇女の手に軽く接吻をしながら、横の席を空ける。困惑したまま立ち竦む彼に奥様が声をかける。
「ユアン、アデレード様はのどが渇いているのではないかしら。私の飲み物と一緒に頼んできてくださいな。お願いね」
 奥様の優しい目がここを離れるように教えてくれる。彼は軽く膝を曲げ、皇女に挨拶を送ると、すかさず奥へと下がる。
「陛下、ひどい方ね。あんなに怯えているのに、私の相手などさせて」
「姫、わしのことを何でも知りたいとおしゃったのはあなただ」
「まあ、何をおっしゃるのやら。でも、公式の場でご自慢の彼をお披露目できたのですから、陛下はご満足ではございませんこと。せっかく、お力を貸したのですから、次にお伺いする機会がございましたら、彼に是非エスコートしていただきたいわ」
「仰せのとおりに」
 王の気のない返事にちらと王の方へ目をやり、深々と扇の奥でため息をもらし、皇女は届けられたカクテルに手をやった。


 ひどく汗をかいた手を握り締める。姫の手はとても柔らかく、しかし、その言葉はひどく固くユアンの胸をつらぬいた。あの場に戻りたくない。あんなに美しく高貴な人の口からいきなり自らの立場をはっきりと告げられて、どんな顔をしてあそこに立っていればいいのだろう。
 皆の目線が全て彼の存在を非難しているように感じられる。王宮の中ならまだしも、国の外にまで、この立場を知られていることに居たたまれない。
 王がこの場に留まるように彼に命じていなかったら、今にでもこの場から去ってしまいたい。だが、王の命令は絶対だから、心の内に溢れている羞恥も絶望も飲み込んで、フロアに立つ。周りの視線で倒れることができるのなら、どんなにか楽になるだろう。しかし、置物はジロジロと見られることが宿命なのだから、あきらめなくてはならない。見飽きれば、周りからいななるはずだ。
 彼のそんな気持ちとは裏腹に、皇女との踊りが終われば、彼の周りには多くの要人達がにこやかに挨拶をしながら近寄ってくる。彼は昼の記憶を頼りに必死に相手をする。
 皇女の御付きである大使には、あちらの言葉で皇女を褒め、南の国の元首には近年の航路の開設への尽力に感謝する。共和国の大使は隣国の大使と共に、彼にカクテルを渡しながら、最近の国境のできごとを話す。神妙にその話を聞き、だが、尋ねられる微妙な問いには答えないよう細心の注意を払う。後で王に問いただされたときに、気に入らないことをすれば、何をされるかわからない。ようやく、二人から解放されれば、遥か海の果てにあると伝え聞く雪国の将軍がにこやかに近づいてくる。
 何が起きたのだろう。昨日まで誰からも見て見ぬふりをされていた者が、いきなり、皆から声をかけられる立場になった。起きていることの意味がわからない。
 しかし、ちらと振り返った先の王の満足そうな目線に気づけば、逃げずに言葉を交し続ける。珍しい置物を愛でるように、人々は気まぐれに彼に寄ってきているのだと自らに言い聞かせる。
 

 明日は王が返礼として主催する狩猟と夜会だ。王が夜も更ける前に席を立てば、王族や主だった者も三々五々と退出しはじめる。
 ユアンは人ごみの中をクラトスの手に引かれ、ようやく一息をつく。
「ユアン、すごく上手だったよ」
 さきほどまでクラトスも周りを貴婦人やその娘たちに囲まれていた。彼が王に命ぜられていると同じく、クラトスにも王族としての義務がある。互いに目線を交わす以外、話もできなかった。
「クラトス様こそ、何人ものお相手をされて上手でしたよ」
「あんなの、ちっとも楽しくないさ。ユアンと一緒に話している方がずっと愉快だ。なんで、女の子はあんなつまらない話ばかりしたがるのかな。アデレード皇女もお店の話とか服の話とかしたのかい」
 無邪気なクラトスの問いに、忘れようとしていたさきほどの会話が彼の脳裏によみがえる。
「いえ、そういうお話はされませんでした」
「ユアン、大丈夫。疲れているみたいだね」
 クラトスが心配そうに彼の腕に腕をからめ、昼間と同じようにごく間近から彼の目をのぞきこむ。
「隣国の皇女様のお相手をしたので……」
