クルシス十二ヶ月

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霜月

 地面に舞い散る落ち葉は冬の到来を告げる。クラトスは脇の剣の位置を直し、足元で渦巻く落ち葉を蹴散らし、目的地へと急いだ。最初に足を踏み入れたときには、ちらほらと色づいているだけだった森も、すっかり葉を落としている。歩き始めた早朝には、地面に積もった葉の縁を氷が彩り、轍は凍って滑りやすかった。日の高くなった今、日当たりの良い山沿いの道は落ち葉が重なり、歩きやすくなっていた。この分では、日が落ちる前には宿屋に着くだろう。前を行く旅人達の足も軽快だ。横を行くノイシュはひとしきり走り始めた。


 マーテルの調子があまり良くない。本人はともかく、彼女に対してはどうかと思うほど過保護なミトスとユアンは大騒ぎだ。何が原因か分からないまま移動は出来ないと、弟と婚約者は山間の村に長逗留を決めた。峠道を通じて、隣国と物資が行き交うせいか、街道からわずかにはずれたその村は、旅人への警戒心が薄い。特に冬場は山越えを避けて、季節が良くなるまで留まる者もそれなりにいる。一方で、隣国から逃れてきたハーフエルフも近在で暮らしており、ハーフエルフに対する風当たりはさほどではない。
 山のどこに線が引いてあるわけでもないのに、峠を越えて隣国へと入るととたんに、ハーフエルフの血は神の慈悲を得られぬ大罪となる。本来、昨年からあちらの国へと足がかりを作る予定であったが、一人でも体調の悪い者がいては、侵入はもとより、いざというときに逃げられない。しかも、本当に体調が悪くなったとして、医者も呼べないだろう。ユアンが優しくマーテルを諭し、ミトスも姉の膝に縋って頼めば、彼女も渋々とその意見に従った。
 彼らが逗留している宿屋はそれなりの規模だ。きつい登りは国境のある峠まで一週間はかかる。次の大きな町からこの村までだって、だらだらとつづら折の道を大人の足で十日ほどかかる。山越えが出来ない婦女子は大抵数日休む。なかには体調を崩す者も少なくないのだろう。連れの具合が悪いと言えば、宿の女将は嫌な顔一つせずに、広めの部屋を割り当ててくれた。
 だが、一週間たっても、二週間過ごしてもマーテルの状況は良くならない。気も狂わんばかりに姉の一挙手一投足を見守るミトスに青褪めて口数も少なくなるユアンでは、そこまで気が回らない。マーテルは気ばかり焦って、一日起きては二日寝ている始末だ。結果、日々の糧はクラトスが算段している。なにしろ、それでなくても常識はずれのハーフエルフ達に村人が求める働きぶりは期待できない。
 山道は人の往来があるとは言えども、場所によっては半日以上も店はおろか、人の姿も見られない。交易路の常で、大きな隊商は国元から護衛を連れて移動しているが、数名だけで旅をしている者も多い。木の葉が色づき始めた頃、意を決してクラトスは自分達の窮状を宿の女将に訴えた。同じような話を何度も聞かされているのだろう。女将は嫌味をひとくさりクラトスに向って吐き出した後、護衛をしないかと彼に持ちかけた。
「確かに、金がないのにあんた達を泊めるわけにはいかない。うちは慈善事業やっているわけじゃないからね」
 そこで、むっとした表情をクラトスが浮かべたせいだろう。女将が違うとでも言うように、クラトスを宥めるように、両手を抱え揚げた。
「だからと言って、病気のお客さんを放り出すような真似をこの私がするものか。宿屋の評判ってのは大切だ。あんたらの事情は分かるけど、無料で泊まれると噂がたつのも困るのさ。そう怖い顔をしないでおくれよ。あんただって、だからこそ、私に相談しているんだろう。まあ、私の話を聞きなさいな」
 クラトスの腕にも負けないだけ太い腕を組んで、女将は上から下まで彼を検分した。最後に腰から下げている大剣に目を止め、何かを思いついたようににんまりと笑った。
「お客さんは腕が立ちそうだね。それだけの剣をぶら下げている男は滅多にお目にかかったことがないよ。
 お分かりのように、晩秋は年末を故郷で過ごしたいとか、年末の市に間に合わせたいって急ぎの商人が多くてね。そうすると、まあ、大きな商いをしている隊商はそれなりに護衛を連れていけるけど、一旗揚げようっていう商人や安全に山道を抜けたいっていう一人旅もそれなりにいるからね。
 この時期はたいていうちの村の腕の立つ奴を案内人につけているんだ。険しい道には獣も山賊も出ないが、この先は返って道が緩やかなだけに、何かと物騒でね。毎年、この季節は若い者がいくらいても足りない状況なの。そういうときは、麓の町の傭兵を雇うんだけど、繋ぎをつけるのに時間がかかってね。
 ものは相談だけど、あんたもやってみないかい。手間賃は貰うけど、お客さん、護衛を手伝ってくれないかね。見たところ、体も丈夫そうだから、この道を町まで往復したって、どうってことはないだろう」
 是とも否とも言わないうちに、クラトスは通りかかった商人に紹介された。そのまま、女将が値段交渉を始めたかと思うと、晩には、クラトスは数名の男達と山を下ることになった。
「クラトスさん、町まで降りたら斡旋所に顔を出しておくれ。帰りの仕事が見つけてもらうように、あらかじめ連絡しておくよ」
 世話好きな女将のおかげで、近くの村の警護に出たり、山賊の掃討に借り出されたりと、滞在が長びくに併せ、クラトスも重宝されるようになった。ミトスやユアンもたまに手伝ってくれるが、もっぱらノイシュが相棒として、横を歩く。心地よい晩秋、さして緊張もせずに過ぎる日々はクラトスにとって思いの他、楽しい時間でもあった。



