迷走

PREV | NEXT | INDEX

想い(2)

 数日、理由もなく会わない日が続いたので、避けられているような気がして、クラトスの部屋に押しかけた。扉の向こうで驚いたように目を瞬かせ、でも、嬉しそうに迎え入れてくれた。いつもの通りにアルコールを少し楽しんで四方山話をすれば、その後はごく自然のままに寝室へと流れた。
 相手の気持ちを踏みにじっているのではないかと、ひどく不安を感じることがある。それが床の中でさえ、クラトスはたいてい何も言わないから、自分が彼の思うことのほんのわずかでも叶えられているのかどうか分からない。
 二人で向かい合っているときも、クラトスにしては気を許しているのは感じられても、ほとんど無表情だ。わずかに見せる悦びに細められる煙った目の色とか、ほんの少しだけ開いた口から稀に洩れる甘い吐息に、彼も自分との逢瀬を喜んでいると気づく。たまには、遠くに見えた彼が、自分に気づいたのか大股のその歩調が少し小走りになり近づいてくるとき、わずかに紅潮した頬を見て、彼も自分を求めていると知る。
 だけど、こちらを見て、確かに持ち上げられていた腕が自分に触れる前にそっと降ろされたり、視線を感じて振り向いたときに、ついと反らされたりすると、何か気に染まないことをしたのではないか、また何か知らぬままに我慢をさせているのではないかと気になる。
 遥か昔、彼が与えてくれる好意を真正面から受け取れなかったあのときから、ずっと、彼に無理を強いている。自分を望んでいてくれた彼に、気づかないふりをしたり、別のことと勘違いしたふりをしているうちに、それが当たり前のようになってしまった。互いの本音を真っ直ぐに見ることが、感じ取ることが出来なくなったのだろうか。
 クラトスが捧げてくれる想いが気持ちよい。しかし、彼が捧げてくれるその想いを享けるに値しないのではないかと、ふと怖くなる。
 愛することの、愛されることの形は、器を作る二人によって異なるのだという彼の人の言葉を思い出す。何も知らなかった彼に互いに愛することがどういうことなのか、教えてくれた人の暖かさが勇気を与えてくれる。恐れてはならない。誤魔化してはならない。春風が体に触れる優しさを感じ、消えることのない過去の愛が、問うことを躊躇ってはならないと囁いてくる。


 ほんの数日空いただけなのに、かすかに与えられる愛撫やユアンが漏らす一言、二言の睦言が新鮮で、動けないほどの快感をたちどころに得る。抱かれてしまえば、思い悩んでいたことが嘘のようにユアンの気持ちが感じられ、一人で燻っていたときを忘れる。二人で過ごす夜の熱さに、指一本動かせないくらいだけ圧倒される。
 確かに愛されていると感じられるこのときをずっと欲している。触れ合っている体のそこかしこから湧き出てくる熱とユアンの香とが入り混じって息苦しく、でも、このまま溺れてしまいたい。側に入られる幸せは、それを得た今、とうてい放すことなどありえないことを知る。それどころか、望むだけ欲しい。相も変わらない己のこんな執着をユアンにわかってもらえるだろうか。
 今にも自分の口から飛び出しそうな言葉を、でも、飲み込んでしまう。今の関係を壊してしまったらどうしようと、何かをすることで得ているものまで失うことにならないだろうかと、ひどく怯えてしまう。せっかく得たものを自分の我侭で壊してしまわないかと、躊躇ってしまう。
 互いの想いを敬意をもって受け取るという、こんな簡単なことを素直にできない。差し出されたときには遠慮をされ、欲するときには相手はこちらを見ていない。そんな気さえ、起きてくる。お互いに与え合うために、もっと彼と共にいたいと望みながら、近寄ろうとしては、一歩下がる。
 触れ合っているこの肌から己の想いが通じればどんなにか楽だろうに、ユアンの目をみれば、でかかった言葉がまるで喉に詰まったように苦しいだけだ。


 クラトスがぼんやりと上を向いたままだ。
 寝室に入ってから、何か、気に入らないことでもしただろうか。何かいけなかっただろうか。数日ぶりだからか、ほんの少し目を伏せて恥ずかしげに、それでも彼が求めれば素直に体を寄せてきた。最中は、いつも以上に反応していた。だから、ひょっとして、少し無理をさせたかもしれない。
 いつもなら、彼の傍らに寄り添うような仕草をみせてもっととねだったり、興がのれば、いきなり、彼を組み伏せて唇を奪ったりもするのだが、今夜は、物言いたげにわずかに口を開き、しかし、そのまま口を閉じ、彼の横に臥せったままだ。
 初めて体を重ねたときも、勢いに任せて何も問わずに組み敷いたが、もっとよく彼の気持ちを聞けばよかった。あのときは、自分の中にあった思いがけない程の衝動に突き動かされて、相手の気持ちまで思いやることができなかった。しかし、あの後は互いに憑かれたように過ごして来たから、今までこれでいいような気がしていた。
 確かに相手の気持ちを尊重しない行為が許されるわけがない。ここは、クラトスにきちんと尋ねなくてはならないだろう。


