迷走

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答え

 大げさに女神から見捨てられたことを告げられた地へと一人で再び降り立つ。ミトスやクラトスには告げていない。これは、彼一人がその胸の内で決めた行為だ。
 決してこのようなことで失われるべきではなかった、本来、この地で、この地上の則に従って生きるべきであったはずの命のために遥か昔に教えられた祈りを捧げる。祈りを信じているわけではない、それで自らの行為が許されることはないということもわかっている。止めることができない無力な自分を正当化するつもりもない。もしかしたら、ただの習慣と成り果てているのかもしれない。
 それでも、衰退へと天秤の傾いた地の寒さの中、その大地へと向う。



 幼いころはよかった。素直に自分の心に従えばよいだけだった。あの頃は、何事もやり直しがきくとばかりに勘違いしていた。今は言えない。彼から否定されたらと考えるだけで、何も言えない。毎回、神子が失われた後に、崩れた塔の跡地を抜け、繁栄世界から衰退へと向う地上に、何かの苦行のように降り立つ彼を見ると声をかけられない。
 彼女に託されたのに。だが、近づけない。


 今回もユアンがワープ台に乗っているのを見て、わずかに逡巡した後、彼の表情にたまらず、追いかけてしまった。どこに行くのかはおおよそ分かっている。こちらであれば、あの朽ちてしまったリンカの木があった森だ。
 ユアンはいつも失われた神子のためなのか、それとも、あの冷え切った天空では滅多に口にその名を出さない彼女に何かを訴えるためなのか、もう地上の誰もが覚えていないであろう旧い俗謡を奏でる。遥か昔に在った王国の鎮魂歌でも、聖なる教会の曲でも、今のあの教えにある女神を称えるための曲でもない。マーテルが春の宵に、夏の明け方に、秋の陽だまりに口ずさんでいたあの歌。想い人の健やかな日々を祈る純朴な乙女の歌。一体、彼はどんな思いでこれを爪弾くのだろう。
 今日も、遠く、かそけく、胸を抉るように透き通った彼の音が、森の中にかすかに木霊す。だが、彼の口からそのことが語られることはない。衰退が急速に始まったのを告げるかのように冷え切った晩秋の日差しの下、燃えるような紅葉に囲まれて、ただ立ち尽くしている彼を見つけたはいいが、それ以上は歩みを進められない。
 風が巻き上げる落ち葉が、かさこそと音をたてて道を動く。一歩進めると、思わぬ枯葉をふみ、わずかに足音がたった。


「クラトスか。貴様、こんなところに何をしにきた」
 ユアンが振り向きざまに笑う。こんなに淋しい笑顔を見るのは遠い昔の王宮以来だ。
「お前を探していた」
「なんだ。また、ミトスの呼び出しか。今日はもう、あいつに顔を合わすつもりはない。昨日は十分につきあった。貴様には悪いが、話すことはないと伝えてくれ。貴様にだから言えるが、私にとっては、今までの再生システムだってないことにしたいくらいだ」
「いや、私が会いたかったのだ」
「クラトス」


 ユアンに名前を呼ばれるだけでこんなに苦しい。ずっと抑えている。彼が幸せになればそれでいいと誓っていたから、ずっと抑えていた。しかし、この気持ちがもう隠せないところまで来ている。


「貴様、なにを深刻な顔をしているのだ」
「お前の代わりだ。お前がずっとこらえているのが分かる。
私はミトスを止めることはできない。マーテルを死においやったのは人間だ。ミトスはあのときから私の語ることは、聞いていない。私を使っているだけだ。だが、あれもお前の言うことならわかるだろうに」
「今更、それを言うのか。あのとき、冷たくなっていくマーテルを救えなかったのは私だ。ミトスは決してそれを忘れなていない。私も忘れないが、あれも忘れていないのだ。あいつは今や、生あるものは誰をも信じていない。信じているのは、あの輝石に囚われた骸だけだ。私は、マーテルにミトスのことを頼まれたから、ミトスの言うとおりにしてやっている」
「だからと言って、お前の心をまげてまで」
「なあ、クラトス。貴様だって気づいているだろう。失われた絆は二度と戻ってこないのだ。ミトスとは何度も話し合った。自分でできることは全てしたつもりだ。彼女に託されたからではない。心底、ミトスを信じていた以前の自分として尽くしたつもりだった。だが、遅かった。今となってはもう駄目だ。私達は永遠に折り合えないのだ。誰かが言っていた。人はその見たいと欲するものを見ると。あれにとって、私は姉を救えなかった役立たずであり、あれには何の価値もない理想を語る他人でしかない。そうは分かっていても、ミトスと離れることも適わない。マーテルに頼まれた。マーテルをあれのなすがままにはさせられない。だからこそ、頼まれたというそのことに免じて、今はあいつが望むことの、あれが見たいと欲するもののその一部だけは叶えてやっているのだ。だが、それには、さらなる命を無駄に失うことまで含まれてはいないはずだったのに、もう、私ではそれを留めることができない」