 軽く汗ばんだ体に晩秋の風が心地よい。案内する旅人達の会話を耳に、クラトスは携帯している水筒に水を満たした。徐々に標高を上げるなか、ここを過ぎれば、後は今宵の宿までは水場はない。ついでにと、旅人達にも水を勧める。足元に横たわっていた獣ものそりと起き上がると、流れ落ちる水を飲みだした。ノイシュはくうんと鼻を鳴らし、何かが気になるのか、空を見上げた。晴れ渡る空に一筋の雲がたなびく。
「いよいよ、本格的な冬の到来だな」
 旅人の一人がつられて空を見上げ、連れにも分かるようにと雲を指差した。
「まだ、天高いだろう」
 クラトスは濡れた水筒の水を切り、旅人へと渡した。
「いや、あの雲で分かる。西から冷たい風が吹き始めた。明日は低く雲が垂れ込めるだろう。急いで山越えしないとならないぞ。峠に着く前に雪に降られたらやっかいだ」
 男の説明に、再びクラトスも空を観察した。確かに晴れていたはずの空に細い一筆の雲が伸び、そのまま天一杯に広がりそうだ。今年はこの地で過ごすことになるのだろうか。ぼんやりと考えるクラトスの耳に旅人達の会話が聞こえた。
「山を越えたら、気をつけた方がいい。なにやら、ハーフエルフどもを一掃するとかで、検問が厳しいらしい。人間に歯向かうから、ああなるんだ。大人しくしてりゃいいものを。おかげで、こっちに奴らが大勢逃げ出してきて、いい迷惑だ」
「ああ、勝手に商売を始めるは、土地を占拠するは。こちらが黙っていれば、見てくれがいいからとつけあがって。そろそろ、うちの王様も何か手を打ってくれないと」
 不穏な会話にクラトスは口を挟むこともなく、荷物の準備を始めた。不快な表情を見せて、仲間達を窮地に陥れることもない。ハーフエルフ達に悪意はないと力説したところで、納得しないだろう。善意は見返りもなしに受け取られ、悪意はどこまでも根深く広がっていく。ミトスがむっとした表情をする度に、マーテルが微笑みながら宥めていた。ユアンが下らない冗談で場を紛らわせようとした。不本意ながらも、クラトスもやり過ごす方法は自然と身につけた。
 用心棒が動き始めれば、旅人達も歩き出した。
 冬の訪れを告げるように、冷たい風が山の背を這うように降りてくる。晴れた日には不似合いな凍てついた空気は、今しがた交わされた会話と同じくクラトスの周囲を巡る。ノイシュが彼の気分を代弁するかのように、ぶるりと大きく身を振るわせた。
 数日中に、雪が降りだすかもしれない。誰も口には出さないが、姉弟とその連れの容姿が目を引いているのは間違いない。逃げ場のない山間の村で居心地よく冬を越すため、早めに算段しなくてはならない。
 自ずと早くなる足を押さえ、一歩一歩山道を上がる。朝方に立ち上がった霜がクラトスの足元で砕け散った。
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