迷走

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葛藤

 デリス・カーラーンの地は静かだ。
 広く、高いその天井は全ての音を吸い込む。冷たく、ほの暗く輝く床に響く足音はただ回りの虚空に飲み込まれていく。遠くに浮かぶ天使の羽音はその動力であるマナの中へ消え、ただ、どこかで開け閉めされる扉の音だけがわずかに響く。どこも清浄で、どこも穢れておらず、だが、どこも生きていない。
 エルフが打ち捨てた都の部屋どもは、とうに記憶から消えてしまった書物が誰に触れられることもなく置かれ、座られることのない椅子の金糸の刺繍がわずかに漏れる明りに輝いている。最後の部屋の主が気づかずに去ったのであろうか、わずかに、ゆがんだままに置かれた燭台の下、使われないままのミスリルの帷子が煌めいている。  誰も二度と訪れない。


 遠く大地から離れた場所でときに分からなくなるときがある。一体、今がいつなのか。どれだけの時が経過したのか、理解できない。どんなに急ぐ足音も吸い込まれるこの拠り所のない空虚な世界で、気がつけばほの暗く何の物音もしない通路に、ぼんやりと立ち竦んでいる自分に気がつく。
 何をしようとしていたのか思い出せない。
 笑おうとしていたのか、泣こうとしていたのか。
 誰かを探していたのか、誰かに呼ばれていたのか。


「聞いているの。ユアン」
 ユグドラシルの声が側でする。呼ばれて見れば、ハーフエルフとおぼしき一団とクラトス、ミトスと共に円卓に座っている。回りにいるのは誰だろう。クラトスが心配そうにこちらを眺めているの気づく。
「ああ、すまなかった。ちょっと、疲れているのかもしれない」
 曖昧な返事を返す。何を話していたのか、それとも何を話そうとしていたのか、わからない。
「お前がやってくれなければ、このシステムは機能しないのだよ。しっかりしてくれ」
 ユグドラシルが再度繰り返す。私が何を作るのだろう。システムとは何を言っているのだろう。
「ミトス。そう焦るな。ユアンがやらずとも、すでに地上は分かたれ、それぞれに今は安定している。新しいシステムをすぐに稼動する必要はない」
 クラトスが答えている。地上が分かたれたのはいつだったか、それから、どれだけ立っているのだ。知らないうちに、時計だけが進んでいる。


 夜中にふと目覚める。誰かに呼ばれている。
 私を呼ぶのは誰。どうしても急がなくてはならない。
 慌てて、外に出るが、もう呼ぶ声が聞こえない。
 私が行かなければいけない場所が見つからない。振り向くと、自分の部屋が底なしの闇と化している。その闇が何をしているのだと攻め立てているようで、あそこには戻りたくない。もう一度、己を呼ぶ声を聞きたくて彷徨い歩く。
 しかし、二度と聞こえない。


 ユアンのことが心配だ。ミトスが頑なに現実を見ないのと同じく、ユアンは現実から離れたまま、立ち戻ってこない。部屋をたずねても、いないことが多い。たまに誰もいない果ての通路でユアンがただ立ち尽くしているのを見つける。たいていは見つけられない。どこに行ったのか問いただしても、本人も首を振るだけだ。


 今日も探している。確かに呼ばれている。早く行かなくてはいけない。自分なら間に合うはずだ。
 今度は呼ばれている方向がわかったような気がした。急いで、その方向へ向かって走る。だが、走りたいのに、足が動かない。何者かに掴まれているかのように、手が引っ張られる。振りほどかなくてはいけない。ほら、私を呼ぶ声はあちらから聞こえている。
 ユアンがまた立ち尽くしてるのを見つける。
「ユアン」
「クラトス」
 ユアンがまるで目が覚めたかのようにこちらを見る。
「誰かに呼ばれていたのだ。呼ばれた場所に行かなければならないのに、そこがどこか分からない」
 子供のようにうろたえた声を出している。ああ、まだ呪縛から解放されていないのだ。もう何年たったであろう。
「お前は疲れているのだ。休めば、きっと、お前が探そうとしている場所は分かる。だから、今日は心配せずに私と一緒に部屋へ戻ろう」
 ユアンの手を取り、彼の部屋へと進む。
「今日はずっと聞こえていた。早く行けば、そこがどこかわかったはずなのに、どうしたのだろう。私はいつも間に合わない」
 部屋の前まで来ると、ユアンは手を離した。
「クラトス。すまなかった。もう大丈夫だ」
 彼の表情のどこにも大丈夫だと思わせるものはないのに、そう言ったきり部屋に入ると、ついていこうとする彼の目の前で扉を閉じた。


