迷走

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探し物

 遠くまで見渡せる真っ直ぐな道にぼんやりと立っている人影に気づいた。深く濃い森を抜けた直後だけに、飛び出した草原は目に眩しく、すぐには誰かわからなかったが、相手もまた殺気を放っているわけではなかった。


「ユアン、そんなところに立ってどうしたのだ」
 強い陽射しのもと、気の抜けたように空を見ていた同志は彼を認めるとほっとしたように笑った。
「クラトス、そんなところにいたのか。ユグドラシルが探していたぞ」
「そんなことのために、私をここで待っていたのか」
「いや……」
 歯切れ悪く答えると、ユアンは彼に背を向けて歩き出した。
「ちょっと、歩いていた」
「どうして、このようなところにいる」
 ユアンは振り向かずに首を振る。
「もういい。たいした用ではない」
「一体なんだ」
 はぐらかそうとするユアンに追いつき、誰も周りにいないのをいいことに、その二の腕を掴み、歩みを止めさせる。
「せっかく、このような場所で会えたのに、私は無視か」
 立ち止まったユアンはそれでもこちらを見ようとしない。いつもなら、彼が止めれば、すぐに彼に身を寄せるのに、今日は何も返してこない。いざ、望んでいるはずの行動を取られると、それはそれで淋しく思うのは、彼の心の中で大切な者が占める場所がそれだけ大きくなっているからだろうか。
「ユアン」
 いつもなら、無理に聞き出すこともないのだが、何かが彼の心の中で燻り、もう一度、尋ねる。
「クラトス、貴様が聞けば、きっといい気持ちはしない」
 ユアンが珍しく、ひどく困ったようにこちらを向かずにつぶやく。確かに、お前の口から別の者の話を聞けば、いつでもいい気持ちはしない。だが、子供じゃないから、さすがにそのようなことを言うなと、詰ったりしたことはないつもりだ。それどころか、彼が自分にだけ話してくれていると思えば、子供じみた独占欲と自己満足を感じては、自分が嫌になっている。
「失せ物を探している」
 ユアンがまた言ってはいけないことのように小さな声で言う。
「こんなところでか」
 さすがに驚く。ここは、遥か昔から手付かずの森のはずれだ。こんなところにわざわざ来て、何を探すというのだろう。
「だから、もういいのだ。見つからなくて当然だと思っている」
 ユアンは彼の手をふりほどくと、また先に歩み始めた。

 
 クラトスがここを訪れたのは、偶然だ。
 先日、不思議な生き物をみかけたという報告書があがってきていた。その上、今朝、何か呼ばれるような気がし、ひょっとしてという淡い期待で、森の中に分け入った。
 残念ながら、彼が望んでいた生き物の気配は毛筋ほども感じられなかった。マーテルを失ってすでに千年は過ぎただろうか。その後、混乱から我に返ったときには、苦楽をともにした生き物の姿はなかった。共に旅したあの生き物が呼んでいるような不思議な感触をたまに感じる。その度に、時間が空けば最初に出会った森を訪れるのだが、会えた試しはなかった。