 滅多に言わないユアンがここまで吐き出すからには、昨晩、塔の崩壊による世界の交代を起こした後、ミトスと再生システムのことで諍いがあったに違いない。このところ、神子が失われる度に、ミトスの姉への渇望が強くなることを感じる。ユアンはマーテルが復活することなぞ、最初から信じてはいないのだ。信じていない者と盲信するものとの悶着を宥める術を彼は持たない。
 クラトスも心の底のどこかでは、ミトスの望むことが成らないであろうと、いや、成すべきではないとぼんやり感じている。だが、ミトスに捧げている己の剣を、騎士の戒めを折るまでは至っていない。彼に望まれているのは地上の争いを治めることどもであるから、ユアンが直面しているそのシステムの一端しか覗いていない。しかも、かの人身御供を取り繕う教えを仕切っているのは、ミトス自身だ。確かに、大樹を、マナの力をこの星に取り戻すという大義は、ミトスの世界への情熱が姉の再生への執着へとすり替わるとともに色褪せ、巧妙に仕組まれた罠を覆い隠すための言い訳になっている。
 ユアンが言うとおりかもしれない。クラトスもまた、見たいと欲するものを見るだけになっているのかもしれない。己に封じ込めている精霊の王の懐疑のつぶやきが頭の中を過ぎるのをわざと聞かないでいる。ミトスは、囚われているこの問題さえ解決すれば、もう一度、剣を捧げた彼の主に戻ることができると、どこかで信じたいのかもしれない。



「クラトス、マーテルは今ミトスに人質にとられているのだ。壊せるものなら、あの輝石を壊していただろう。だが、あれが握っているからには、それも無理だ。私は見たくないのだ。マーテルでないマーテルなぞ、ありえるわけがない。それに、今となっては、あれの回りに集う、狂ったように石を作り続けるハーフエルフ達に任せて、彼女の遺志を曲げたくない」
 ユアンは一気に言葉を吐き出すと、珍しく激高した自分を恥じたのか、彼に背を向け、俯き加減に足元をながめ、積っている木の葉を軽く蹴った。
 その姿は、彼の心のなかで確信となっている事実を再度認識させる。ユアンにとって、デリス・カーラーンは彼を捉えて離さない新たな王宮なのだ。自ら移ってきた父の祖先の故郷は、今や、またしても彼をがんじがらめに縛る見えない鎖のある王宮だ。その背を黙ってかかえる。
「ユアン、再生システムやディザイアンの組織はお前のせいではない。あるとすれば、私達全員の過ちだ。前にも言ったが、一人で苦しまないでくれ。私では今もお前の力になれないか」
 抱えた背がぴくりと動く。自分の心を押さえきれない。
「クラトス」
「すまない。私はマーテルの代りになれるなどとは思っていない。だが、ユアン、もし、お前が許してくれるのなら、お前の側でわずかながらも支えたい」


 クラトスに抱えられた体が動かない。
 すでにクラトスには何度も救われた。幼いときから、今に到るまで、自分を失いそうになったときに常に傍らに有りつづけてくれたのは、クラトスだ。今まで何一つ返せていないのに、これ以上、私の側にいて何をお前に返してやれるのだろう。今、このような自分がお前に相応しいとは思えない。その一方で、ミトスとの諍いに、この世界の無残な有様に疲れた心が、拠りどころを求めている。
 そして、突然気づく。求めているのは、一方だけではないことに。疲れているのは、己だけではないことに。私でもお前に返せるものはあると思ってよいのだろうか。