 ユグドラシルに意見する。
「ユアンは調子が良くない。彼の力なくして、このシステムを動かすことは危険だ。一度、誤ったら、お前が望む復活はないのだぞ」
「クラトス。だけど、一体いつまで待てばいいのさ。もう何年たっていると思う。すでに地上では何世代もたっている」
「ミトス。よく考えてみろ。時はいくらでもある。しかし、大樹の種子は、マーテルの輝石は、失うことはできないのだ」
「お前の言いたいことは分かったよ。クラトス。お前の姉さまではないから、お前は心痛まないだろう。だけど、僕はもう待てないよ。それにしても、ユアンの奴、姉様のために、もうちょっとしっかりしてくれないと何も進まないじゃないか」
 ますます不安を感じる。ユアンこそ、マーテルを真に思い遣っているから、このような状況になっていると思わないのだろうか。私とて、お前達ほどではないと思うが、心は痛んでいる。だが、最後にマーテルが言い残したことは、彼女の復活ではない。あのとき、三人とも確かに聞いたはずだ。
 今でも、彼女の言葉が聞こえる。
「大樹を、この星を救って」
 その後、彼の心の中だけでこだました。
「ユアンをお願いね」
 彼女はずっと彼の心の奥底を知っていたと思う。気づいていても、そのそぶりも、ましてや、厭うそぶりは決して見せなかった。いっそ、気遣われていたのではないだろうか。それなのに、自分はその慈愛の心に何も返せない。


 ミトスとユアンのあの後の行動の素速さとたちどころに起こった様々なできごとを一つ一つ思い返す。
 いつ、ミトスは変わってしまったのだろう。いつ、ユアンは病に倒れたのだろう。
 ミトスは分かる。ミトスは姉が失われたその瞬間に、クラトスが剣を捧げたあの少年ではなくなったのだ。あの業火のマナをその手から放った瞬間、彼はもう以前のミトスではなかった。
 だが、ユアンは違う。ミトスが変質したことに心を痛めながらも、彼は一人抗っていた。ただ考え悩むだけで何もいえない自分とは違い、ミトスに意見していた。荒れ狂うミトスを説得し、わずかな仲間を連れてデリス・カーラーンへと半ば強制的に移動したのは、ユアンの力だ。
 それなのに、今は病に倒れ、しかも、誰も気づこうともしない。気づいても、知らないふりをしている。マーテルの骸を抱きかかえていたユアンの虚ろな目と今、廊下に立ち尽くす眼はそっくりではないだろうか。


 ユアンの部屋の外でじっと待つ。彼がどこへ行くのかわからないが、共に歩んでいれば、必ず、気づくときがくるはずだ。ただ、その瞬間を逃さないように、見ていなくてはならない。マーテルが安置されている部屋ではない。ユアンとマーテルは互いの存在の中で決してこのような暗闇を持つことはなかった。だから、別の場所なのだ。
 突然、扉があき、慌てたようにユアンが歩み出す。何も目に入っていないかのようにわき目も振らずに歩いていく。分かったような気がする。彼の向う方向にいる者が分かった。
 だが、その部屋の直前でユアンが立ち止まる。壁に手を当てて、考え込んでいるように下を向く。苦しそうに何かをつぶやきながら、先ほどとは異なり、ゆっくりと別の方角へと歩き出す。今度はその先に目的があるとは思えない。角にくる度に、途方に暮れたように回りを眺めている。
 数回、ユアンを追いかけ、確信する。自分がそうであるように、彼もまた託されたことを果たそうとして、果たせずに苦しんでいるのだ。


