転回

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夏雲

 太陽はまさに真上にある。
 夏の空の青さは、今の暑さと反比例するかのようにすっきりと明るく、久しく会っていない者の姿を思い出させた。少しでも、この暑さを避けるように、大木に覆われた北斜面の少し高台となった岩の陰に身を寄せている。むっと息が詰まるような蒸し暑い風がたまに脇を過ぎるが、涼しさというよりは、息苦しさを感じるだけだ。
 風で木々の先が少しだけ揺らぎ、その隙間に見えている青空が動くと、あの涼やかな髪が動いているような錯覚に囚われる。暑苦しい風が首筋をよぎると、あのわずかに甘く、くすぐったい彼の吐息が背後にあるように感じられる。今日に限って、何故か一人でいることを淋しく思う。
 クルシスと連絡を絶って何年も経っていたが、忘れた頃に、ユグドラシルが組織へ戻るようにと、彼のいる場所へと使者を送ることがある。その度に、探し物をしているだの、ここにいる用が終わったら戻るだの、適当な理由をつけては、使者を追い返している。ユグドラシルもそれ以上追って来ないところを見ると、単に彼の動向は把握していることを誇示したいだけなのだろう。もちろん、大切な者は彼の目の前に現れたことは一度もなかった。
 旅立ってすぐは、ふと青い髪のものをみかけて無意識に追いかけたこともあったが、自ら決別してきたからには、彼は追っては来ないととうに承知している。たまに、彼のマナを遠く感じることもあったが、それが心の中で念じる願望の現れなのか、それとも、あちらも彼と同じく想ってくれているためなのか、判然としなかった。今日も、胸の奥底に人恋しさを感じ、脇の少し離れた場所で暑さに喘いでいるノイシュを撫でる。


 随分前になるが、例の機械人形を作り出したドワーフと会った。全くの偶然ではあったが、奥深い森の中、一時の休みを取ろうとノイシュと共に森の先に光が反射する場所を水場と見定め近づくと、その池の先にいかにもドワーフらしい横穴の家を見つけた。何の気なしに、その扉をたたくと、相手もこちらも吃驚して立ち竦んだ。しばらく、怯えたようにしていたドワーフも、彼が組織を離れていることを説明すると、何か納得したように頷き、しばらく逗留するように勧めてくれた。奥てかたりと音がして、彼が振り返ると、あの機械人形が静かに動いていた。
「ユグドラシルは知っているのか」
 彼が尋ねると、ドワーフは首を振った。
「いいえ、誰もこのことを知りません。一度、命を持ったものを捨てるにしのびなく、あそこを出るときにこっそりと連れてきたのです。どうか、黙っていていただけませんか」
「私はもうあそこを離れて長い。話すどころか、ユグドラシルに会う機会もないだろう」
 そのとき、ぎこちなく、それでも主のために茶などいれてもってくるその人形をなにげなく見遣り、はっとする。確かにユアンが違うと言っていたが、今、この部屋の中で見るとその姿はマーテルにそっくりでありながら、目の中に息づく魂は別物であることがはっきりと感じられた。うまくいかなくてあたりまえだったのだ。器は作られたときから別の魂を宿していた。
 ドワーフは、彼の望みを聞き、首を振る。人間の身でエターナルソードを扱うための呪文はないと言う。しかし、とドワーフは続ける。
「この世には知られていない輝石がまだあるはずです。クラトス様がその力を得られたように、新たな力を授けてくれるものがあるのではないでしょうか」


 いかにも怪しい動きのある人間牧場を密かに監視する。何か予感を感じるが、それがなんであるのか、自分でもはっきりとは分かっていなかった。
 その牧場は多くの人を飲み込みながら、まったく、外へ何も出さない。これが意味することはあまりに明白だ。効率の良さでは随一と、ユグドラシルも賞賛していた。そのことだけ考えても、ここを破壊したいという衝動に駆られることもあった。だが、彼が求めているものが、あるいは、ここに隠されているのではないかという推測に、どうにか、ここの牧場主を切り捨てようとする自らの剣を抑える。
 この牧場には、彼には説明できないが、とてつもなく引かれるものがあることを感じるのだ。求めているものかもしれないし、違うかもしれなかい。正体を探るための機会を待つ。


