転回

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再会

「ユアン」
 珍しいことに、ユグドラシルが直接彼の部屋をたずねてきた。常なら呼び出すのに、何があったのだろう。


「クヴァルの牧場を知っているか」
 何の前おきもなくたずねられる。自ら訪れたこともあるのだから、知らないふりをするわけにもいかない。
「ああ、あの効率第一の場所だな。知っている」
「あの牧場の近くにイセリアという小さな森がある。そこへ行って、クラトスを連れて来い」
「クラトスがそこにいるのか」
 何を言っているのか理解できない。クラトスがあの辺りに近づくわけがない。
「クラトスがクヴァル達と争っている。放っておいてもいいのだが、あの牧場は効率がよい。つぶすのには惜しいから、クラトスを止めてくれ。クヴァル達ではクラトスを止めることはできない。お前が行ってくれ。殺さなければ、どんな形で連れて帰ってもよい」
 動揺が顔に出ないことを祈る。ついに、来てしまったのだ。
「ユアン、お前で駄目なら、私が出ざるを得ない。それは避けたい。お前ならできるだろう。急いでくれ」
「私にできることはしよう」


 クラトスと会ってから、何年たっただろうか。ユグドラシルがたまに消息を調べさせてようとするのを、できる限りはその指示をもみ消すよう気をつけてはいたが、組織は大きい。すべてに目が届かないのは、ユグドラシルでさえそうなのだ。やはり、どこからか漏れてしまったのだろう。
 あのクラとスが争っているというのは穏やかではない。彼の大切な人に危機が訪れたのだ。子供もいると聞いたが、大丈夫だろうか。ユグドラシルの声が響く。冷たい声。
「殺さなければ、どんな形で連れて帰ってもよい」
 すでに、ユグドラシルにとって、クラトスはただの物なのだろうか。様々な思いが頭を過ぎる。


 大地に降りる。相変わらず、マナの少ない寒々とした世界。降り立っただけで彼を攻め立てるような冷たさを感じる。クラトスのマナが轟々と燃えているのが突然感じられた。感情が暴走している。


 近寄った森は血に染まっていた。数千年前に剣神と恐れられたものの刃は今でも容赦なかった。数を把握できないほどのディザイアンが倒れている。無駄のないその剣が一刀両断のもとに敵を倒したのが分かる。
 奥の騒ぎを追っていく。間に合ってくれ。
 いや、間に合っていない。途中で、斃れているものの傷が剣でないことが分かる。何か、まるで、獣が引き裂いたような跡。ああ、暴走したのだ。あの美しい女のマナは感じられない。
 ただ、クラトスのとてつもない怒りで震えるマナが、彼が近くづいていくのを遮るように暴発する。怒りだけではない。絶望ととてつもない悲しみが感じられる。


 クヴァル達が勝てる相手ではない。これ以上犠牲を増やさないために、クヴァルを見つける。
「クヴァル、直ちに配下を連れて退け」
「ユアン様、しかし、まだ石が……」
 言った瞬間にクヴァルの顔にちらりとまずいという思いが掠めている。原因はやはりあの石だ。
「石がどうしたのだ。牧場を全滅させたくなければ、今残っているものを連れて退け。ユグドラシル様から牧場は守るようにと厳しく言いつかってきた」
 クヴァルは彼の顔色を伺い、配下のものを呼び寄せる。生き残ったディザイアンは慌てて下がってくる。
「よいか。私が呼ぶまで近づくな」
 背後に下がらせると、血のにおいとうめき声が響くなかを歩いて向かう。


 クラトスは逃げるディザイアンを追いかけては来なかった。逆に、崖下に向かって降りていくのが見える。追いかけるか、このまま彼が戻ってくるのを待つか逡巡し、追いかけることを選ぶ。
 崖の淵からのぞきこむと、下には多くのディザイアンたちが倒れており、クラトスの姿は見えなかった。見えないが、彼のマナは感じられる。すぐ側だ。
 一歩下がると、その瞬間に彼の髪と服の一部を剣が切り裂いた。すでに準備していた雷撃で彼を撃つ。さすがにその剣は彼の入念な雷撃を簡単にかわした。しかし、これは予想の範囲だ。すかさず、次の一太刀から充分な距離を置き、ダイダルウェーブを放ち、クラトスが剣を構え直す間に声が届くだけの距離を置く。
「話をさせてくれ」
 クラトスの狂気に駆られた燃えるような目が、わずか彼を認めた。
「ユアン、退け。ここで、私は死ぬわけにいかぬのだ。だが、お前を手にかけたくない」
「貴様に止めを刺しにきたわけではない。クヴァル達は退かせるから、好きにするがよい。ただ、これ以上ディザイアンを殺すな。貴様も死ぬな。何が起きたかは大体分かる。死だけは選ぶな」
「お前の気持ち、恩に着る。だが、お前と言えでも、話は聞けぬ」
 クラトスは崖下へと姿を消した。ユグドラシルの意には沿えない。クラトスが死を選ぶなら、止められない。遠くから邪魔が入らないように彼を見守るだけだ。