 薄暗い部屋の片隅に立っている。何故、ここに来たのか思い出せない。回りをぐるりと見遣ると、入り口に大きな影が見える。慌てて手にマナを集め、気がつく。ここは、デリス・カーラーンだ。彼に向うものはいない。動悸する胸を押さえ、その影に近づくと、影は彼の移動とともに急速に収束し、見慣れたすっきりとしたクラトスの映し姿に変わる。
「ユアン」
 彼に向って、クラトスが声をかける。その声がひどく心配そうでそれが何故かとてもわずらわしく感じられる。
「クラトス。何だ」
 逃げるように部屋を出ようとする彼を止めるように、クラトスが前に立ちはだかる。
「どいてくれ」
「ユアン、お前はなぜここに自分がいるのか、私に説明ができるのか。理由を話すなら、ここを退く。それができないなら、一時でいい。私の話を聞いてくれ」
「貴様に話すことなどない。どいてくれ」
 頭痛がする。気分が悪い。だが、クラトスは動かない。思い切り、クラトスの胸を突き飛ばすが、びくともしない。
「ユアン、今のお前に私を倒すことは不可能だ」
 いらいらする。何も考えられない。なぜ、クラトスがこんなにも真剣に自分を見ているのか理解できない。ただ、鬱陶しい。マナが手に集中する。制御できない。突然、クラトスが発光する自分ごと抱きかかえる。
「ユアン、落ち着け。私の話を聞いてくれ。すべてを抱えることはない。私がいる」
 クラトスに向けて、制御できないマナが溢れ出て、彼のマナを乱し苦しめるのが分かる。だが、クラトスは手をゆるめず、彼を抱き続ける。クラトスの声が彼の耳元で聞こえる。
「ユアン、すべて吐き出せ。私でよければ、抱えているものを出せ」
 救えなかった。何一つ、止められなかった。誰の側に拠ることもできなかった。
 救って欲しかった。うなずいて、認めて欲しかった。見放されたくなかった。
 ずっと、言わずとも分かり合っているのだと思っていた。


 霧が引くように、回りが鮮明に見えた。クラとスがひどい顔をして、それでも彼を抱えたまま彼に寄りかかっている。
「クラトス」
 呼びかけると、わずか、目を向け、息を吐いた。
「ユアン、もうすべてを出したか」
 慌てて、彼のマナを探る。一体、私は今何をしていたのだろう。クラトスを床に横たえ、静かに彼に同調する。苦しげな息がやがて落ち着き、クラトスが目を開く。
「分かったのだな」
 彼の問いにうなずく。ずっと、分かっていた。それをできない自分を、彼女の願いを叶えることのできない己を目の当たりにしたくなかった。だが、現実は現実だ。目をそむけてはいけない。
 クラトスの眼差しが労わるように彼を眺め、ゆっくり目を閉じた。



 開け放たれた寝室の扉の奥にミトスが眠っているのが見える。
 探していた場所は、呼ばれていたのは、ここだったのだ。
 そうだ。彼女に、あの星以外に、お前のことを頼まれた。
 ミトスの部屋は何もない。本当に最小限の家具が無機的に置かれているだけだ。あのエターナルソードでさえ、遠くデリス・カーラーン入り口に象徴として放ったままだ。ミトスは最初に出会ったときから、その熱い志と一振りの剣以外、何も持っていなかった。果て無き戦いの旅の間中、常に身軽で、何物にも、何事にも囚われなどいなかった。こんなに何にも執着せずにいられるのなら、確かに己の理想へと近づいていけるだろうと誰しにも納得させるものがあった。
 そのお前が今、唯一生れ落ちたときから共にあった姉への思いに囚われて身動きできないのは、何と悲しいことだ。お前とさらには我々を信じて今まで着いてきたものたちへ、何がしかの責任があるはずなのに、自分はどこかでそれを見失っていた。
 確かに己の意見のみをお前に押し付け、お前の悲しみに耳を貸そうとしていなかった。お前がその心の中に封じ込めた嘆きにずっと呼ばれていたのに、答えられなかった。お前のその理不尽な怒りを解きほぐす前に疲れはててしまい、自分だけの悲しみに閉じこもり、お前にはすまないことをした。混乱し、苦しんでいるお前に気づかず、変わらず前に進もうとするお前の幻想を見て、お前に伝える努力を怠っていた。
 今から間に合うのであれば、もう一度、共に歩む道を探そう。
 マーテルのあの言葉の先は、我等三人で探さなくてはならないはずだ。


 だが、精緻に作り上げられたデリス・カーラーンの都が二度とその息吹を吹き返さないと同じく、あの苦しい旅を支えた互いの情熱は冷えたまま、一度はずれて欠けてしまった歯車は二度と噛み合わさることはない。そのことに気づかず、営々とときが過ぎるとは誰も思わなかった。
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