クルシス 十二ヶ月

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神無月

 人々の喧騒。夜空を赤々と彩る篝火。郷愁を誘う笛の音。道行く人へ呼び声。
 空高くに位置する祭壇への階段はぎっしり人の波で埋まっている。秋風も人々の熱気に煽られたのか、熱を持ち、かがり火はさらに赤くなった。薪が爆ぜると、周囲へ火の粉が散った。今年の秋が豊かであったことを教えるように、収穫物が屋台に積み上げられ、景気の良い店子の掛声が辺りに響く。香ばしい焼き栗の匂いがどこからともなく漂い、甘い砂糖菓子が色よく屋台の先にぶらさげられている。
 ごった返す参道をユアンはマーテルを庇うようにすり抜ける。横を歩くミトスが指差す度に、マーテルは立ち止まり屋台を覗く。トウモロコシの髭と小さな笹の葉で作られたミミズク、この地の特産の葦で作られた笛、きらきらと光る小石で作られた小物入れ。マーテルの白い手の平に載せられた玩具ともつかない小物達はどれも魅力的に見える。彼を見上げる姉弟の大きな瞳が期待に満ちて、かがり火に揺れる。ユアンは忙しく頭の中で残金を数えた。今宵の宿代と夕食代はそれなりの掛かりになるだろう。だが、この街に入るまで倹しく過ごしてきたのだから、多少の余裕はある。何よりもマーテルの笑顔がみたい。
 しばらくの沈黙の後、ユアンは軽く首を縦に振った。それを合図に、ミトスが姉の袖を引き、竹細工の籠を指差した。秋の森をそぞろ歩くマーテルの手先にお誂え向きの優しい形をしている。まあ、と嬉しそうに声をあげ、細く切り裂いた竹がきれいに編まれた籠を両手で抱えた。マーテルの萌黄色の髪と竹の淡い緑が屋台の明りに浮かび上がる。皺くちゃの店番の老婆が、歯の欠けた口元をにんまり広げた。
「ありゃあ、良いものを見せてもらったよ。秋の女神さんのようだ。それにしても、あんた達はお目が高いね。その籠は今年の自信作なんだ。お嬢ちゃん、あんたにぴったりだから、その籠は持っていきな」
 かかか、と笑う老婆のみなりは、彼ら一行と同じく極質素なものだ。マーテルは小さく首を横に振り、籠を屋台の真ん中へと置いた。
「でも、お婆様が作ったものでしょう。お代も払わずにいただけません」
「いんや、道楽みたいなもんだから、いいんだよ。他に養う家族もいやしない。あんたみたいな娘がいたら、嫁入りやら、なんやらで大変だろうが、誰もいやしない。だから、わしの娘にやったつもりにしておくれ」
 老婆は屋台の前までよちよち出てくると、籠をむんずと掴み、マーテルへと押し付けた。家族がいないという老婆の言葉にマーテルとミトスの顔がみるみる曇る。この地方は豊かな穀倉地帯で、しかも三カ国の国境が入り乱れている。戦略地域として、どの国にとっても要衝だ。つい先年まで、戦火に見舞われ、家族が四散した者が多い。おそらく、老婆の家族も兵士にとられるか、軍に蹂躙されるかしたのだろう。
 しゅんと肩を落とすマーテルを慰めようと、ユアンはマーテルの髪を撫で付けた。
「何、しょぼくれた顔をするんだい。さっきみたいに笑っておくれよ。そこのお兄さんが見惚れていた笑顔をしてくれ」
 懇願するように老婆が言い募った。とたんにミトスがじろりとユアンを睨みつけた。
「人前で少しは遠慮してよね、ユアン」
「ミトスったら、駄目よ」
 おっとりとマーテルが諌めると、老婆が再び大声で笑った。
「ほれほれ、あんたは弟さんかい。姉さんは大事ってか、いい姉弟だね。でも、姉さんのいい人に妬きもちはいけないよ。姉さんがこんなにきれいのは、こっちのお兄さんがいるからだからね」
 夕闇でも分かるほど、マーテルが頬を染め、ユアンに寄り添った。ミトスはぷいとそっぽを向いたが、老婆の口調に滲む真剣な響きにそれ以上文句をつけようとはしなかった。いつもより熱をもったマーテルの手をこっそりユアンは握った。皺の寄った瞼の下から、黒い瞳がユアンを見つめる。
「兄さん、あんたも好きな人は大切にしなきゃ駄目だよ。戦さ、戦さって男は馬鹿の一つ覚えで出て行くけどさ。待っている者の気持ちも分かってやらなきゃだからね」
 思い当たる節が多すぎて、ユアンは言葉を返せなかった。軽く目を伏せた彼の表情に、マーテルが柔らかく手を握り返した。
「ご心配ありがとうございます。でも、ユアンは本当に気を遣ってくれます。私のこと、これ以上出来ないくらい大切にしてくれてますの」
 はっとマーテルを見つめるユアンに、マーテルが秋の薔薇よりも芳しい笑顔を浮かべた。
「そうかい、それは良かったよ。お嬢ちゃんの笑顔もまた拝めた。さ、祭りを楽しんでいる最中に引き止めて悪かったね」
 よろけるように老婆が屋台の後へと戻った。
 マーテルが訴えるようにユアンを見上げる。横でミトスも膨れっ面をしながら、待っている。生憎、屋台の商品を購入できるほどの持ち合わせはない。少し思案したユアンは、旅の荷物から笛を取り出し、ミトスに渡した。屋台の前の石畳に座ると、ミトスが笛を奏でる。その音色は秋の虫の音と重なり、やがて鈴を振るようなマーテルの声が秋の調べを彩る。足を止める人達にユアンは慣れない呼びかけと共に、繊細な作りの竹籠を差し出した。祭りの熱気で財布が緩んでいるのだろう。不器用なユアンの応対では追いつけないほど、竹籠は売れ出した。
 澄み切った笛の音に呼び出されたかのように、秋の月が空を飾る。月影に照らされ、無心に歌うマーテルは豊穣の女神よりも豊かで、煌く月光よりも輝いている。はたして、彼の想いが、彼女を輝かせる内なる光の一滴となれるのだろうか。息をするのも苦しいほどの幸福感がユアンを酔わせ、マーテルの歌声が彼の体の隅々まで潤した。
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