 雨が降り出した。
 クラトスがどこへ向かっているかは感じられる。絶望が大きくなる。森の中で木々がこぼすわずかなマナに囲まれながら、クラトスの絶望と悲しみをずっと見届ける。クラトスは決して、休まず、何かを探している。
 何かは分かっている。彼の妻と子供だ。クヴァルを絞り上げて、起きたことは聞き出した。なんと馬鹿のことをしたのだ。クラトスは本当に死を選ぶかもしれない。いや、すでに心は死んでいるかもしれない。


 一週間たった。
 この二日間、クラトスはずっと動いていない。
 我々なら1ヶ月この悪天候の中を動いても倒れやしない。だが、人間は、幼い子供や弱った人間なら二日ともたないであろうことは、冷静に考えれば簡単に分かる。
 クラトスがそれを分かるまで、何日かかるのだろう。自分はいつ納得したのだろう。今でもマーテルを失ったあの日のことは、鮮明に思い出せるし、その前後は何も覚えていないともいえる。ユグドラシルはまだ納得していない。
 その結果がこの悲劇を生み出しているのだ。


 ユアンが近づくのが感じられた。対峙するために剣を持とうとしたが、意志はともかく、もう己の手は震えるだけで、柄をにぎることもできなかった。
「殺してくれ」
 どうしても自死を選ぶこともできなかった。
 搾り出した声はユアンの顔を曇らせるだけだった。今なら分かる。ユアンがその昔泣きもせずに、ただ、立っていた気持ちが今なら分かる。しかも、自分は愛するものをこの手にかけたのだ。空っぽなものが虚ろに座っているのをどこか遠くから眺めている自分がいる。
「クラトス」
 どうして、お前が泣いているのだ。血や泥に汚れたままの自分を抱きかかえて、なぜお前が泣く。私など抱えたら、お前の服が汚れるだけだ。また、どこか遠くからつぶやく自分が見える。
「クラトス。聞こえているか」
 何か言いたげなユアンの顔が見えるが、何を言っているのか分からない。
 分かりたくない自分がいる。
「クラトス。希望を失ってはいけない。見つからないということはどこかにいるかもしれないということだ」
 ユアンの口が意味のない言葉の羅列を吐き出す。感触は手が覚えている。あの人が自分へ懇願した声が頭の中を木霊す。もう終わったのだ。すべては失われた。抜け殻はほっておいてほしい。


「ユアン、さすがだね。よく、無傷で連れ帰ってくれたね」
 これを無傷というのだろうか。クヴァル達に襲わせたのも、私にクラトスを連れもどさせたのも、すべてここにいる氷の王の差し金だ。ユグドラシルは人形のように座っているクラトスの前でにこやかに笑う。
「なかなか、戻ってこないから、ユアンまで僕を裏切るのかと思ったよ」
邪気のない顔から飛び出す悪意に満ちた思わせぶりなせりふ。
「それは無用な心配をかけたな」
 慇懃無礼に答える自分。
 何も反応しないクラトス。
「ねぇ、クラトス。これに懲りたら、もう僕の側を離れてはならないよ。お前は大切な身なのだからね」
「御意……」
 クラトスが機械的に答える。
「ミトス、しばらくは放っておいてやれ」
 昔の呼称を使うことで、少しでも以前の、同志としてあった日を思い出して欲しい。
「ユアンはクラトスにはいつでも優しいね。もちろん、外で何をしていたかは聞くつもりはないさ。だけど、裏切りは一回だけだからね」
「御意……」
 あくまでもにこやかにつぶやくユグドラシルの凍った心も空っぽになったクラトスの心も、彼の思いを受け止めてくれはしない。
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