クルシス 十二ヶ月

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文月

 黒っぽい紫檀の机の上に砂金が闇に瞬く星のごとくばら撒かれた。
「あの、後生ですから、それで私の依頼を引き受けてください。見てのとおり、極上のものです」
 傭兵はその声に顔を上げず、手にした剣を黙々と手入れしている。
「あなたがとてつもなく忙しいことも、抱えている案件が多いことも知っております。あなたの仲間が大変な政に関っていることも分かっています。だが、私の家族にとって死活問題なのです」
 ふうとため息をつくと、クラトスは剣を磨いていたぼろ布を机の脇においた。とたんに、目の前で懇願していたハーフエルフの男はすかさず彼の手をとった。そして、もう一方の手で半分口のあいた砂金の袋を差し出した。差し出す男の手が震え、薄いなめし皮の袋から机にわずかな砂金がまたこぼれ落ちた。
 風にゆらいだのか、部屋にはらむ緊張に耐えられなかったのか、かたりと窓枠が音を立て、再び、沈黙が部屋を覆った。
「頼みます。このとおりです」
「……」
 クラトスは、彼の前で膝をつき、頭をさげるハーフエルフの男をじっと眺めた。
「お願いです。時間がないのです。あなた達人間にとって、ハーフエルフのことなぞどうでもいいのかもしれません。だが、同じ命を持っています。私らだってやがては死が訪れます。あなた達には長すぎると見えるかもしれませんが、天に与えられたものを全うしたいと願うのはおかしいでしょうか」
「いや……」
 初めて、傭兵は低く答えた。
「それなら、私を助けていただけませんか。私の妻と息子は山間の盗賊に捕らえられてしまいました。明日が期限ですが、どうせ金を払ってもあやつらは、二人の命をとるでしょう」
 傭兵は深々とため息を落とした。
「私の仲間が先週、隣国の兵士に捕らえられた。あのとき、伝を頼んだ私を断ったのはお前だ。それなのに、なぜ、お前の手助けをせねばならぬ」
 がたんと音がして、隣の部屋へと通じる扉から足を引き摺る音が聞こえた。入ってきた仲間はよろめき、クラトスは立ち上がると、慌てて支えた。
「ユアン、無理をするな」
 ユアンはクラトスの支えを軽く払うと、机の脇に寄りかかった。
「クラトス、この男を助けてやってくれ。私達は逃げ延びたのだから、もういいではないか」
「だが、拷問で折られたお前の足はまだ癒えてはいない」
 クラトスは低く答えた。
「命はある。足もやがては治ろう。マーテルも少し気落ちしていたが、もう落ち着いた。ミトスはかすり傷だけだ」
「ユアン、……」
 痛めている足を庇いながら、ユアンは跪いている男に近づき、安心するようにと肩をたたいた。男ははっとユアンを見上げ、再び頭を落とした。ユアンはクラトスに向かって穏やかに繰り返した。
「貴様だって、この男の妻子がこのまま死んでは、寝覚めが悪かろう。私は分かっている。たとえ、あり余る財をなしたとしても、この地でハーフエルフが官憲にものごとを頼むのはひどく難しいことなのだ」
「申し訳ありませんでした。私もできるだけのことはしたかったのです。しかし……」
 男はわなわなと唇を震わせ、その先を続けなかった。ユアンはもう一度、男の肩に触れ、それから、卓の上に広がった砂金を指でなぞった。
「言わなくてもいい。お前ができることをしてくれたのは、気づいている。後から捕えられたミトスが軽い怪我ですんだのは、書類を途中ですりかえた者がいるからだろう。なぜ、クラトスにその話をしない」
 クラトスがはっとしたようにユアンを見た。男は床を見たまま答えた。
「確約はできなかったのです。この時代、誰を信じてよいのか分からぬときは、口は閉じているに限ります。こちらの方が口の堅いことは百も承知しておりますが、うまくいかなかったときに、誰がどこまで責を負うかを考えますと」
