春のお話(迷走) 

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朧月夜(その三):内緒話

 二人がその地にたどりついたとき、すでに日は山の端に落ちていた。薄暗い遺跡の発掘後は真っ直ぐと南にのびり幅広い溝が途中まで掘り起こされているだけで、他に目を引くものはない。ユアンがまるで一度来たことがあるかのように、すたすたと歩いていく後ろを、クラトスが隙なく剣を構えてついていく。
「特に不穏な感じはしないな。ユアン、本当にこのような場所に何か怪しい影をみたのか。朽かけた運河跡があるだけではないか」
 クラトスがユアンを引きとめようとすると、青い髪をふわりと夕風に靡かせて愛しい者は振り返った。そのユアンの優雅な仕草に剣士は険しい口調とは裏腹にうっとりと恋人を見つめる。
「何だ。まだ気づかないのか。おい、クラトス、貴様は何を見ている」
「お前を……。いや、お前が言うような気配は何も……」
 うっかり、恋人の誘導尋問にひっかかりそうになったクラトスが夕闇の中でちらと目をそらせて口ごもる姿に、ユアンは歩み寄る。
「だから、周りを見ろ。本当にきづかないのか」
 軽くクラトスの頬に手をあてて、からかうようにその顔を覗き込んだかと思うと、ユアンはまた先にたって、発掘された古びた石積みの横を歩き始めた。
「ユアン、ここは……」
 ユアンの後ろをいかにも不機嫌そうに追いかけようとしたクラトスもはっと気づき、声をあげる。そこは深い森となりはて、過去の栄華を語るものは何一つなかった。だが、落ちた日の残照に映える周囲の丘陵や山陰がクラトスの思い出に重なる。
「そうか、今日の調査地に近かったとは気づかなかった。どうりでお前が二人で来ようと言ったのだな」
「そうだ。今となっては我々二人しか知らない都だ」
「ユアン、お前はここに来てよかったのか。よい思い出はないだろう」
「貴様と会った地だ」
 クラトスがその言葉に、歩みを止めて彼を待っているユアンの腰に手を回した。


 春の夜はまだ肌寒い。昼には咲いていたであろう野生の小さな赤いチューリップがしっかりとその花を閉じている。薄暗い林の縁を真っ白に彩るニリンソウも今はひっそりと小さくなっている。大きな森と深い藪に覆われたその場所は、知らなければ、以前、人の営みがあったとは思えない。
 空にかかる月も春霞にもやい、いつもより赤みを帯びている。二人は静まり返った地をそぞろ歩く。押し寄せる寒さからユアンを守るようにクラトスが肩に手を回し、桜の大木の下で歩みを止めた。
「いい思いでも苦しい思い出もすべては土の下だな」
「クラトス、……」
「こんな季節だった。私の父が王のために園遊会を催したのを覚えているか」
「ああ、あれは派手だったからな」
「あのときはユアンに助けられた」
「なんだ。そのことなら、それこそ、昔に貴様の家で散々感謝された。お前のせいだけではないから、もう謝るな」
「いや、私が話したかったのは助けられたことではない。もちろん、あのときのことは感謝している。お前がいなければ、ここに私は座っていなかった。もうどうでもいいことだが、あの騒ぎを引き起こした理由を話したい。無理に東の森に行こうと言い出したのは私だった」
「クラトス、無分別だったのはお前だけじゃない」
「だが、ユアン、あのとき、私は馬を飛ばして先陣をきるつもりはなかった。ただ、どうしてもお前を王と共に行かせたくなかった。皇女の側に置きたくなかった」
「クラトス、……。ずっと昔のことだ」
「苦しかった。王しか見ていないお前を見るのがつらかった。私以外の者へ微笑みかけるお前の姿に胸の中が痛かった」
「私はただ陛下が怖かったから、その視線を気にしていただけだ。皇女に向かって笑っていたなら、そうしろと命令されていたからだ。だが、言わなければわかるはずもないな」
「それだけではなかった。お前は気づかなかっただろうが、陛下だってお前のことをいつでも見ていた。あの晩、父上たちが探しにきてくれたとき、お前がつらそうに立っているのが見えた。お前を助けるようにと頼もうとしたら、父の肩ごしに陛下をそれは大事そうにお前を抱きかかえるのが目に入った」
 クラトスはしばらく目を瞑り、また口を開いた。
「とても苦しかった。……。馬鹿なことを言ってしまったな。幼かったから、自分の想いが何かわからなかっただけことなのだが、……。何を言っているのだろう」
 クラトスが突然途方にくれたように、話をやめ、目をおよがせた。
 普段は何も言わない大切な想い人から溢れる出る言葉に、思わずユアンは微笑む。その彼の表情をみて、クラトスはばつ悪そうに横を向いた。長く伸びきった前髪がクラトスの表情を半分隠し、だが、耳元が赤くなっているのが見てとれた。
 これほど正直に己の心の内を語ることなど滅多にしない恋人の動揺した仕草に、いつも以上に愛しさを感じる。
「クラトス、悪かったな。あのとき、クラトスがそんな気持ちで私の側にいてくれたとは気づかなかった」
「お前はいつも気づくのが遅い」
 わずかに頬を染めて、斜めに目を落としながら文句を言うクラトスの腕をほどき、真正面から向かい合って、ユアンが両手でクラトスの顔を挟む。
「クラトス、私を見ろ。気づくのが遅かったのは謝る。だが、今は互いに分かっている。そうだろう」
 薄ぼんやりとした朧月の下、闇の中にわずかに光ってみえるクラトスの目がわずかに躊躇った後、ユアンの眼差しに答える。
「ここに来てよかった。貴様の本音がこんな形で聞けただけで十分来たかいがあったというものだ」
「ユアン……」
 わずかに木に残っている花びらが冷たい夜風にはらりと落ちる。
 ユアンの目に浮かぶ強い光に、恥ずかしそうにゆっくりと目蓋を閉じるクラトスへ、ユアンは半ば髪に隠れている額へほんの触れるだけの優しい口付けを送る。かすかな、しかし、熱い感触にクラトスが身震いをし、再度、恋人の名を呼ぶ。
「ユアン、……」
 ユアンの唇は額から静かに閉じられた目の上をかすり、頬をたどり、クラトスの耳へと動く。触れている唇とおなじだけ熱い吐息が耳を擽り、クラトスも半ば苦しげに息を吐き出す。
「クラトス、次にここを訪れたときの思い出は苦いものにはさせない。今の私はクラトスのものだ」
 ユアンが耳元で囁けば、クラトスの腕が縋るようにユアンの首に回され、求めるようにわずかに開かれた口はユアンのそれで塞がれる。
 ユアンから与えられる深い口付けにクラトスは眩暈にも似た快感を覚え、首に回っている手がユアンの背を滑り、マントを強く握り締める。ユアンはそのクラトスの反応にさらに強く彼の頭をかかえこむ。
「クラトス、苦しい。手を離せ」
 荒い息のなかからユアンがつぶやくと、クラトスは恥ずかしげに頬を赤らめ、マントを握り締めていた手を緩めた。
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