「なあ、クラトス、私に抱かれていいのか」
 余韻に浸っている彼に向って、ユアンが体を離したまま気だるそうに尋ねる。なんだか、今更な質問ではある。
 良すぎるくらいだ。良すぎて二度と離さないでくれと泣きついてしまいそうだ。そう素直に言えればいいのに、己の口はそっけない答えしか返さない。
「お前がよければ、それでいいのではないか。現に今も私を抱いたいたであろう」
 その瞬間、相手の大きな目がわずかに見開いてから、こちらから目をそらすのが分かり、何か間違えたことがわかる。大切な者を傷つけてしまっただろうか。
「私はずっと愛のない生活しか知らなかった。互いに敬意をもった交わりを知らなかった」
 ユアンがゆっくりとこちらに向けていた体を仰向けにし、彼方をながめながらつぶやく。
 今でも忘れられないのだろうか。数千年前のひどい虐待。横で知らないふりをしているしかなかった幼い自分とずっと鎖にしばられていたユアン。
 そっと、彼の体に腕を回し、なだめるように撫でる。
「いや、お前は最初から愛を知っていた。敬意をもって接っすることをわかっていた。私達の家族はお前と共にあることが楽しかった。あの陛下でさえ、お前のことを愛していた」
 ユアンが首をふる。表情は見えない。
「いつでも相手の顔色だけうかがって生きてきた。陛下とのことは恐怖に従っていただけだ。愛とは何の関係もなく湧き上がる体の欲望を充たすための行為だった」
「そんなことはない」
 自分が不用意に発した言葉がこんなにも彼を傷つけたことにひどく焦りを覚える。口の重いが自分が呪わしい。
「今更、馬鹿だと思うだろう。クラトスと愛し合うことがとても恐かった。
 愛なんて、口でいうのはとても容易い。実体のないものはいくらでも取り繕えると、幼い頃に教えられていた。クラトスと一緒にいられるなら、それに何か名前を与えたくなかった。
 お前に何も告げることのできなかったあの頃、愛と無理に呼ばされたものは、ただの欲のつながりだった。体は欲に正直だ。あんなに嫌だと思っても、何もそこに想いはないのに興奮していた。
 だから、ずっと、そんな言葉は、そういう行為は信じられないような気がしていた。一度口に出してしまえば、いったん抱き合えば、何か別のものに変わってしまうようで嫌だった。
 そうではない、目に見えない想いが乗せられた言の葉を信じてもいい、互いに傍らにあることに名前を与えることは偽ることではない、敬意をもった行為は貴いと、唯一教えてくれた人はこの手の中で消えていった」
 何をユアンに言わせているのだろう。彼にこんなことを言わせてしまうのも、自分が彼の想いを受け取っているだけで、それを失うことを恐がって、自らを差し出していないからだ。
「クラトスが側にいてくれるのは嬉しい。お前の姿を見れば、それだけで十分なはずなのに、実体のない言葉が欲しくなってしまう。言葉を貰えば、もっと触れ合いたくなる。触れていると無くすことが怖くなる。だから、クラトスが私から離れられないようにと、ずっと抱いていたくなる」
 私もそうだ。私も同じだ。
 失うことを恐れる前に、決して失うことはないから恐れるなと伝えなければいけなかった。
「体のつながりなんて信じられないといいながら、つまるところ、お前を求めてしまう。自分の意志とは係わりない行為を嫌悪していたはずなのに、お前の望むことを聞かずにいる。
 今日だって、お前の気持ちを聞くつもりだった。それなのに、お前の顔を見ると、止められない己の欲望にただ従ってしまった。
 クラトス、わずかでも、嫌だと思うなら、言ってくれ。今でも貴様が満足しているのか、私のために我慢しているのかわからない」
 こんなに自分のことを思ってくれているのに、どうして、不安になってしまうのだろう。だが、ユアンと違い、彼はこういうときに語る言葉を数多く持っていない。それが口惜しくあるが、今は自分のできることをするだけだ。
 こちらを向かない愛しい者の背後ににじりより、やさしく胸の前へと片手を回し、もう一方の手で長く青い絹糸のような髪をもちあげ、うなじに口付けを送る。
「お前の傍らにいると、いつも確かに愛されていると感じることができる。それどころか、私はお前に抱かれるのが好きだ。
 不安にさせたなら許してくれ。お前にこんなことを言わせてすまない。 私こそ、お前がどんなに私に与えてくれているか分かっているのに、更に求めてしまう」
「クラトス。貴様の想いに相応に応えたいと願いながら、ずっとできなかった。今も貴様に応えられていない」
 そんなことはない。お前は十分に応えてくれている。なぜなら、今、私の胸はこんなに喜びに満ち溢れている。
 わからせるために、優しく愛しい人をこちらに向かせ、その胸に己の鼓動を伝える。耳を擽る速い息と触れ合う素肌の感触が、さきほどまでの悦びを再び呼び起こし、互いの体がまるで一つに溶け合ったかのように熱気に包まれる。





















新婚物語
PREV | NEXT | INDEX
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送