迷走

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亀裂

 地上を離れて、一体、どれだけが過ぎたのであろう。静まり返ったエルフの古都は、何も変わらず、何も動かず、そして、何一つ見た目だけは朽ちていない。それは、まるで今の自分たちのようだ。


 ミトスが振り返りざまに放ったあの怒りのマナの衝撃。遠くヘイムダールでも感じられたと聞いた。ただの人間の身であったなら、彼もこの地に立ってはいられなかっただろう。止めようとマーテルを抱えたまま血で染まった手を伸ばしていたユアンと、それをふりほどくミトス。「相手と同じことを繰り返すな」と叫ぼうとする自分の目の前で起こる、現実とは思えない熱波。人の姿はミトスの怒りの前に粉々に消え、投げ捨てられたエターナルソードは地に落ちたままだった。
 ミトスのとてつもない力とユアンがマーテルを救おうとして放出した莫大なマナが期せずしてマーテルと大樹の種を結び付け、しかし、それは誰しもが望むことには到らなかった。


 いつからだろう。ぼんやりとしたウィルガイアの人工照明の下で考える。


 あの一瞬を過ぎた後、デリス・カーラーンへ一握りのハーフエルフ達と移り住み基地を構えたまでは、良かったのだ。確かに地上にいられる状態ではなかった。誰しも冷静ではいられなかったのだから、良い選択であったと思う。あのまま地上にあれば、報復につぐ報復、怒りをさらに煽る憎悪の連鎖が何世代にも渡って続いたに違いない。しかも、それを止められる唯一の人はこの世にいないのだ。
 しかし、この時を感じさせない、生の息吹のない、孤独が君臨する石の都の中で、ゆっくりとその変性は起きた。ユアンは昔の王宮にあると同じく、自身の中を彼にもミトスにも曝け出さない。ミトスは、彼が剣を捧げ、自らオリジンの封印へと身を投じたときのように、熱く信頼した眼差しで彼の目を見ない。この冷たい都が、地上にあっては他を圧倒していたミトスの情熱をすべて吸い取ったかのようだった。他のハーフエルフ達は、彼を恐れ、敬ってはいるが、人間である過去を知ってか、同朋として受け入れているわけではない。だが、彼も地上にも戻る場所はない。マナの枯渇も甚だしく、大地を分かつ以外に方法はないと言い切ったミトスを止めるものは、もう誰もいなかった。
 ユアンが「あくまでも、これは一時凌ぎの手段なのだ。許して欲しい」と今は亡き人に言い聞かせるように回りに説いていたのを思い出す。



 一度だけ、ユアンとミトスが激しく言い争った。ミトスが地上の支配に彼の姉の名前を使おうとしたときだ。ユアンはひどく深刻な顔をして、ミトスを詰った。
「マーテルの名は、マーテルのものだ。まやかしの上に重ねてはならない」
 ミトスはまるでその言葉の意味が分かっていないかのように、首を傾げ、以前と同じようににっこりと微笑み、ユアンに答えた。
「でも、姉さまは皆のために自らを犠牲にした。僕はそれを誰にも忘れられたくないのだよ」
「 ミトス、マーテルは決して自分の犠牲を覚えていてほしいとは望んでいない。彼女が望むのは、ことをなした後に、思い煩うことなく皆が生きる世界になることだけなのだ」
「昔、僕等に理想ばかり語るなと言ったよな。あの時はわからなかったけど、お前の言ったことは今なら良く分かるよ。ユアン。確かに姉さまの美しい気持ちだけでは、人間は何も変わらなかった。認めてあげるよ。だけど、姉さまのことを自分だけがわかっているような口を利くな。お前は姉さまを救えなかった。お前に僕の気持ちが分かるものか」
 ユアンは殴られでもしたかのように眼を見開いて、ミトスの顔を見つめ、ため息とともに下を俯く。
「ミトス。言葉が過ぎるぞ」
 思わず口を挟むと、ミトスのあの翡翠色の目がかつてとは異なり、冷たく彼を見つめる。
「クラトス、いつまでもユアンの肩をもつんだね。お前は、その綺麗な面と同じで、いつもきれい事が好きだからね」
「やめてくれ。お前達まで争そうな。クラトス。いいのだ。ミトスの言うことは本当だ。私は確かにマーテルを救えなかった。それは事実だ」
 苦しげにはき捨てるように言うユアン。
「だが、それが事実なら、マーテルの望みは私にとっての真実だ。だから、私はその名を使うことに反対するが、最後に決めるのは、お前だ。ミトス」
 そういうなり、ユアンは静かに立ち上がり、部屋を出て行った。冷静な彼には珍しい精一杯の抗議は、他のハーフエルフ達に微妙な波紋を残し、それでもミトスの心は変わらなかった。


 やがて、宗教そのものが変質を始める。二つの世界の均衡を取るがための聖典は、犠牲の子羊を天に順繰りに送りだすためのものとして機能し始める。
 一体、きっかけは何であったのだろう。
 あのドワーフが作り出した機械がミトスの望みとおりに動かなかったときからだろうか。
 ユアンが何も言わず、何も反対せずに、神子の試練に備えたシステムを作りあげている。しかし、彼は気づいている。ユアンは愛した彼女の体を清め、デリス・カーラーンの奥深くに、暖かくとも息づいていないその体を自身の手で置いたきり、一度とてその部屋に行かないでいる。ミトスと言い争ってからは、彼女の名前もほとんど口にしない。今も部下達に指示を与えてはいるが、自ら、あの部屋へ作業しに行くとは思えない。ユアンはただミトスの狂気を宥めるためだけに、この作業を行っているのだ。
 見せかけの忠義の下に潜む亀裂は、誰もが見ないふりをしている間に、どんどんと広がっている。


 考えているだけでは、事は止まらない。
 地上では、相も変わらず、人間同士の争いが生じ、彼もまた心ならずも、ミトスの命に従って、分かたれた大地の上で采配を振るわねばならない。流すべきでない血が流れ、失うべきではない命が大地から消える。最小限の争いに留まるよう心を砕きながら、それでも繰り返される争いにただ、圧倒され、手をこまねくだけだ。
 デリス・カーラーンでは、これまたミトスの発案により、ハーフエルフの理想郷という名のもとに、天使が生み出される。確かに彼らは争わない。確かに彼らは欲望を持たない。だが、そこに在るだけだ。


 デリス・カーラーンにある誰もが時の経過に疲弊し、それでも誰もが自ずから凍り付いていくことに気づいていない。あるいは、彼自身のように気づかないふりをする。ふと、我に返ると以前のユアンの言葉が蘇る。
「石の時間は我々の生とは比べ物にならないほど長い。我々の体が朽ちず、心だけ朽ちたら、何が起きるのであろう。それを考えると、本当に恐ろしくなることがある」
 大木は倒れる直前まで堂々と立っているが、すでにその内なる洞は遥か以前より腐っていることを誰も知らない。
 すでに我々の心は朽ち始めているのだろうか。
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