「マーテルとお前は別だ」
 ユアンが振り向きざまにそう言った。その通りだ。私ではマーテルの代りにはなれない。お前の支えにはどうしてもなれないのだ。ユアンの顔を見ることが怖く、下をうつむく。
「クラトス。マーテルの代りになって欲しいとは思わない。私にマーテルを忘れろと言われても、それはできない」 ユアンの口から聞きたくない言葉が次から次へと浴びせ掛けられる。分かっていたのだ。そんなことはお前から言われずとも、ずっと、以前から己の心の中で繰り返し、言い聞かせてきた言葉だ。
「お前にはずっと感謝してきた。お前がいつも私を救ってくれた」
 もう、これ以上聞いていられない。感謝の言葉が聞けただけでいい。この後を聞いて絶望するくらいなら、今ここで立ち去った方がましだ。後を向き、去ろうとすると、手をしっかりと捕まえられた。ユアンの手がかすかに汗を帯び、いつもはひんやりしているのに、熱い。
「クラトス。こんなことしか言えない私のことを卑怯と思うだろう。マーテルにとっても、お前にとっても裏切りと思うだろう。だが、決して偽ったわけではない。今更だが、あの王宮にいたときから、お前に対する私の気持ちも変わってはいない。ただ、奥底にしまっていた。忘れたいと思ったことも、ないことにしたいと思ったこともない。でも、あのとき、この気持ちを表に出すことは許されなかった」
 何を言っているのだ。ユアンの言うことが理解できない。頭の中をいきおいよく血がめぐり、何も考えられない。呼吸が苦しく、鼓動が激しく、胸が波打つ。
「今でもマーテルの願いも叶えられず、ミトスも宥められないこんな無様な私でも良いのだろうか。お前はこのような私の側にいたいと思うのか」
 思い切って顔を上げ、ユアンの目を見る。その青い眼は真剣だ。夢でも見ているのだろうか。側にあることを許されたと考えていいのだろうか。一歩、ユアンに近づく。互いの息遣いが伝わるまで間近に寄り、自ら、ユアンの手を再度取る。
「許してくれるのか。側にあることを許してくれるのか」
 その瞬間、ユアンの整った面が初めて出会ったときのようににっこりと笑い、以前と同じく彼を魅了し、その口から温かい息とともに言葉が溢れ出てくる。
「許すも何も、私こそ願いたい。私を傍らにおいてくれ。わずかでもお前が望むなら、お前と共にいたい」


 ユアンの笑顔に恐る恐る自分の手を伸ばし、彼の肩に触れる。手が震え、強く掴めない。ユアンの目を再度縋るように覗き込むが、長年の習慣がそれ以上の行動を抑える。もう、自分の中が苦しくてはじけてしまいそうだ。
 そう思った瞬間にユアンが彼の首の後に手を回し、彼の腰を別の腕をからめ、きつく彼を抱きしめながら、口付けを与える。うっとりと目を閉じ、その感触を味わう。密やかに触れられる唇はわずかに熱くなり、しばらく、軽く触れられたかと思うと、期待に少し開いた彼の中にゆっくりと舌が差し入れられる。その温かさに自ら強く唇を押し付け、口を開いて迎えれば、彼の歯の上をなぞり、奥に入り込み、応える彼の舌と絡み合う。夢中で互いの口を味わう間に、ユアンの手が背にまわされ、自らの手をユアンの背に回し、きつく抱き合えば、互いの鼓動が同じく速く打っていることが感じられる。気がつけば、ユアンに地面に横たえられ、さらに深く口付けされている自分がいる。
 美しい紅葉がまわりにはらはらと散ってくる。目のまわりが赤く輝くのは紅葉なのか、自分の感情なのか。その中にかすかに風にうごく青い波に酔う。


「ユアン……」
 上にある体を抱きかかえ、その鼓動を胸に感じ、長くさらりとした髪が風に嬲られて顔にかかるのを感じる。
「そんな声で私を呼ぶな。貴様から離れられないではないか」
 ユアンが軽く口付けを繰り返しながら、囁く。
「ずっと、ずっと、お前だけ想っていた。再び、お前に会えたとき、二度とお前の心を騒がせまいと誓っていた。だから、この想いをずっと抑えていた。だのに、どうしても誓いを守ることができなかった」
「クラトス」
 ただ、優しく名前を呼ぶその声が彼の誓いはすでに無用になったと教えてくれた。


 冷たい風も彼らを素通りし、晩秋の静かな陽だまりは緩やかに木の陰を伸ばし、失われた神子への鎮魂を表すかのように、木々にからまる蔦の鮮やかな葉を照らす。険しい季節の到来をほんのひと時だけ忘れ、今ここにある温もりを守るかのように、互いの身を寄せる。


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