春のお話(迷走)

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朧月夜(その四):答礼

 ユアンの肩にクラトスが頭をあずけたままの姿勢で、二人は花びらを散らす古木の根元に腰を下ろし、幹に寄りかかっている。天頂へと上った月は雲にその影を映すかのようにぼんやりとしたままだ。
 はらはらと散る花びらを受けるように、ほんの少しクラトスが手を伸ばした。その動きに誘われるように、ユアンがクラトスを見遣るように顔を向け、腰に回している手でクラトスの脇を撫でた。クラトスはその愛撫にも似た動作にかすかに頭を動かし、ユアンの長い髪へと半分顔を埋め、ユアンの首筋に熱い息を吐く。
「なあ、クラトス。貴様が教えてくれたから、お返しだ。あのとき、倒れて何も言わないクラトスを見てどう思ったか、誰にも話したことがなかった。
 抱きかかえている間、クラトスは意識がほとんどなくて動かなかった。いつもは触れることのできないお前が自分の腕の中に無防備にいる。抱きしめることなど許されないはずなのに、私に全てを預けてくれている。とても不安で、でも、幸せだった。
 本当に一瞬だけだが、一緒に死ねるならそれでいいと考えた。誰にも妨げられず二人だけでいられるなら、それが一番自分にとって幸せなことのような気がした」
 ユアンの腕がクラトスの体を強く引き寄せ、彼の胸にクラトスの頭を抱く。
「ユアン……」
 恋人の速い鼓動を耳にしながら、クラトスが身動き一つできずに、愛しい者の名前だけを口にした。
「もちろん、クラトスを救わなくてはならないことは分かっていた。でも、呼びかけてもクラトスが答えてくれなかったとき、一人であの王宮に戻るなぞ考えられなかった。クラトスがいなければ、どこにも安らげる場所はなかった。だから、このまま、二人で消えてしまえば、いっそ楽になると胸に浮かんだ。自分のことしか考えていなかった」
「お前がそんなことを思ってくれたのか。今でも覚えている。あのときのお前の涙が熱かった。抱えられている暖かさに私もずっとあのままでいても良いと思った。
 だが、あのとき、お前が助けてくれたからこそ、今、お前の傍らにこうしていられる。王宮にいたころに、今の私の姿を見られたなら、あんなに 悩むこともなかったな」
 己を強く抱きこむ腕を軽く引き離し、クラトスが体を起こす。そして、いつにもまして己の魂を吸い込むその碧い目を見ながら顔を寄せ、ユアンの口に軽く触れた。ユアンは擽ったそうに軽く笑い、同じようにクラトスの唇に触れるような口付けを返した。
「そうだな。あの頃は、私こそクラトスの手をとることができるとは思いもしなかった。あんな生き方をして、貴様に軽蔑されるのではないかとずっと怖かった。私が考えていることを見透かされたくなくて、クラトスを真っ直ぐ見ることができなかった。穢れている私なぞ、クラトスには相応しくないと思っていた」
「ユアン」
 クラトスは少しだけ身を起こし、ユアンの顔を仰ぎみる。
「何を言う。お前はずっと私の憧れだった。お前は何があってもきれいなままだった。お前をあそこから救い出せなかった私の方が、お前に相応しくなかった」
「クラトス、抜け出せる場所なんてなかったさ。王宮の皆が知っていた。王国の中だけではなかった。皇国の皇女にまで指摘された」
「だが、お前の母が人質だった。お前は決して恥ずるまねなどしていなかった。あんな仕打ちをされて、お前は己の理想を失わなかったし、常に最善を尽くしていた。そんなお前がいつも眩しかった」
「クラトスが側にいてくれたからだ。もう駄目だと絶望に落ちこむとき、クラトスが救ってくれた。今あるのもクラトスのおかげだ。私は少しはクラトスに相応しくなれただろうか」
「ユアン、私こそ……」
 クラトスが先を続ける前にユアンが言葉を紡ごうとする唇を塞ぎ、二人の体が重なり合って幹に寄りかかる。おぼろな月の光が落とす影が身を寄せ合う恋人達の上に差し掛かり、桜の花びらが淡く光りながら、二人にもその周りの草地にも舞い落ちていく。


 愛しい剣士の体を幹に押し付け、首筋に舌を這わし、さきほどまで繰返していた口づけで反応している体を愛撫する。クラトスの髪の日向の檸檬の木のような香を思い切り吸い込む。
 クラトスはユアンの首に片腕を回し、もう一方の手でユアンの髪ごと背中に縋っている。恋人の吐息と体の熱さに、ユアンの手が直接肌に触れようと、ベルトの隙間に入り込もうとすると、クラトスがその手を押さえた。
「ユアン、外はいやだ」
 散り行く花びらを乱しながら、木の下でもつれるように体を寄せ合っていた恋人達は起き上がる。
「いいだろう。クラトス。そんなつれないことを言うな」
 急に体を離そうとする恋人に、尚も愛撫の手を休めず、ユアンがクラトスの耳元を軽く噛む。すでに反応しはじめている腰を弄り、弱いところを刺激してやれば、恋人は最初は抵抗しても、結局は彼の望むがままになる。
 だが、珍しく恋人の力強い手が彼を引き剥がす。
「何だ。クラトス」
 少し、いらついた声で恋人をとがめれば、クラトスはちらと甘えるような眼差しで彼をみながら、再度、体を寄せて囁いてきた。
「ユアン、その、苦しい思い出にはならないのだろう。だから……、すぐに終わるとは思えないから、……、部屋でゆっくり……」
 頬を染めながら恥ずかしそうに言う恋人に、ますます、欲望が募る。だが、恋人から積極的に何かを望むことはそうないし、こんな表情を見せられては、外だからといって今日は手加減できそうにない。言うことはきいてやろう。
「わかった。そのかわり、今日は私に任せろ」
 彼の声の中に混じる欲にクラトスが答えるように熱くなっている体を寄せた。
 二人で腕を絡ませ体をあわせたまま、立ち上がる。ユアンが無言で羽を広げれば、クラトスもその腕に抱かれたまま、青白く輝く羽を出す。二人は再度深い口付けをかわしたかと思うと、散る花びらに朧月より遥かに明るくきらりと光を浴びせ、次の瞬間姿を消した。
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