「待て」
 ユアンの手を再度掴む。その手は少しだけ、クラトスを拒否するかのように強張り、しかし、大人しく彼の手の中に納まった。
「私達の間で隠し事をしないでくれ」
 二人きりと思えば、これ以上困らせてはいけないと思いながらも、つい、拘ってしまう。
「クラトス」
 ユアンはこちらを振り向くと、そんな彼に困惑したように眉根を寄せ、少し見上げるような目線で彼の表情を窺う。
「実は二週間前にノイシュをみかけた」
 話が長くなりそうな気がして、そっと彼の手を引き、草原にともに腰を降ろすように促す。今度はユアンも大人しくクラトスの横に座るので、その腰に手を回し話の続きを促す。
「クラトス、貴様に黙っていて悪かった。二週間ほど前に、ユグドラシルが例のドワーフに用があると言い出して、この先に住んでいるアルテスタに会いにいったのだ」
「アルテスタは身を隠したと思っていた。あの機械人形は失敗したであろう。ユグドラシルは同じことを繰り返すつもりなのか」
「ああ、それとは別の話だ。ユグドラシルがエターナルソードをデリス・カーラーンの入り口に放置しているのだが、やはり、もう少し仕掛けが欲しいと言い出してな。アルテスタがあいつを恐がっているのは気づいていたから、私が訪れることにしたのだ。どうにか、隠れ家を探して会うのは会ったのだが、頼みごとは断られた。その帰りにふとこの森を見たら、呼ばれているような気がしたのだ」
「お前も感じていたのか」
「やはり、そうか。それで、あのとき、……、マーテルが」
 ひどく苦しそうにその名前がユアンの口からこぼれた。思ったより、胸は痛まなかった。それどころか、苦しそうにしながらも自分に語ろうとするユアンが愛おしく、今ユアンの側にあるのが己であることに、罪悪感とわずかな安堵が入り混じった気持ちを覚える。
 一度、息を吸いなおして、ユアンが続ける。
「マーテルが見つけた場所に行ったのだ。そしたら、ノイシュがいた」
「会えたのか」
 とても驚く。ノイシュとユアンの関係は、言わば、マーテルを挟んでのミトスのように、マーテルを競い合うようなところがあったから、あの当時はノイシュがそこまでユアンに懐いているとは感じられなかった。
 だが、今、自分達が留め置かれている状況に一番苦しんでいるのはユアンだ。だからこそ、ノイシュは現れたに違いない。
「その濃い藪を越えたと思ったら、前と同じように座っていた。夢のようだった。貴様がいればと思ったのだが、生憎、呼び出す手段がなかった」
「実を言えば、今日この森を訪ねたのは、ノイシュを探すためだ。呼ばれたような気がした」
「そうか。なら、一緒に会えればよかったな。ノイシュは聞きたかったのだと思う。マーテルのことや、我々のことや、あのミトスのことを」
 最後に彼の口から出た名前は、まるで消え去ろうとしている過去の思い出のように、懐かしむような口調でつぶやかれた。
「いろいろと話したのだ。あの後のことを何時間も語った。じっと聞いてくれた。ノイシュは気づいているんだ。ミトスのことを心配している。多分、何も知らなくても、この地が歪んだことでわかっていたのだと思う。ミトスの話をした後で、悲しそうに私を見た。今思えば、あの混乱の中、ノイシュがいてくれたら、ユグドラシルも、いや、ミトスもずいぶんと慰められただろうな。私は役立たずだったから」
 ユアンは最後の言葉を力なく吐き出すと、クラトスへと身を寄せた。いつまでも気にしている。だが、それは皆同じだ。失った者の大きさに圧倒され、互いが互いを見失っていたのだ。
「皆、同じだ。その話はもう過ぎ去ったことだ」
「過ぎ去ってなんかいないさ。ユグドラシルは今もたった一人のままだ。貴様の声も、私の声も届いていない」
「ユアン……」
「繰言だったな。確かにもう過去を変えることはできない」
「ああ、私も失言だった。お前の言うとおりだ。で、何を失くしたのだ」
「ノイシュが身を寄せてくるので、その、……」
 ユアンはわずか躊躇い、ちらとクラトスを見上げた。
「見せたのだ。マーテルの思い出にと、つい……」
 困ったように、言葉を途切れ、途切れに選んでいる愛しい者を強く抱えこむ。
「指輪を見せたのだな。私に遠慮することなどなかろう。お前が大切にしている物は、私にとっても大切な物だ」
「ノイシュは懐かしそうに体を寄せてきて、私の手の上の指輪を眺めたと思ったら、いきなり、森の奥に入っていって、それきりだ。そのときは、確かに懐に入れたと思ったのだが、気づいたら、見当たらない。それを今日気づいて、探しに来たのだ」
 話し終わると、ユアンは軽くため息をついて、それでもクラトスに寄りかかったままだった。ノイシュは気づいてくれただろうか。マーテルの思い出を見せられるようになったユアンに。彼の傍らに自分がいることに。軽くユアンの肩を撫でる。


 そのとき、話し忘れたことに気づく。ほんの少し、笑みが洩れた。気落ちしている風なその表情を慰めるように、軽く頬に口付けを与える。
「失せ物とはそんなことだったのか」
 クラトスが軽く答えると、身を起こして、その煌めく青い目で睨み付けてくる。
「そんなこととはどういう意味だ。さきほど、大切だと言ってくれたのに」
「ユアン、怒るな。お前が探しているのはこれであろう」
 クラトスが隠しに入れていた指輪を鎖ごと取り出す。
「クラトス、どうして最初に言ってくれないのだ」
「お前が何を探しているのか、教えてくれなかったではないか。大体、覚えていないのか。昨晩、私の部屋で酒を飲んだときに、私にからんでいたのは誰だ」
 どうやら、思い当たったことがあるらしい恋人は、急に顔を赤らめる。
「このところ、地上とデリス・カーラーンの間で、例の再生システムの調整で忙しかっただろうが、飲みすぎだぞ。私が服を脱がせてやったときに、お前がはずしてくれといったのだ。今朝、お前が先に部屋を出て行ったので、返しそびれていた。どうやら、私の服の上に紛れ込んだらしい。気づいて返そうと思っていたのだが、お前がいなかった」
 自分にそこまで頼むお前が嬉しかったとは言わない。酔っていてもそれだけは忘れないのだなと、ちらりと胸が痛んだことも言えない。
 その代わり、昨晩とは逆に、愛しい者の後ろでまとめている髪を脇によけて、鎖を首にかけてやる。そして、鎖ごと、そのうなじに唇を当てる。ひんやりとした鎖は彼の唇とユアンの間でたちどころに熱をもった。
 擽ったそうに首をすくめ、ちらと彼の表情をうかがい、ユアンは安心したように微笑んだ。
「いろいろとすまない」
 素直に頭を下げた恋人は、さきほどと打って変わって元気になり、いきなり、彼の首に腕を回し、鎖の熱に触れた唇に音高く口付けを寄越す。
「そうだ。さきほども、ノイシュにクラトスとのことを話したときに、何が起きたか言うのを忘れていた」
 ユアンがそれは楽しそうに、ノイシュが照れたと大げさに語る。聞いている彼が思わず顔を赤らめるほど、素直に彼への愛を語るユアンの言葉をノイシュは何と思ったのだろう。いつもの調子を取り戻し、彼の目をじっと見つめながら、いかにも嬉しげに語るその姿に、今気づく。
 ノイシュに呼ばれたと思ったが、そうではなかった。おそらく、ノイシュは、一時でも憂いから解き放たれたこの愛しい者の姿を彼に見せたかったのだ。


 濃い緑の森の中で遥か昔に起きた出会いと同じく、明るく開けた草原の柔らかい青葉の香と抜けるように青い空の下、このときは一瞬のものであると分かっている。
 しかし、この悦びのときが永遠に続くようにと願う。
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