「それに、クラトスが人間だからか」
 ユアンが低い声でつぶやいた。男は慌てて立ち上がると、ユアンとクラトスに向かって身を乗り出し、訴えた。
「そんなことは滅相もございません。ミトス様のお知り合いを軽んじることなど決してございません」
 必死に言いつくろう男の声に焦りが滲みでていた。
「わかった。もうよい」
 クラトスががたりと音を立てて椅子を押しやり、立てかけてあった剣を取り上げた。
「ユアンに免じて、今回だけはお前の頼みをきく」
「ありがとうございます。どうぞこれを」
 砂金の袋が差し出されたが、クラトスは受け取らず、軽くその手を除けた。
「砂金はしまっておけ。借りは返す」
「いえ、とんでもありません。こんなものでは御礼ともならいでしょうが、私の気持ちとして受け取ってください」
「いらぬ」
「まあ、クラトス。今回は頂こう。きれいな砂金ではないか。ミトスの活動資金とさせてもらおう。もっとも、お前の依頼の結果はまだ出ていないがな」
 ユアンは指で再び砂金をなぞった。
「今宵は折りよいことに新月だ。やつらの根城に忍び寄るには絶好の晩だ。星もさぞかし美しいだろうな。私も手伝ってやりたいが、今の状態では足をひっぱるだけだ。すまぬが、一人でがんばってくれ。クラトス」
 指先がすべる先から、滑らかな机の表面に細かい砂金が星の川を作る。ユアンの笑顔が磨かれた机面と金砂の星の間に映っている。クラトスは数回瞬きをし、徐に手にとった剣を鞘へと収めた。
「ユアン、無論、問題はない」
 腰につけた剣の位置を今一度調べたクラトスは簡潔に答えた。横でハーフエルフの男が同じく手にした小さな短刀を調べた。
「クラトス様、私も一緒に参ります」
「いや、お前はここにいろ。足手まといだ」
 クラトスがにべもなく断った。とたんに、背後から別の声が答えた。
「僕がクラトスと一緒に行くよ」
「ミトス」
「ミトス様」
 伏し拝むように男が頭を下げた。ミトスは慌てて、その男の手をとった。
「お前も一緒に来てくれ。クラトス、ここは姉さまがいれば大丈夫さ。ユアンのことはきちんと見張ってくれる。家族の大事に一人で待っているのはつらいだろう。僕もユアンがあの地下牢から出てくるまでは、気が気じゃなかった」
「それは心配させたな」
 ユアンが照れたように答えた。
「それに、毎晩、お前のうめき声を聞いていたら、どうせ眠れない。起きているのなら、人助けをした方がましだ。さあ、行くよ」
 ミトスはつっけんどんに答えると、男に外に出るようにと促した。
「こら、ミトス。何だ、その言い草は」
 文句をつけようと体を起こしたユアンは足に走る痛みに、ぐっと言葉を切らした。クラトスが心配そうにユアンを支えた。
「おい、無理をするな。顔色が悪いぞ」
「私は何でもない。とっとと行け、クラトス」
 クラトスは呆れたように肩を竦めた。
「せっかくの七夕の晩だ。大人しくしていろ、ユアン。笹に回復の願いでも書いて、寝ているのだな」
「余計なお世話だ」
 にやりと笑って出ていこうとするクラトスにユアンが文句をつけた。
「さあ、ミトスとクラトス、急いで行ってちょうだいな。私はユアンをあちらで休ませるわ」
 ミトスの背後からマーテルが部屋に入ってきた。すれ違い様に部屋を出るクラトスの目に、ユアンを支える白い手がくっきりと見えた。
 

 慌しい人の動きの中、机の上に無造作に皮袋が投げ出され、口からまた金砂がわずかにこぼれた。無人になった部屋の窓枠がぎしりとなり、湿った夜風が忍び込む。金銀の砂子は風に揺られ、かき乱され、黒光りする卓上の星空とも見える紋様はたちどころに消えていった。
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