番外編(収束)

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OVA仕様 思考実験 

 その計画は彼の頭の中で何度もシミュレーションされた。何度行っても、脳内のロイドは実の父親を全身で否定し、脳内のクラトスは瞬きの一つもしない。だが、と、シミュレーションの中でユアンはほくそ笑んだ。それだからこそ、当たり前の行動の一つも取れないからこそ、この二人は彼の罠に落ちるのだ。忙しく動き回るレネゲードの部下達を横目に、ユアンはクラトスが無表情のまま息子の存在を認めず、疑心暗鬼のロイドが無駄に吼える姿を脳裏に浮かべた。ほんの一押しでクラトスは絶望の縁を飛び越えるだろう。互いが親子だと認めていただかなくて大いに結構だ。
 逆に親子と見せ付けられたら。そう考えて、ユアンは身震いした。親子の情とは無縁の世界で生きてきたユアンにとって、あれほど我慢ならないものはない。親子の情がなにほどのものだ。姉弟の絆がどうした。恋人同士の愛になんの意味がある。彼にとって、どれ一つとして苦しみの種でしかない。愛を失った後の空虚の時間がどれほどか、恋に夢中な間は誰一人、分かろうともしない。二度と戻らぬ幻を求めて、どこまでも彷徨う。
 雪に覆われた氷の洞窟よりも冷え切った、そのくせ、灼熱の砂漠よりも乾いた空虚な時間。それこそが人を虚無と絶望の世界へ誘うのだ。あの女と息子を失った後のクラトスはどうだ。ユグドラシルが作ろうとする世界に薔薇色の未来があると思っているのは、ブロネーマぐらいだろう。そして、救いの塔内部に漂う沈黙の狂気。ユアンが為してきた全てがそのまま残されている。あれこそ、醜悪な絶望の記念碑だ。急に息苦しくなり、ユアンは服の上から胸に掛かる冷たい円環の金属を抑えた。
 自分の信条を裏切る癖にうんざりし、ユアンは鎖に手をかけた。だが、今もまた、鎖を引き千切れなかった。
 怯むな。
 ユアンは三日前に得々と「姉さまの器」を語ったユグドラシルの表情を思い出した。狂気がそれらしく見えるなら、どれほど楽なことか。ユグドラシルが誰もがほれぼれする姿の中に、あれほどにねじくれた想いを抱えているなんて、詐欺もいいところだ。まあ、人のことは言えないが、とユアンは自嘲した。ユグドラシルよりましだと言えるほどには、ユアンも自暴自棄になってはいない。何せ、ユグドラシルの目的はマーテルを救うことであり、彼の目的はマーテルを完全に亡き者とすることにある。それに、あちらは少なくとも神子の体は生かすつもりだ。翻って、彼は罪なき者達の命をそれと知って、それでも奪い続けている。どんな立派なお題目があろうと、殺人だ。それも、桁外れの殺人鬼だった。
「ユアン様、明日にでも出立の準備ができます」
 彼の狂気に真面目に付き合う副官が背後から静かに話しかけてきた。
「クラトス様と本当に対峙なさるおつもりで」
 副官は心配そうに尋ねた。
「神子はすでに最終調整段階に入っている。ロイド達の手に渡ったところで、時間を先延ばしにしているに過ぎない。ユグドラシルを止めるためには、核心をつく手段をとるしかない」
 ユアンは再三再四繰り返されている問答を終えようとした。だが、いつもなら、彼の気持ちを汲み取り、口出しをしないはずの副官がもう一度問い返した。
「ロイドを利用しなくとも、クラトス様の封印を解放する手段はあるのではないでしょか」
「クラトスを我々だけで殺すのか。それでは素直に封印を解放しないだろう」
「いえ、そうは申しませんが、しかし、ユアン様が後悔されない手段をとるのが一番かと存じます。 クラトス様に封印解放を無理強いされて、後悔されないというのですか」
 小賢しい副官が彼の顔色を伺う。ユアンは再び息苦しさを覚え、胸に手を当てた。魂を失ったクラトスは唯々諾々とユグドラシルの指示に従っている。今や、クラトスはただの人形なのだ。ユアンが殺人機械と化したように、クラトスもユグドラシルの命令を聞くだけの機械だ。機械を壊すには、最も壊れやすい部分に負荷をかけるだけ。
「ボータ、私は何も後悔しない。今までに後悔していることがあるとすれば、ユグドラシルを殺す機会を見逃した ことぐらいだ。もう言うな。決めたことだ」
 背後で深いため息が漏れたが、ユアンは聞かなかったことにした。


   目的の少年は、庭に向って設えられた長い縁側に座り、武器の手入れをしていた。こいつの心に一滴、毒を指しておかねばならない。静かに近寄り、ユアンは用意していた剣を差し出した。
「よく切れるぞ」
 少年はまっすぐにユアンを見上げ、首を横に振った。
「親父の剣を使うからいい」
 ほくそ笑みそうになり、ユアンは慌てて硬い表情を作った。何も知らない少年は今だ、あの衰退世界のドワーフを父と慕っている。そうだ、いいぞ。もう少し、大切な父親を思い出させてやろう。育ての父を大事に思えば、あの無表情な奴を嫌悪するに違いない。少年に淡々と尋ねた。
「父親に会いたいか」
 素直な少年はいいや、と再び首を横に振った。彼の大切な幼馴染を取り戻すまでは、父親に会いにもどるつもりはないらしい。この少年は出会った人々とすぐに共鳴する。クラトスの否定を前に、悲しみと怒りで我を忘れるだろう。そして、実の父親の冷たさの前に、この少年が暴発すればいい。思い切り、実の父親を非難し、その胸の鼓動を止めてしまえ。
 そこで、ユアンはまっすぐに彼を仰ぎ見る少年の眼差しに身震いした。救いの塔に漂う数え切れぬ少女達も、血飛沫をあげる直前まで、彼をまっすぐに見つめていた。人を疑わない澄んだ瞳。ユアンはどうにか少年に笑みらしきものを与え、その視線から己の意識を引き剥がした。輝きを失い、濁り、焦点を失っていく数多の瞳が彼の周囲に漂う。そうだ。彼に相応しいのは、どこまでも果てのない空疎な景色だけだ。
 くるりとロイドに背を向け、ユアンは明日の手順を頭の中で辿り始めた。血の通った悲劇など不要だ。どこにでも転がっているお涙頂戴話はいらない。だが、万が一、ロイドが父親を受け入れたとしたら、そのときはそのとき。自分なら、出来るはずだ。罪もない者を殺めるなど、今までもいくらでもしてきた。ロイドの一人ぐらい、簡単に始末できる。
 ユアンは動悸を抑えようと、胸に手を当てた。胸の上にある指輪が急速に重みを増し、小刻みに震えたように思えた。
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