 暑さに負けたのか、ぼんやりと考え込んでいると、ノイシュが顔を起こし、耳をわずかに立て、前を見る。彼も一緒にそちらを見ると、木々の間から、牧場の先で人の動きが激しくなるのが見えた。様々な声が彼の耳に聞こえてくる。どうやら、牧場内で騒ぎが起きているようだ。人間達の騒ぎ声、ディザイアン達の威嚇する声、悲鳴、怒声。
 ノイシュにそこで待つようにと伝え、木の間を隠れるように牧場へと近づく。外部から近づくものを威圧するように立てられたその牧場の門を避け、中を覗えないようにと立てられている高い横の塀ごしに騒ぎを見ようと、高い梢の後まで飛び上がる。この騒ぎでは、彼がわずかにマナを使ったところで、誰も気づかないはずだ。
 騒ぎは厳重に囲まれている中庭で起きていた。どうやら、捕えられ、石の餌食となりかけている一部の人間が逃げ出したようだ。
 ディザイアン達がその人間達を中庭の角へと追い詰めている。この暑さと恐怖で汗をびっしりと浮かべた一群れの囚人達は、互いに互いを庇いあいながら、じりじりと後退していく。ディザイアンの長らしきものが出てきて、何か言うと、とたんにディザイアン達が囚人達をなぎ倒していく。体力のない囚人達は軽い電気銃の一撃で皆地面にころがる。哀れな抵抗はほんの数分で終わった。
 クラトスが助けようと考える間もなく、囚人達は電気鞭で追い立てられ、這いずりながら、壁際へと並べられている。ディザイアンの長がさらに何か怒鳴ると、一人の老人が囚人達の前に引きずり出された。老人は力なくうなだれ、他の囚人達も俯くばかりだ。
 さきほどまでの怒号も嘘のように、今は森の中を響く蝉時雨の音しか聞こえない。老人は銃剣でつつかれながら、誰もいない壁際へと歩かされる。見せしめにしようというのだろう。覚悟を決めたのであろう老人が壁を背にまっすぐと立つと囚人達に向かって首を振る。わずかな聞こえるすすり泣きの中、突然、囚人の中から人が飛び出し、手を広げてディザイアン達がその老人を狙うのを止める。
 その瞬間、彼は途方もない力を感じた。ボロボロの囚人服を纏っているにも係わらず、真っ直ぐと背を伸ばし、正義を訴えようとするその人間から溢れ出る見たこともない力に目を眩まされる。誰も気づいていないのだろうか。しかし、その哀れな囚人はたちどころに取り押さえられ、その者や他の囚人の懇願もむなしく、老人は崩れ落ちた。
 例の囚人と後数人のものがどうやら見せしめとしてさらに激しく鞭打たれ、残りの者はそのまま屋内へと連れていかれる。


 さきほどの力が気になり、誰もいなくなったところを見計らい、地面へ倒れ付している勇気のある囚人の側へ降りる。短くざんぎりにされた茶色の髪のその囚人に近づくと、どうやら、息はあるようだ。回りの者もそうだが、ひどく鞭打たれているが、命を奪うつもりはなかったようだ。この牧場のことだ。無駄はしないのだ。
 例の囚人を調べようとして、体があまりに小柄なことに気づき、女であることを知る。うつ伏せに倒れている女をそっと上向きに返し、彼は凝然と彼女を見つめる。この数年、ぼんやりと頭の中で思い返していた面影にそっくりなこの女性。まさか、こんな場所で出会うとは予想もしていなかった少女。彼女の名前が頭に浮かび上がった瞬間、回りの音は、さきほどまで起きていた騒動さえも消すような蝉時雨の音さえも聞こえなくなる。
 慌てて、その小さな体を己の腕に抱きかかえる。頼りなく、ぐったりと彼の腕のなかに預けられた体は想像以上に軽く、それだけで、心臓が飛び出しそうなほどの不安に駆られる。腕の中に簡単に収まる小柄な女性は間違いなくあの夏至の日の少女だった。頭の中に浮かんだ彼女の名前が口から飛び出す。
「アンナ、アンナ、しっかりしろ」
 うっすらと開いた目が恐怖で丸くなる。彼の腕の中から逃れようと、慌てて身を起こそうとし、ひどい傷に苦痛のうめき声をあげる。
「静かに。私はディザイアンではない」
 悲鳴をあげようとする彼女の口を手でふさぎ、囁く。目がさらに大きく見開き、やがて、彼の顔をじっと見つめ、そして、腕の中の体の緊張が解けるのを感じる。
 優しく癒しを与え、彼女をそっと地面に降ろす。彼女の眼が以前と同じように大きく生真面目に真っ直ぐ彼を見上げる。そして、あのときと同じように、優しくゆっくりと瞬き、彼の心を包み込む。彼女も覚えていてくれたということに、こんなときであるにも係わらず、震えるほどの喜びを覚える。
「あなたはクラトスね。どうしてこちらへ。あなたも捕えられたの」
 アンナが早口でたずねる。
「いや、訳があって探し物をしていたのだ。あなたこそ、どうしてこのようなところにいる」
 そのとき、見回りの兵らしきものが近づく気配を感じる。
「また、来る。倒れたふりをしているのだ」
 素早く倒れ付す彼女の手を、一度だけ握り、外へと飛び出す。


 クラトスは木の陰からさきほどの場所を伺いながら、自分の鼓動の音が抑えられないことに当惑する。どうしても、彼女から目が離せない。見回りの兵たちが余りにゆっくりと囚人達を見ていることにいらだちを抑えられない。今すぐ、あそこへ降り立ち、彼女を救いたい。
 彼は何かが転がり出したことが分かった。出会いはいつも突然だ。だが、それは二人の気づかぬ内に必然のものとして用意され、あの夏の魔法はこの青い空の下でいきなり湧き上がる夏の雲のように、二人を覆いつくし、飲み込もうとしている。
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