 クラトスのまっすぐな眼差しを避けようと先をみると、ホールの出口に王の侍従がこちらを見ながら立っているのが目に入った。クラトスの前で呼び出されるのだけはいやだ。
「どうしたの。ユアン」
「緊張して疲れました。クラトス様は慣れているでしょうけど、私はこういう公式の場は初めてなので、今日はもう休みます」
「そうだね。明日は朝が早いしね。ユアン、僕の部屋で一緒に休もうよ。寝台は広いし、朝、一緒に馬の様子を見にいけるよ」
 先月、王から立派な馬を贈られたばかりのクラトスが嬉しそうに誘ってくる。このまま一緒に過ごせるなら、傷ついたこの心もどんなにか癒されるだろうに。だが、呼び出しを断るなど考えられない。
「今日はご遠慮します。自分の部屋に戻らないと、明日の準備もございますし」
「侍従に頼めばいいじゃないか。ユアン、おいでよ」
 クラトスは甘えたように腕にしがみついてくる。このまま、クラトスの部屋に行ったりすれば、彼だけでなく、クラトスまでもひどい目にあうかもしれない。慌てて、彼は首をふり、クラトスを腕からひきはがす。
「クラトス様、そんな小さい子のようなことをおっしゃらないでください」
「ユアン、せっかくなのに、つまらないやつ!」
 クラトスは口を尖らせ、それでもユアンの肩をたたく、頬に軽く挨拶のくちづけを寄越した。
「お休み。明日は一緒に走らせよう。ユアンには負けないぞ」
 ひらひらと手を振りクラトスはホールから王族が滞在している主翼の二階へと走り去っていった。クラトスの姿が見えなくなったことを確かめ、王の使者の方へと近づいた。今日は王も彼の部屋へと来る余裕はないようで、直ちに王の自室へ赴くようにと指示された。
  

 王の居室がある三階の廊下前には近衛兵が立っているが、彼の姿を見れば、敬礼をし、だまって通す。もう、いつものことだ。誰でも知っている。
 ユアンは唇を噛み締め、廊下の中央にある王の居間へと足を進める。すれ違う侍女や侍従が恭しく頭を下げていくのも、目に入らないふりをする。
 戸口の兵も彼の姿を見れば、たちどころに扉を開けた。中には明日のことを話し合っていたのだろうか、宰相と主席官が王とともに脇の小さな卓を囲んでワインを飲んでいた。
 来るのが早過ぎたのだろうか。慌てて頭を下げ、戻ろうとする彼を王が呼んだ。
「ユアン、こちらに来い。お前を待っていた。そこに座れ」
 王が指し示すままに、主席官の横の椅子に座る。
「遅くなって申し訳ありません」
「早速だが、夜会で誰と何を話したか、主席官と宰相に教えてやれ」
 王は機嫌よさそうに笑いながら、彼の謝罪を遮った。どうやら、遅れたことは許されたようだ。ほっとした彼は、昼と夜会で出会った各国の要人の話を始める。
 主席官は目が合うと、優しくうなずいてくれた。どうやら、間違ったことを話してはいないようだ。
「そうか。共和国の大使はお前にも国境の情勢を聞いてきたか。しかし、あやつめ、自国側の守りには自信がありそうだな」
「恐れながら、陛下。共和国と皇国との間の平和協定は来年で終わりを迎えます」
「宰相、わかっておる。だからこそ、あやつら、こちらの国境の状況を気にしている」
「陛下、……」
「なんだ、ユアン」
「皇国の大使はその後共和国の兵が皇国で狼藉を働いていると零しておられました」
「誰に言っていたのだ」
「南の国の元首にです。元首は私が背後にいるのをご存知なかったらしく、王国との航路にも差しさわりがあるかどうか、お尋ねになっておられました。皇国は共和国の準備が進んでいるようだとお話になられていました」
「そうか。皇国の大使はお前に気づいていたのか」
「はい、目があいました」
「主席官。将軍たちにも伝えておけ。こちらが派手に宴をしている間に共和国にだけ準備をさせるわけにもいくまい。ユアン、明日もしっかり話はきいておくのだぞ。では、宰相、主席官、今日はご苦労だった」
 王はしごく満足そうにグラスに残ったワインを飲み干し、その間に宰相と主席官は静かに席を離れていった。ユアンはぼんやりと今の会話を頭の中で繰り返していた。
「ユアン、よくやった。顔を覚え、話をするということが、どういうことなのか、わかっただろう」
 王の声にはっと我に返る。
「はい、陛下」
「お前なら、これからどうすればいいと思う」
「とりあえず、共和国に軍の準備が整いつつあることを見せれば、皇国内の共和国軍はこちらに意識が向かいます。皇国はわが国と和平を結べば、国境で争いはございませんので、来年度以降、共和国との和平協定をあのような共和国有利な形で結ぶ必要がなくなります」
「それで、……」
「共和国が力で抑えている皇国内国境の町はすでに不満が出ていますから、皇国との和平協定がなくなれば、すぐにでも皇国の傘下に入ろうとするでしょう。そこで、王国の軍を共和国にもっとも近いところに配置すれば、共和国も戦略的に双方の国境線を押さえていられるだけの余裕はなくなります」
「ユアン、それで王国に益することはあるのか」
「まず、皇国との貿易で国境の町が潤います。また、皇国側の沿岸はもともと安全ですし、港も大きいですから、南との貿易も今まで以上に期待できます。もともと、皇国との境は豊かな町が多いですから、王国の発展には欠かせないかと存じます」
「では、共和国との国境はどうなのだ」
「すでに緊張状態ですが、王国軍が増えれば、市民は安心するでしょう。共和国の軍による統制の話はみな聞いておりますし、軍による物資調達などで経済的にも今までよりは活発になるかと」
「お前は、こういうことになると、よく話すな。お前を軍師として推挙すると宰相と主席官には伝えた。来週にでも将軍たちにも話は通す」
「陛下、恐れながら、私では務まらないかと……」
「決めた。その話は終わりだ。こちらにこい」


 王の言葉に誘われるように立ち上がる。
「どうだ。夜会は楽しめたか」
 王が前に立ったままの彼を抱き寄せ、膝に乗せる。
「はい、陛下」
 夜が始まる前から機嫌を損ねてはいけないから、従順に頷く。
「そうか。皇女との踊りはよかったぞ。姫もお前をたいそう気にいられた」
 王はそういうなり、彼の口を奪う。王の執拗な口付けを受けながら、皇女の言葉が頭に浮かぶ。
(あなたから陛下を取り上げるつもりはないわ)
 気づけば、夢中で王に応えている。
「どうした。あまりわしを刺激するな。明日は早いから、今日は話をするだけのつもりだったのに……。寝室へいくか」
 王に抱き上げられ、彼はまるで愛し合っている者同士のように王の首に手を回し、口付けを続ける。彼を寝台にそっと横たえると、王も彼の体に沿うように寝台にすべり込み、優しく首に回っている彼の手をほどいた。素直に王に寄りかかれば、それは優しく王が着衣の中へ手をいれてきた。
「皇女に何か言われたか」
「いえ、何も……」
 早くも王が与える刺激に息も絶え絶えに答える。
「嘘をつくな。驚いていた。何を言われたのだ」
 王の背に縋りつきながら、小声で囁く。
「陛下が私を愛していらっしゃると、私から陛下を取り上げないと」
 その言葉を聞いたとたん、愛撫していた王の手が止まる。
「私がお前を愛していると……。小ざかしい女だ」
 中途半端なまま放り出された刺激は、その王の反応の前に冷えていく。こんな間違ったことを聞かされて、怒ったに違いない。
 だが、王は静かに起き上がると、寝台から出て行っただけだった。
「そうか、私がお前を……。もう、寝ろ。わしはほかにしなくてはならないことがある」
 王の態度が分からない。二人の間に愛などという言葉で結ばれる何かなどありえない。
「陛下、あの……、部屋に戻ります」
「そこで寝ろ。わしはすることがあると言っただろう。お前はそこで寝て待っていろ」
 王は静かにそういうと、寝室を出て行った。一人取り残され、襲い掛かる暗闇に溺れてしまいそうだ。動けない。混乱した彼の胸はただ息苦しく、深いため息は静かに闇に飲まれる。
 やがて、緊張から来る疲れで彼が寝付いた頃、ひっそりと王が戻ってくる。夜の帳に隠された秘めた感情は、それが蝋燭のわずかな灯りにも照らされてはならない。揺らいでいる姿などもってのほかだ。暗闇の中で優しく抱き寄せるその仕草は、相手にも知られてはならないのだ。
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